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竹内大輔の写真日記(~2009)
ピアニスト竹内大輔の、2009年までの日々を綴った日記です。
旅日記 10.(津軽・日本海編・…2007.1.7~1.9)
 ついに“旅日記”も10回を数える事になりました。このシリーズを始めたのが、昨年2月25日の台湾の記事でしたから〔旅日記 1.(台湾、台北編…2006.2.19~2.23)参照〕、およそ1年間で10回行ったという計算ですね。自分ながら、なかなかのペースだったと思います(笑)。
 今回は青森県の弘前市から、日本海側に沿って徐々に南下してくるというルートを通ったため、記事のタイトルを津軽・日本海編…としました。自然の猛威には勝てず、各地でトラブルが発生した旅ではありましたが、どうぞご覧下さいませ!


 ●旅の根底にあった“青春18きっぷ”

 今回は鉄道メインの旅でしたが、それに利用させてもらったのが“青春18きっぷ”です。これは毎年、春休みと夏休み、そして冬休み(今期は昨年12月10日から今年の1月20日まで)の季節に発行されるJRの企画切符で、日本全国のJR路線(バスは除く)が乗り放題というものです。名前には“青春18…”とありますが、特に年齢制限みたいなものはありません。誰でも使用できます。
 運賃は5日分で11500円。1人が5日分使っても良いし、5人で1回分ずつ使っても構いません。とにかく5回分使える…という事です。1日あたりの計算は2300円になり、例えば池袋~横須賀間が1210円ですから、1日のうちに往復すれば元が取れてしまう計算になります。しかも、途中の駅で何回降りても良いのです。

   行程は9日(3日目)の朝にも及んだので、判子も3日分です

 このように、安く便利な切符なのですが、普通列車(快速も含む)しか利用できないのが難点です。つまり、特急(新幹線を含む)や急行は乗れなく、全て普通列車の移動でなければならないのです。要するに、時間を掛けても良いから、とにかく安く移動したい…という人の為のもので、それがこの切符の名前の語源にもなっているのだろうと思います。
 それでも上手く使うと便利なもので、自分も中学、高校時代はこの切符によくお世話になっていました。今回は久しぶりの“青春18きっぷ”を使った旅でしたが、やはり、普通列車でしか味わえないものがある…というのを再認識したような気がします。今は時間が限られる生活になってしまったため、常にというわけにはいきませんが、これこそ旅の醍醐味ではないかと…。とにかく、こういった根底が今回の旅にはあったわけです。


 ●東京~五所川原の最速ルート

 今回の旅の目的の1つに、津軽鉄道に乗る…というのがありました。詳しくは後に記しますが、この鉄道の起点である、青森県の五所川原市という所までどうやって行くかが、この旅最大の課題となっていました。
 普段なら普通列車でトコトコ向かっていくのですが、今回はそこまで時間は無く、とにかく1日目の午前中には着いていたいという気持ちがありました。具体的に言うならば、津軽鉄道を走っている“ある列車”に乗らなければならなかったため、五所川原着は午前11:30までが限度でした。
 行き方に関しては色々調べてみたのですが、結局は青森まで飛行機で飛んで、そこから五所川原行きのバスに乗る…というルートにしました(…というか、この方法以外には無理だと思います)。羽田を朝7:35に出発する飛行機に乗れば、乗り継いで五所川原駅には朝の10:00頃に到着できます。改めて飛行機の速さを実感してしまいますが、航空券も事前に購入し、当日の朝、自分は逸る気持ちを抑えながら羽田空港に向かったものです。

 さて、1月7日当日、自分は朝の7:00過ぎには羽田空港に着いていました。羽田~青森間は日本航空(JAL)しか飛んでいないので、当然羽田空港は第1ターミナルだったわけですが、そこで見た運行掲示板には次の事が書かれていました。

 『7:35発青森空港行きは、青森空港天候不良のため、羽田に引き返すことがあります』

 この日、北海道や東北地方は発達した低気圧に覆われていて、各地は大雪は強風に晒されているようでした。確かに、事前にニュースでは見ていた内容ではありましたが、ここまで影響があるとは…。
 …かと言って、ここで自分は引き返す訳にはいきません。まだ欠航になっていないだけマシだというものです(ついでに、他の路線では釧路行きは欠航、旭川行きは行き先が新千歳に変更になっていました)。そのまま搭乗手続きを済ませ、自分はゲートへと足を運んだのです。

 今回自分は、座席を“クラスJ”というグレードのものを予約してみました。これは、国内線でのみ提供されているシートで、今までのスーパーシートに変わるJAL独自のシートです。
 これは、2004年にJALが日本エアシステム(JAS)と統合した時に誕生したもので、簡単に言い換えてしまうと“スーパーシートの大衆化”です。料金は1000円と低価格で、ほとんどの割引料金とも組み合わせる事ができ、座席数も増えました。一方、これまでのシートより若干窮屈になり、専用カウンター、優先搭乗、機内食、優先手荷物引渡しのサービスは打ち切られたので、従来からスーパーシートを使用していた搭乗者からはサービスダウンとの見方もありました(現在JALでは、このスーパーシートを復活させる方向にあるようです)。
 自分にとっては、気軽に上級(…と言えるのかどうか)クラスを楽しめる…という意味合いで使ってみましたが、成程、この料金だったら良いかしれませんね。国内線なんて、ほとんどが1時間…、長くても2時間くらいの距離ですから、過度なサービスは不要というものです。JALの予約の状況を見てみると、先にクラスJから席が埋まっていくらしいですから、やはり人気という事なのでしょうね。

   プラス1000円でこの座席はお得です   眼下には分厚い雲が覆っています

 ということで、飛行機は青森空港へ向け離陸しました。やはり羽田に引き返す可能性がある事からか、搭乗者数は30~40人くらいしかいませんでした。今日の機体はエアバスA300-600Rという元JASの機体で、大体300人は乗れる飛行機ですから、かなり空いているという状況になりますね。この日東京は富士山が望めるくらい快晴だったので、これが雪になるとは、まだ想像もつかない感じでした。
 クラスJでは茶菓子も用意されていました(大したものではないですが…)。特筆すべきは、座席の横に、これら飲み物等も置けるスペースがあるという事でしょうか。普通だと、前の座席からテーブルを出さなければいけないのですが(もちろんクラスJにもテーブルはあります)、これだとどうも窮屈な感じは否めません。テーブルを出さずして飲み物のサービスを受けられるというのは、意外にも大きいメリットだと思いました。また、紙コップのデザインにはクラスJのロゴが描かれていて、何となく上級クラスの雰囲気を醸し出していたと思います。

 さて、そろそろ飛行機は下降し始めました。眼下には分厚い雲が迫っていて、目的地の天候は悪いということが簡単に想像できました。青森空港の天候は雪ですが、何より飛行機は“強風”と“視界不良”には対策が必要です。成田や羽田には、空港の設備が整っていて、例え視界がゼロでも着陸できるシステムがあるのですが、青森空港にはまだ備え付けられていません(今年度中には設置予定です)。また、強風…特に横からの風に飛行機は弱く、これが欠航の理由になる場合もありえます。最終的な判断は機長なわけですが、とりあえずは高度を徐々に落とし始めていきました。
 すぐに飛行機は雲に入ってしまい、気流の悪い状況が続きます。ある程度まで下りていくと、もう太陽も見えなくなってしまい、辺りは薄暗くなってきてしまいました。さらに窓の外をじっと見てみると、どうやら雪が降っている中を飛んでいるようでした。しかし雲の中なので、自分が今どのような状況で飛んでいるかは分かりません。旋回をしていても、それが右にカーブしているのか、左にカーブしているかも見極められない状況です。
 そんな状況が20分ぐらい続くと、ついに飛行機は雲の下に出ました。…と、眼下には雪に覆われた大地がぼんやりと見えてきました。相変わらず雪が降りしきる中を飛んでいるようで、確かに視界が良好とは言い難い感じでしたが、これくらいなら着陸できそうな気もしました。
 そして9:45、飛行機は定刻よりも早く、青森空港に無事着陸する事ができました。滑走路は雪に覆われていて、ブレーキを掛けても滑りそうな勢いでしたが、よく考えたら、飛行機は“逆噴射”という機能もブレーキの1つとして使っています。どうやら、そこまで気にする必要はなさそうです。

   視界の悪い中、青森空港に到着です   自分が乗ってきた飛行機と同型機のエアバスA300-600R

 しかし、誘導路上ではさすがに気を遣っていたのか、カーブではかなりゆっくりと曲がった感じでした。飛行機はやはり大きな乗り物ですから、こういう状況の時の運転というのは、相当大変なんだと思います。
 ということで、無事に着くことは出来ました。これが羽田に引き返していたら、全ての予定を見直さなければならなかったので、本当に良かったです。逆に、折り返しの羽田行きの便は、只今天候調査中との事で、チェックインカウンターの前では大勢のお客さんが待機している状況でした。まだまだ飛行機の業務は続くのです。

 さて、自分は空港を出て、五所川原方面行きのバスに乗り込みました。青森行きや弘前行きのバスよりは一回り小さく、お客さんも自分を含め5人程度しか乗っていませんでしたが、これが東京~五所川原間の最速ルートには欠かせない存在なのです。ここは大事に行きたいところです。

   このバスが最速ルートの鍵となりました   左が津軽鉄道の駅舎で、右はJRの駅舎です

 青森空港は小高い山の上に位置しており、確かにそこは雪が降っていたのですが、徐々に山を下りていくと雪も少なくなってきて、平地を走り始めた頃には雪というよりは雨でした。ニュースでは『山間部では雪』…と言っていたので、正にその通りだったということです。
 そんなこんなで、予定通り五所川原駅には10:00に着く事ができました。天気は雨…。しかし、色々あった中で、最初の目的地に着けたという意味では感無量でした。思えばこの時、欠航になる恐れがあっても、とりあえず進んでいけば良い…という思いが頭を支配してしまっていたのかもしれません。この事は後に明らかになりますが、この段階ではまだ想像もしませんでした。


 ●津軽鉄道とストーブ列車

 無事五所川原駅に着いたわけですが、ここでの目的は(…というか、この旅のメインは)、津軽鉄道の“ストーブ列車”というものに乗ることでした。
 普段は新型のディーゼル車が往復している津軽鉄道ですが、12月1日~3月31日までの間は、そのうち日中の2往復だけ、ディーゼル機関車に旧型客車という編成で運転されています。この客車は昔ながらの木製車両で、車内には石炭だるまストーブが設置されているのです。結構冬の風物詩としてもテレビに取り上げられていたりするので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
 とにかく、これに乗るのが目的だったわけですが、そのストーブ列車の1本目は津軽五所川駅を11:35に発車します。五所川原に着いたのが10:00を過ぎたばかりだったので、まだ時間が勿体無い感じでしたが、時刻表を見てみると、10:20発の普通列車に目がいきました。これは通常のディーゼル車による運行でしたが、ストーブ列車は観光的な側面が大きいとも思ったので、普段着の津軽鉄道も見ておきたい気もしました。ということで、行きは普通列車、帰りはストーブ列車という予定にしてみたのです。

   趣のある駅舎です   旅情がそそられる光景ですね

 現在津軽鉄道で使われてるディーゼル車は“津軽21形”という新しめの車両で、“走れメロス号”という愛称が付いているレールバスです。車内はごく一般的な感じでしたが、運転席の横に文庫本が置かれていたのには驚きました。ご自由にどうぞ的な雰囲気があり、地方私鉄の暖かみを感じ取れた気もしました。
 列車はゆっくりと走り、津軽五所川原~津軽中里間の20、7kmで約40分という感じです。途中の金木という駅で乗客はほとんど降りてしまい(…といっても5、6人くらいですが)、終点まで乗ったのは自分も含め、2人のみでした。まあ日曜日午前の下り列車なので、仕方ない気もしますが…。

   運転席の横には文庫本が置いてありました   津軽鉄道の切符は、全国でも珍しい硬券です

 終点の津軽中里の駅舎は、店舗合造という事で割りと大きめな立派なものでしたが、周辺には殆ど何も無い感じでした。折り返しのストーブ列車の発車まではまだ1時間半以上も時間があったので、記念の切符を買ったり(未だに硬券が使われていたので…)、恒例の?周辺散策へと向かったりしました。
 津軽中里駅の1つ手前に深郷田(ふこうだ)という駅があり、名前に惹かれて(笑)その駅まで歩いてみたくなったのです。しかし外は寒い上に、風が強かったり雨が降ってきたりします。駅を出た時には雨は止んでいたのですが、途中では土砂降りの状況になってきたりしました。どうやら変わりやすい天候のようです。自分には折りたたみ傘くらいしか持ち合わせがなく、かと言って雨宿りするような場所も無かったため、このような厳しい状況の中、散策は続けました(引き返せないくらい歩いてしまっていたからかもしれませんが…)。

   ストーブ列車はディーゼル機関車が客車を引っ張る編成です   客車は旧型の車両が使われています

 そんなこんなで、ストーブ列車がついにやってきました。先程の列車に比べると、遙かに多い乗客を乗せてきたこの列車は、折り返しの為に機関車の付け替え作業を行わなくてはなりません。レールバスだと必要の無い作業なので、効率の悪い作業とも取れるのですが、このストーブ列車目当ての乗客も沢山いるわけで、運転を中止するわけにはいかないのです(実際、客車2両のうち1両は、団体専用の車両となっていて、この日も2組の団体客が利用していました)。
 中に入ると、座席の一部を撤去した所にストーブはありました。1両に2台あるみたいで、この周辺はかなり暖かい状況になっています。しかし、1時間以上も寒い中歩いていた自分にとっては、この暖かさが天国のようにさえ思いました(笑)。発車時間が近付くにつれ乗客は増え、結局は30人くらい(団体客は除く)にはなっていたでしょうか。なかなかの盛況です。

   ストーブは1車両に2ヶ所設置されています   たまにこうやって、車掌さんが石炭を入れに来ます

 そしてストーブ列車は走り始めましたが、列車のスピードは先程のレールバスよりも遅いかもしれません。しかし、かえって旅の趣きが感じられるとも言え、自分はその雰囲気を大いに楽しみました。
 たまに客扱いの間合いを見て、石炭を補充しにくる車掌さん。ストーブの上には金網が置いてあって、その上でするめを焼いているお客さん(!)。途中で乗ってきた、それらのするめ(他にイカ飯とかも…)を売りさばいているおばさん…。懐かしい風景と思う反面、逆に新鮮な気もしました。
 こうして、津軽中里から約50分の旅は終わりましたが、ストーブ列車はあともう1往復するともあって、お客さんの中には駅で待機している人もいました。こうやって沢山のお客さんに支えられて、ストーブ列車は運行されているのでしょうね。一時期、津軽鉄道ではストーブ列車の廃止も検討されていたらしいのですが、全国から廃止を惜しむ声と、地元自治体からの要請により、継続運転になったという経緯があります。運転面から言えばストーブ列車は遙かに効率の悪い列車でしょうが、先程も言ったように、この列車目当てで全国から乗りに来るお客さんがいるのも事実です。この鉄道の名物として、今後も走り続けて欲しいものですね。


 ●苦悩のJR五能線

 五能線というのは、青森県弘前市の少し北、川部という駅から(列車は殆どが弘前まで行きますが)、先程の五所川原を通り、日本海側に抜けてそのまま南下し、秋田県の東能代まで達する全長147,2kmを走るローカル線です。これは自分はまだ乗ったことのない路線で、さらに言うならば、JR東日本管内で唯一乗っていない路線でもあります。
 そんな事から、今回の旅では五能線の完乗を目指す…という意味合いもありました。これが達成できると、JR東日本の路線を全て乗った…という事にもなるのです。
 路線が長い割りには列車の本数が少なく、しかも全線を直通する列車も殆どありません。また、自分は五能線の途中駅である五所川原まではバスで来たという事もあって、乗り潰しは2日に分けて行うことにもしていました。1日目は五所川原~東能代間、2日目は川部~五所川原間…という感じです。少ない本数の中で考えられた最良の乗り方であり、次の日には完乗が終わっている…そう思ってました。

 さて、先程の津軽鉄道で五所川原に着いてから、自分は五能線のホームに移動しました。ここでの待ち時間は10分強だったので、駅の待合室には行かず、そのままホームに向かったのですが、このとき待合室に行っていれば、少しは現在の様子が分かっていたのかもしれません。
 自分が乗ったのは、五能線のちょうど真ん中に位置する深浦まで行く列車で、五所川原には少し遅れて到着してきました。4両編成だったので車内は空いてて(この地域で4両は長いほうです)、初めて乗る五能線を思う存分楽しもう…と思っていました。
 しかし、どうやら外は凄い風が吹いているらしく、列車がよく揺れます。雨は降ったり止んだりですが、風が強い為、降っている時の雨は凄い事になっていて、真横に降っているかのように見えてしまいます。
 そんなこんなで、鯵ヶ沢という駅に到着しました。ここで後ろの2両を切り離すという事で、列車は15分ほど停車するとのこと…。ここからの車窓は、日本海が広がる区間です。せっかくなので気持ちも新たに、自分は駅の外にも出てみることにしました。
 この時、改札では何かガヤガヤとした様子がありました。どうやらここで降りる人、1人1人に何かを聞いている様子です。自分も例外ではなく、「お客さんここで降りますか?それとも、この先まで行かれますか?」…と言われました。一瞬何のことか分からなかったのですが、「この先の五能線は強風の為、列車を運休してるんですよ。先まで行かれるのなら代行バスをご利用下さい!」…と。
 …なんと、五能線は運転見合わせになってしまったのです。先程まで乗っていた列車は深浦行きだったので、代行バスも深浦まで行く感じになっていましたが、これは乗るべきなのでしょうか…。元々、五能線を完乗する目的で来たのに、代行バスとは…、これは完乗に繋がるのでしょうか…。
 しかしこの時、自分は好奇心の方が勝ってしまいました。代行バスなんて、こういう時でないと乗れない…と思ってしまったのです。とりあえずは深浦まで行っておいて、そこからはまた何とかなるだろうと、まだ気軽な気持ちで自分はバスに乗り込みました。

   ちょっと不安になってきた頃です   線路を見る限り、しばらく列車が走ってなさそうな感じでした

 バスには30人近い乗客が乗っていて、7、8割方は観光客っぽい感じでした。よく考えたら今日は日曜日です。恐らく、その殆どの人が深浦まで行くのでしょう。お客さんの中には「凄い風だな…」とか、「この区間よく運休するんだよね」…とか言っていて、観光バスのような雰囲気も漂わせていました。
 鯵ヶ沢から先は、五能線は国道101号線とほぼ並行して走っていて、バスのルートもそれに沿って進んでいくようでした。ただ、五能線の各駅にも寄って走るルートとしており、やはり鉄道よりは時間が掛かってしまいそうなのは否めませんでした。しばらくすると車窓右側には日本海が広がってきましたが、海は時化てて、確かに鉄道を運行するには難しそうな感じの天気でした。何せ、あまりに波が高くて、それが鉄道敷地内まで届いてきていたからです。
 風は相変わらず強く、さすがのバスも強風に煽られてきています。バスには運転手の他、JRの職員の方も1名乗っていて、その方曰く、今日の風速は30メートルを超えてしまっていたそうです。その方は五能線の各駅に着くと、バスから降りて駅舎にお客さんを迎えに行くという役目もあり、雨が降っている時とかホントに大変そうな感じがしました。途中、千畳敷という風光明瞭な所も通ったのですが、この天気では、ただただ自然の猛威を見せつけられてる…という感じにしか受け取れませんでした。
 深浦の1つ手前に広戸という駅があったのですが、ここでは何と、五能線の列車が立ち往生しているのが目に入りました。すぐ背後には海が迫っており、片面のホームが1つだけある、何とも小さな駅だったのですが、どうやらここで運行を打ち切ってしまったようです。中に乗客はいなく、恐らく別の代行バスで既に移動したのでしょうが、この列車は12:00にはここに着いていたはずです。今はもう16:00になるかという頃ですので、もう4時間もこのままだという事になります。単線で列車が止まったままですので、逆方向の列車も通れず(というか、既に強風で運休中ですが…)、確かに五能線は運行不能になっているようでした。
 自分の計画では、深浦に着いた後、次の列車で東能代まで抜け、奥羽本線に乗り継いで弘前まで戻り、今日はそこで泊まる予定だったのですが、この“次の列車”というのは、先程の光景を見る限り、もう来ないのではないかと思ってきました。だとするとこれは大変な事です。右にあげたサイトの地図を見ていただければ分かるのですが〔http://maps.google.co.jp/maps←深浦駅…で検索してみて下さい〕、周辺には足となる手段が何もなく、五能線が運休中の今、正に陸の孤島になってしまっています。

   やっとの思いで着いた深浦駅(写真のバスで来ました)   要は列車は走れない…ということです

 もしかしてこれは、良くない状況なのかも…。やっと自分は今置かれた状況を認識し始めたところでした。今までは、何とか五能線に運転を再開してもらい、できるだけ鉄道路線に乗っておこう…という気持ちが少なからずあったのですが、現状況からいくと、何とかして弘前に行かなければ…という課題に置き換えた方が、実態に合っている気がしました。
 とりあえず深浦駅に着き、運行の状況を聞くと、次の東能代方面に行く列車も代行バスで…とのこと。しかも、列車の時刻より大幅に遅れて到着するとのことです。これには悩んでしまいました。東能代まで行っても、時間に遅れてしまうと、今度は弘前への列車に乗り継ぎが出来なくなってしまうのです。先程、深浦まで一緒に乗ってきた乗客は、皆バラバラに宿などに向かってしまい、小さな駅にはお客は自分1人だけになってしまいましたので、余計に不安になってしまいます。
 しかも、何も運休になっているのは五能線だけではなくて、東北の列車は殆どが運休か遅れの状態になっているようでした。正に、鉄道は大混乱の状況だったようです。
 本来ならば、東能代方面の列車は16:30発でしたが、もちろん定刻にバスは到着しませんでした。この時点で自分は、今から東能代に行くか、やはり同じ路線を引き返して弘前に戻るかで悩んでいました。弘前方面に行くバスは17:09発…。このバスも、本当に弘前駅まで行ってくれるかどうかは怪しいところでしたが、確実性はこちらの方が高そうです。
 この深浦から先も行ってみたいところだったのですが、よく考えたら、バスだとこの先どれくらい時間が掛かるのかが想像できません。また、やはり東能代からの事を考えると、足取りが鈍ってしまいます。東能代方面のバスは17:00前くらいには到着してくれましたが、以上のことからそのバスは見送り、結局自分は今来たルートをバスで戻る事にしました。何とも虚しい決断になってしまいましたが、この時の状況からいくと、何とか宿まで無事に辿り着きたい…という思いで一杯だったのです。

   結局、行きと同じバスでした…

 時間的には17:00過ぎでしたが、もう辺りは真っ暗で、車窓もあまり期待できる感じではありませんでした。暗闇の中の日本海はまた荒々しく目に映り、先程とはまた違った表情を感じさせてくれました。車内には自分の他にもう1人だけ乗客が乗っており、途中からさらに1人が乗ってきて、バスの中の乗客は3人だけという状況がしばらく続きました。
 列車より20分遅れて鯵ヶ沢、40分遅れて五所川原に戻ってきました。時刻は19:30を回っていましたが、弘前には何とか着けそうな気がしてきました。すると、バスに乗っていたJR職員の人が、この五所川原駅からタクシーに乗り換えて下さいというのです。バスの乗客は1人増えて4人になっていましたが、そのうち1人は途中の藤崎という所まで、あとの3人は弘前まで行くということで、タクシーでも十分という判断なのでしょう。また、このバスは五所川原で折り返して、鯵ヶ沢方面に行く乗客も乗せなければならず、このような方法をとったみたいです。代行タクシーというのも、ある意味貴重な体験でしたが、全部で4人という乗客だから可能だったとも言えそうです。

   弘前駅でも、列車の遅れ、運休は目立ってました

 結果的には弘前駅には20:00過ぎ頃に到着できました。元々は19:30頃に着く予定だったので、許容範囲といえば許容範囲ですが、何だか色々あって疲れてしまいました。あの時、東能代方面のバスに乗っていたらどうなっていた…とか、そもそも、最初に着いた鯵ヶ沢駅で五能線は諦め、弘前に折り返していたら…とか、次から次へと考えてしまいますが、どの方法が最善かなんて自分には分かりません。しかし、今となっては面白い思い出にはなったと思います。そして、貴重な経験もしたと思います。とにかく、五能線は次回にリベンジを果たすべく、この日はぐっすりと眠りました。


 ●弘前の足、弘南鉄道

 さて、旅としては2日目になりましたが、この日は午前中に、弘南鉄道という地方私鉄に乗りに行きました。この鉄道は青森県の弘前市を中心に、黒石という所まで行く路線(弘南線)と、大鰐という所まで行く路線(大鰐線)の2路線を保有しており、地元民の気軽な足として利用されています。
 実は、こういった地域に根付いたような風景を見るならば、JRより私鉄の方が良いと思っています。駅の間隔の短さ、民家を縫うように敷かれた線路、明らかに普段着の生活という感じです。この鉄道も例外ではなく、生活の一部として使われている路線…というのがよく分かりました。

   弘南電鉄の車両の“顔”は2種類あります(黒石駅にて)   雪がちらついていた黒石駅

 最初に乗ったのは弘南線です。弘前の駅はリニューアルされており、駅舎は橋上化、また、駅ビルと一体型になっていました。昔来た時は、これぞ地方の主要駅…という感じだったのですが、随分と近代化されたものだと思います(逆に、旅情感は薄れてしまったかもしれませんが…)。
 弘南線のホームも綺麗になっていました。そこには2両編成の電車が停車していて、いかにも地方の私鉄という感じを醸し出しています。ここから終点の黒石までは30分弱。小さな旅ですが、そういった雰囲気も自分は嫌いではありません。
 弘南鉄道で使われている車両は、その殆どが東急電鉄から譲り受けたもので、ワンマン化の対応や耐寒構造にはなっていますが、基本的には東急時代のままです。東急時代には8両編成で走っていたので、中には先頭車化改造が行われた車両もあります。元々、この車両は『弁当箱』というあだ名が付けられていたのですが、先頭車化改造車は突起もないのっぺらぼうなスタイルとなっているため(写真左上の左側の車両)、さらに輪をかけた弁当箱となってしまっています(笑)。

   車内は東急時代そのままと言って良いです   東急東横線を走っていた名残がここにも見られます

 1時間強で黒石まで往復してきました。次に乗るのは大鰐線です。これも弘前から出ている路線なのですが、大鰐線の起点は中央弘前駅といって、JRの弘前駅からは徒歩15分くらいといった場所に存在しています。名前の通り、弘前市の繁華街近くに存在しているのですが、他線との接続も無く、駅前も狭いため、今ではマイナーな感じは否めません。地図で場所を確認し、そこまで歩いていくことにしました。
 しかし、これがまた分かりにくい所にあり、自分は道に迷ってしまいました。本来ならば、中央弘前駅10:15発の電車に乗りたかったのですが、やっとの思いで駅を見つけたときには、時計は10:20を回っていました。次の電車は11:00発…。面白くないので、駅の中にあった、明らかに美味しくなさそうな食堂で、自分は遅い朝ごはんをとる事にしました。

   中央弘前駅への道は迷いました…(笑)   赤い線の車両も存在しています(大鰐駅にて)

 予定としては、この大鰐線に乗って終点の大鰐駅へ…。ここでJR奥羽本線に乗り換えて帰路に着こうと思っていたのですが、中央弘前駅11:00発の電車だと、JRとの接続が2分しかないのです。だからこそ1本前の電車に乗りたかったのですが、これもう賭けるしかありません。大鰐駅は初めて通る駅ではないですが、乗り換えにどれくらい掛かるかまでは記憶にありませんでした。なんせ、この乗り換えにしくじると、次の列車まで3時間半も待たなくてはならないのです。
 11:00発の電車に乗り、道中は気が気ではなかったのですが(また電車のスピードが遅いんです…笑)、何とか予定通り11:28に終点大鰐駅に到着しました。これが1分でも遅れたら大変な事でした…。JRの発車は11:30で、ホームは跨線橋を渡ればすぐの所にあり、これも無事乗り継ぐ事が出来ました。ホッと一安心です。
 …というように、最後は慌しい感じで弘南鉄道の乗り潰しは終わったのですが、良い雰囲気の鉄道だったので、また忘れた頃に乗りに行きたいなとは思いました。意外にも車窓はバラエティに富んでいて、林檎畑の中を走るシーンもありました。その辺りの季節に行くのも良いかもしれませんね。


 ●日本海に沿って南下する

 大鰐駅でJRに乗り継ぐと(JR側は大鰐温泉駅)、後はひたすら日本海に沿って南下するのみです。この記事の最初にも言ったとおり、今回は青春18きっぷの旅というのが前提でしたから、特急は使わずに、普通列車のみの移動としました。大鰐は青森県と秋田県の県境付近に位置し、それなりに山間部も通るので雪は多かったのですが、秋田県に出て、そのまま日本海側に出るとそれは少なくなってきました。同じ雪国のイメージでも、山側と海側では全くその表情を変えてしまいます。

   青森県と秋田県の県境はこのような状況でした   新幹線が開通して、一気に近代的になった秋田駅

 そのまま列車は秋田駅へ…。ここも弘前駅と同じく、昔は地方の主要駅らしい風情があったのですが、新幹線も開通した事から、それはそれは立派な駅へと変貌を遂げています。ここから新幹線を使うと、東京までは直通で約4時間の行程です。しかし、自分は普通列車のみの移動なので、まだまだ時間は掛かってしまいます(ルートも遠回りですし…)。それはそれで、秋田の遠さがより実感できるというものです(笑)。
 今までは奥羽本線に乗ってきましたが、ここからは羽越本線に乗り換えになります。奥羽本線だと、この先内陸部を通っていくルートになるのですが、羽越本線はこのまま新潟まで、ほぼ日本海側に沿ったルートを通ってくれます。車窓からも日本海は見え隠れし、時には太陽も覗かさせてくれました。

   日本海を望みながら列車は走ります   羽後本荘からは、由利高原鉄道にも乗りました

 途中の羽後本荘という駅からは、第3セクター運営の由利高原鉄道にも乗ってきました。これも今回初めて乗る鉄道でしたが、乗客の少ない事少ない事…。自分の他に学生が4人だけで(復路なんて、自分の他に1人だけの状況です)、しかも途中での乗り降りは殆ど無しです。日曜ということも影響しているのでしょうが、改めてローカル線の利用率の厳しさを垣間見てしまう事にもなりました。また、この路線は海から離れて内陸部に向かっていくルートを通るのですが、内陸に入るにつれて、徐々に雪が多くなってくる様子も興味深かったです。

 由利高原鉄道を終点まで往復し、また羽後本荘に戻ってきたのは16:30頃でした。そろそろ日も暮れ始め、後は真っ暗の中を走っていくという景色が続きます。
 この辺りを走っているJRの車両(電化区間)は701系といって、JR化後に登場した比較的新しめの車両なのですが、車内が東京の通勤電車のように、ロングシート(窓に背を向けたシート)というのがいただけません。これだと車窓を見るのに苦労してしまうのです。また、車内で駅弁を広げる…という行為も厳しいでしょう。確かに、少ない車両で多くの人を乗せる…というのには大いに貢献しているのですが、それによって旅情が薄らいでしまっているのは事実です。

   JRの東北地方の主力車両、701系   何回も列車を乗り継ぎました(村上駅にて)

 この車両で酒田という所まで行き、また別の列車に乗り換えです。先程の701系の運用範囲はここまでで、後はディーゼル車で村上という所まで(酒田~村上間は、電化はされているのですが、普通列車は全てディーゼル車という区間です)、そしてその先は115系という、少し前までJR宇都宮線や高崎線でも走っていた、国鉄型の近郊電車で新潟まで向かいました(これらの列車はセミクロスシートでした)。
 新潟付近は流石に街が明るく、今まで何も無いような所を走ってきた自分にとっては、大都会以外の何物にも映りませんでした。新潟到着は23:25。ここで“ムーンライトえちご”という快速の夜行列車(新宿行き)に乗り換え、そのまま東京の池袋まで一気に向かいました。この時点で日本海とはおさらばですが、日本の広さ(長さ?)を感じさせてくれた旅立ったとも思いますね。


 このように、2日間(…と少し)の鉄道の旅は終えましたが、2日目は1日中鉄道に乗りっぱなしですね(自宅の最寄り駅に着いたのが、次の日の朝5:30でしたから…)。1日目もトラブルが起きてしまった為、全体的には久しぶりに大変な旅だったようにも思います(笑)。しかし心のどこかで、こういう旅も経験しなければいけない…と思う自分がいたりするわけで、やはり自分は旅好きだという事が、改めて認識できた日でもありました。

 ☆青森空港のHP…http://www.pref.aomori.jp/kowankuko/airport/index.html

 ☆津軽鉄道(つてつ)のHP…http://tsutetsu.web.infoseek.co.jp/
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竹内

Author:竹内
1980年1月29日生まれのO型。
3歳からクラシックピアノを始め、
高校ではジャズに目覚め、大学では
バンドも経験する。現在は関東を
中心に、ライブハウスやホテルの
ラウンジ、レストラン等で演奏を
行っている。また、写真好きが興じて
簡単な写真撮影の仕事もしている。
…そんな29歳です。



次回のリーダーライブ

2010年2月7日(日)
外苑前 Z・imagine
Open…18:00~(予定)、
1st.…18:30~、2nd.…20:00~、
Charge…2700円(ドリンク別)
(Pf)竹内大輔
(B)池田暢夫
(Ds)佐々木俊之



竹内大輔トリオCD発売中(試聴可)!

   cd-pictures-mini.jpg
       Pictures

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