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竹内大輔の写真日記(~2009)
ピアニスト竹内大輔の、2009年までの日々を綴った日記です。
過去の写真から 8.
 4年間やってきたこのブログも、今回と、あともう1回で終わりを迎えます。なんとか無事に終えられそうでホッとしているのですが、今回はそんな4年間を振り返る意味で、かなり久しぶりの、過去の写真から…シリーズをやります。取り上げる写真は、やはりこのブログに今まで掲載された過去の写真達でしょう。ブログのデータによると、今回の記事のも含め、2009年12月10現在、実に9175枚(種類)の写真が挙げられているみたいですが(まだ未完成の記事が残っているので、これ以上になる可能性は余裕であります)、とにかく懐かしい写真と共に、色々と振り返っていけたらと思います。


 ●自分名義ピアノトリオ

   最後の最後で記念撮影です   だから、いい顔をしてくれるんです(笑)!

 早速、懐かしい写真がやってきました(笑)。現在も続けて活動している、自分名義のピアノトリオの写真です。左上が2006年11月24日〔自分名義というライブ参照〕、千駄木 Django にて、記念すべき第1回目のライブ時のもので、右上が2009年9月24日〔CD『Pictures』、売上500枚記念打ち上げ♪参照〕、タイトル通り、自分達のCD売り上げ枚数が500枚を突破したのを記念した打ち上げのものです。…双方には、約3年の月日が流れております(笑)。このトリオの活動は、このブログと共に、これまで成長を歩んできた自分の作品の1つとも言えるものなので、ブログ終了後も大事にしていきたいと思いますね。これからもよろしくお願いします!


 ●自分名義のCD

   右のクリアケース版は、そろそろ数が少なくなってきました!   こう、何枚も束にして見ると壮観です♪

 この4年間で、幾つかのCDにレコーディングをさせて頂きましたが、その中で自分名義的に作ったCDが2種類あります。1つは左上で、2007年5月26日〔honey side.レコ発ライブ!参照〕に行われた、ボーカルの児玉薫とのユニット、honey side. のレコ発ライブで発売させた『花が咲く音』。もう1つは右上の、上記の自分のピアノトリオによる『Pictures』で、2008年10月17日~18日に掛けて行われた名古屋ツアー〔竹内大輔ピアノトリオ、名古屋ツアー(2008.10.17~10.18)、自分名義ライブ15回目参照〕で発売をさせて頂きました。写真はその2週間後くらいに、これからバシバシ売るぞ!…と意気込みを掛けている時のものです〔“Pictures”販売、その後 1.参照〕。どちらもそうですが、やはりオリジナル曲が“CD”という作品を通して、皆さんに聴かせる事が出来るというのは、この上ない喜びで、そして形に残るというのが何より素晴らしいですよね。…これからもまた、良い作品を残せるように精進していきましょう!


 ●息の長いバンド達(Generation Gap)

   水戸 Bubble でのライブ後の写真…皆微妙に酒が…   8人がまた勢揃いですね

 Generation Gap というバンドに、自分がサポートで参加したのは、2005年の11月19日~27日に掛けて行われた北日本ツアー(富山、旭川、士別、仙台、水戸)が最初でした。左上はそのツアーの最終日(27日)、茨城県の水戸 Bubble というお店で行われた、千秋楽のライブ時〔2005年を振り返る(11月)参照〕のものです。そして右上は、2009年の11月25日〔勝手に横浜ツアー再び、1日目♪参照〕と、ごく最近に行われた、横浜 Hey-Joe での Generation Gao 最新のライブ時のものですね。…双方の写真には約4年の差(!)がありますが、自分もサポートながら、本当に長い付き合いになっていますよね。
 このバンドは、今年の年末にもライブが予定されていて、自分はそれには出られなくなってしまったのですが、また来年の1月24日(日)に、同じく横浜 Hey-Joe でライブが予定されています。もちろん、こちらには出演させて頂きますので、今後とも頑張っていきたいものです!


 ●息の長いバンド達(黄門御一行バンド)

   たまには踊ります   Diamond を熱唱中でしょうか

 黄門バンドも、自分が参加していて、現在までコンスタントにライブを続けているバンドの内の1つでしょう。当初はボーカルの恭子さん、ベースの植木さん、そして自分の3人で黄門トリオとして結成され〔黄門トリオ!参照〕、左上はその2回目のライブ、2006年8月2日〔黄門トリオも再び!参照〕のライブ時のものになります。そして右上は記憶に新しい、2009年12月3日〔2009年最後の黄門御一行バンド参照〕のライブ時のものです。やはり双方に約3年4ヶ月程の月日が経っています…。場所はどちらも五反田 Rocky(当初は“R ”という名前でした…)にてですが、このバンドは、一貫してライブをやる時は Rocky なので、これは珍しい事だとも思いますね。そして次回のライブは来年の1月13日(水)、もちろん Rocky にてですので(笑)、これからも変わらない感じでやっていきたいと思います♪


 ●オリンピック

   日本選手入場!   日本の代表として、頑張って頂きたいですね!

 4年という月日は、オリンピックの記事を見ても明らかですね…。左上は2006年、イタリアのトリノで行われた冬季オリンピック〔トリノオリンピック開会式参照〕のもので、右上はもちろん2008年、中国の北京で行われた、夏のオリンピック〔2008年度暑中見舞い参照〕ものです。…既にどちらも懐かしいですが(笑)、よく考えたら、次のカナダのバンクーバ・オリンピックは来年に迫ってますからね…。やはり4年という歳月は大きいようです。


 ●色々な国に行きました

   目の良い人なら、自由の女神も発見できるかも…南側を望む   いつ見ても綺麗ですよね…

 元から海外旅行が好きだった自分ですが、このブログでも色々な国に行った記事を書かせて頂きました。その中でも、この4年間に2回も行った、アメリカのニューヨークと、フランスのパリは、やはり自分も相当好きな街なのでしょうね。改めて説明するまでも無いように思いますが、左上が2008年の3月5日~14日に掛けて行った、ニューヨーク〔旅日記 20.(アメリカ、ニューヨーク編…2008.3.5~3.14)参照〕はロックフェラー・センターのトップ・オブ・ザ・ロックから見たマンハッタンで、右上は2009年7月22日~28日に掛けて行った、パリ〔旅日記 31.(フランス、パリ編…2009.7.22~7.28)参照〕の夜のエッフェル塔です。どちらも2度目に訪れた時のものですね。まだまだ今後も、海外は攻めていきたい気持ちで一杯でして(笑)、そして印象に残る写真を撮り続けたいです。そして、そんな写真を見返す度に、また自分は海外に行きたいと思ってしまうのでしょう(笑)。


 ●日本国内にも色々行きました

   福岡空港にて…これで最後かと思うと、感慨深いです   広島駅でも0系は注目の的でした

 海外に負けず劣らず、色々と回っていたのが日本国内です。4年間で一体何ヶ所に行った事やら…(笑)。これは個人的な旅行の他に、ライブツアー等で回った事も何度かあり、しかもその帰りに自分で別行動をして旅を始めてしまうケースもあったので、必然的に巡る場所が多くなってしまうのだと思いますが、その中でもこの2つの写真に関する旅は、これまでの中でも特筆すべきものであったと思います。
 左上は2006年の9月12日~13日で九州を旅した時のもので〔旅日記 6.(九州編…2006.9.12~9.13)参照〕、場所は福岡空港、写っている飛行機はYS-11という日本製の旅客機になります。右上は2008年11月30日~12月1日に西日本や九州を旅した時のもので〔旅日記 26.(山陽・九州編…2008.11.30~12.1)参照〕、場所は広島駅、写っている車両は皆さんも御存知の、新幹線0系という車両になります。
 これらは、それぞれが現役を引退する直前(0系は、引退する正にその日に…です)に、わざわざ自分が乗りに行ったもので、本当に趣味に特化した旅になったと思いました。その意味では、これらの写真は現在ではとても貴重なものになると思いますが、やはり当時、引退を惜しいんでいたファン達で溢れかえっていた、それぞれの場所を思い出すと、あの時行っておいて良かったなと思いますね。どちらも、かつての日本の技術を惜しみなく注がれた交通車両ですから、鉄道、旅客機好きの自分にとっては、引退(必然的に、車両・機体の事も説明できますし…)の事をこのブログで紹介出来るのも本望だったのです。


 ●偶然撮れた写真

   忘れられない機窓の内の1つです!   写真以上に、はっきりと見えました!

 長年ブログをやって写真を撮ってますと、予想もしない光景に出会える事があります。この2枚の写真は、その中でも特に印象的だった瞬間の写真です。どちらも海外での出来事になってしまいますが、左上は、2008年の3月5日~14日に掛けて行ったニューヨーク〔旅日記 20.(アメリカ、ニューヨーク編…2008.3.5~3.14)参照〕の帰りの機内からの景色で、恐らくカナダかアラスカ上空だとは思うのですが、この時の機内の窓はシェードで閉められていて、たまたま何となく開けた時に目に飛び込んで来た光景です。どこまでも続く雪山の幻想的な雰囲気が美しいですね。
 …そして右上は、2009年の1月24日~28日に掛けて行ったグアム〔旅日記 27.(アメリカ準州・グアム編…2009.1.24~1.28)参照〕でのもので、これは虹という偶然の自然現象ですから(確かに、グアムでの虹の出現頻度は高いですが、ここまで大きく、そしてはっきり見えるのは珍しいのでは…)、本当にたまたま撮れたもの…という事です。…あまりに嬉しかったのか、この写真はグアムから帰ってきた直後〔31℃から6℃の世界へ…参照〕に記事に挙げてますね(笑)。
 これらの写真は、狙って撮ったものではないので、あくまで運が良かっただけですが(笑)、やはりカメラは常に持っておいて損は無い…と思った瞬間でもありましたね。ブログが終了すると、どれだけ自分はカメラを持つ機会が少なくなるのか気になりますが、今後ちょっと考えておかなければならない事柄かもしれません…。


 他にも色々と振り返りたい写真はありますが、一応これくらいにしておきましょう…。それにしても、写真というのは記録にもなりますし、その後の記憶にもなりますね。何だか今回の記事は、書いていても個人的に随分と楽しむ事が出来たと思います(笑)。それでは、最後にこんな写真も…。

   苦労して撮った写真です   なるべく当時を真似てみたものの…

 …ブログを初めて間もない、2005年12月12日〔書き込み2日目参照〕の写真(左上)と、ついさっき撮った(笑)写真(右上)です(1枚目の写真のサイズは御愛嬌…)。場所は自宅で、なるべく同じ構図で、なるべく同じ表情を狙って撮ってみたものの…、


 うーん、、、老けたな…(涙)。


 この4年間で撮ってきた写真をわざわざ引っ張り上げてこなくても、この2枚の写真だけで4年という歳月を感じてしまうというオチしでした…(笑)。さあ、気を取り直して、次回は最終回です!
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テーマ:写真日記 - ジャンル:写真

過去の写真から 7.
 随分久しぶりのコーナーですね。前回が2006年の3月の事だったので〔過去の写真から 6.参照〕、実に2年半振りの復活という感じでしょうか(笑)。今回は、ある事が切っ掛けで思い出した写真の話しから始まります。

   今でもまだ鮮明に思い出せる、懐かしい場所ですね…

 写真の場所がどこだか分かるでしょうか…。これは、日本で一番北にある駅、北海道の稚内駅にてで、そこの正に線路の先端を写した写真です。看板には“最北端の線路”と書かれていますが、正にその通りなわけですね。日にちは1998年の8月の事で、大学1年生の夏休みの事でした。
 この1年前になるのですが(要するに高校3年生の時)、自分は友達を1人連れ、西日本を鉄道で半周した事がありました。部活の合宿が金沢だったので、合宿が終了次第、そのまま進路を西へと向け(笑)、日本海側を通りながら九州へ、そして九州内も反時計回りで1周し、帰りにはちゃんと四国も周り、そして紀伊半島も周ってきつつ東京まで戻ってきたのです。このルートは、要するに海側を通らないと“周”にならないという勝手な縛りを自分に与えたもので、妙に遠回りをしていましたが、更には貧乏旅行だったので、全て“青春18きっぷ”による旅となっていました(つまり、新幹線・特急等は使えないという旅です)。
 今考えても無謀な行程でしたが、この事をまた別の友達に話すと、「今度はぜひ東日本半周を!」という声が掛かりました。そして、それから1年後、つまり大学1年生の夏にそれは実現し、高校の頃の友達4人で東日本半周の旅(もちろん、青春18きっぷを使用して、北海道も組み込んでいます)が実現して、上記の写真を撮る事が出来たのです。
 その旅は上野駅から始まり、東北本線…ではなく、常磐線で北上するところから始まりました(笑)。もちろん、常磐線の方が海側を走っている為ですが、ここで更に厳密に考えると、千葉県の房総半島も1周しなくてはならないのか…という話しにもなってしまう為、この時は常磐線がギリギリのラインで実行させて頂きました。その代わり、宮城県以北は、ちゃんと?海側である三陸海岸側を通り、そんなのんびりとした旅ではその日のうちに北海道に到達できるわけもなく(笑)、気仙沼に1泊したのです。その後、車中1泊、ホテル2泊、更に車中3泊(!)という行程を辿った記憶があるので、合計で7泊8日の旅をしていたという事になるのですが、本当に珍道中もいいところでした。特に思い出深いのは、最後の日程であった、新潟県の村上駅発の夜行列車で新宿まで一気に帰れるというところを、台風の為に途中の上越線が不通になって、列車の行き先も新潟になり(笑)、そのまま新潟駅で一夜を明かしたという事です。新宿行きが新潟行きに…、一字違いですが、これは大きな違いでした…。

 …とまあ、この旅を思い返すと色々と書いてしまうのですが、何故こんな話しをしたかというと、先日、その4人の中の1人が結婚をし、自分もその2次会に参加してきて、懐かしい面々と会う事が出来たからなのです。
 ところで、自分は中学から立教で、そのまま高校、大学と立教のまま進んできたのですが、大学に入る前と入った後では、友達付き合いが全くと言って良いほど変わってしまいました。恐らく大学のサークルが影響していたのだと思いますが、つまりは大学入学以降、高校までの友達とは殆ど会う事がなかったのです。
 先ほどの東日本半周の旅は、既に大学に入った時でしたが、本当にこれ以降、高校までの友達と遊ぶ事は滅多に無くなってしまったのです。…そして、その状況は大学卒業後も続き、何年間も音沙汰が無い時が続いていたのですが、先日、自分の携帯に「結婚する」との一報が入り、そして何年振りかの再会を果たしたわけです。

   新郎がカラオケを披露しております(笑)

 今回結婚した彼と自分の出会いは中学1年生からで、その頃自分は写真部に所属していたのですが、彼もその部に所属する、数少ない部員の内の1人でした。そして自分達も3年生になり、自分が部長、彼が副部長を務める事になったのですが、上の人がいなくなると、部員は自分達を含めて5人しかいなく、何とか部員を獲得させたいと思っていたのです。そんな状況で、中学3年生の4月に部活紹介スピーチを行ったのですが、その熱が伝わったのか、なんとその年には新入生が15人も入ってきて、一躍メジャーの倶楽部の一員になれたという経験を分かち合う事が出来ました。
 …なので、彼とは同じ写真部の苦労と成功を経験してきた仲とも言えるのですが、そんな彼が結婚する事になるとは…何とも感慨深いものですよね…。随分久しぶりに顔を合わせた筈ですが、お互い変わりなく、昔の事が簡単に思い出されるようでした。変わったと言えば、彼がいつもに増して幸せな表情だった…という事になるのでしょうか。改めて、御結婚おめでとうございました!

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過去の写真から 6.
 前に Dixie Pork というバンドで一緒の、小口一真というボーカル兼ギターリストの友達(…というか、それ以前に大学のサークルで同期)のブログを紹介しましたが、あれから約2ヶ月、ようやく『振り返れば奴がいる』に更新の兆しが見えたので、ここで再度写真付きで補足を加えたいと思います。
 …と彼のブログを見てたら、何とこのシリーズはこれでもう最後だと…。まあ一真らしい感じではあるのですが、確かに、これからは「今」を語りたいという気持ちもわからなくはないので…、とりあえず、彼のブログとここの写真とを併せてご覧下さいませ。こんな過去があったんだ(大袈裟な…)ということがわかります(笑)!

 小口一真の武呂愚(ブログ)、振り返れば奴がいる⑤参照。

   貴重な話しがいっぱい聞けました   秋山さんはライブでも喋るほうでした

   ライブの合間にMCというのは、今でも良い発想だと思います   一目で温泉旅館だとわかりますね…

 写真左上〔2002年参照〕…埼玉県は入間市にあるフェローズというライブハウスで
                   知り合ったバンドの1つ、イギリス出身の外国人バンド“Trees”。
                   ついでに、この時一真は酔っ払っていて、外の車でお休み中。

 写真右上〔2003年参照〕…5人でやっていたライブから1枚。上野チャーチにて。
                   この次のライブで秋山さんは正式脱退してしまう…。

 写真左下〔2004年参照〕…自分達で何から何まで企画したイベント『みんなのブタ』。
                   自分たちも入れて5バンドが参加し、ライブの
                   合間にはメンバーを混ぜたMCも取り入れた。
                   写真中央は“Sole Jack Cay”というバンドの加藤さん。

 写真右下〔2005年参照〕…メンバーの清水さんに、レコーディング作業お疲れということで、
                   我々から群馬県猿ヶ京温泉(1泊)のプレゼント!
                   しかし…この約2ヵ月後には驚きの事件が…。

 …こんな感じです。何だかこっちが懐かしんでしまいますね。メンバーや関係者は特にそう思うことでしょう…。さて、また写真が役に立つ日は来るのでしょうか?

 ☆小口一真の武呂愚(ブログ)…http://blog.livedoor.jp/kazumasa5493/

テーマ:写真日記 - ジャンル:日記

過去の写真から 5.
 このブログで何度も紹介している Dixie Pork のボーカル、小口一真氏ですが、このたびブログを開設したそうなので、とりあえずリンクを貼らさせていただきます。

 ☆小口一真の武呂愚(ブログ)…http://blog.livedoor.jp/kazumasa5493/

 なかなか面白い内容なのですが、特に気になるのが『振り返れば奴がいる』シリーズです。これは彼の経歴+“Dixie Pork の成り立ち”という感じの記事なのですが、やはり自分は当事者でもあるために、ついつい食い入るように読んでしまいました。そして、懐かしくも思ったりしました。
 しかし、どうやら写真は掲載していないため(持ってないのか…)、読んでいる方にとってはこれらの“絵”までははっきり浮かばないんじゃないかと思うのです。そこで、その当時の写真を持っている自分が、“振り返れば奴がいる”の補足という意味で、ここで写真の掲載を行いたいと思います。
 楽しめるか楽しめないかはわかりませんが、興味がある方は一真のブログの文章と併せて、一度ご覧になってみて下さい!

   この5人が揃うことは今後あるのだろうか   現実を受け入れないようにしています

   ちょうど野望に満ち溢れている時ですかね   今思えばこの時はメンバー多かったな…

 写真左上〔振り返れば奴がいる①参照〕…結成して初のライブ。まだバンド名が Yapoo!だった頃。
                           撮影日は2000年7月13日、原宿 Ruido にて。

 写真右上〔振り返れば奴がいる②参照〕…女子大の学際に出演ということで朝9:00入りの
                           予定だったが、前日の深夜練習のためか
                           こんな時間まで寝てて、もう半ば諦めかけている頃。

 写真左下〔振り返れば奴がいる③参照〕…サンフランシスコで泊まったホテル前のメインストリートにて。
                           夕方以降は街が少し怪しげな雰囲気だったが、2人はそれでも
                           歩いてストリップへと向かっていった(渥美はさらに夜中にもだ)。

 写真右下〔振り返れば奴がいる④参照〕…池袋 Studio Penta にて。清水(右から2番目)が加わってから
                           初の練習。この頃はよく池袋のスタジオに入っていた。バンド名も
                           Dixie Pork になりかけていた。撮影日は2001年4月3日。

 …という感じです。皆さん、より具体的な“絵”が思い浮かびましたか?これらの写真から、我々が当時どのような行動をとっていたのか、想像して楽しんでいただけたら幸いです(笑)

テーマ:写真日記 - ジャンル:日記

過去の写真から 4.
 前回、美希ちゃんとは1、2歳の頃からの知り合いで、自分が記憶にあるのは3歳ぐらいからだと書きましたが、証拠写真が出てきました(自分で探したのですが…)。

   時代を感じさせます

 これは1982年(今から約24年も前!)に行われたピアノ発表会の時の写真で、自分はどこにいるかというと、後列右から2番目の人に抱かれている子がいますが、これです。ついでに、抱いている人というのが我が父です(さらに言えば、後列1番右の人が…母です)!
 美希ちゃんは…というと、何となく面影があるのでわかるかと思いますが、前列左から2番目の子です。せっかくなので、前回の記事と比べてみて下さい。うーん、思えば綺麗になったもんだ。
 そして、後列左から2番目の人が、自分が3歳から習っていたというピアノの先生です。この方には、自分が大学生になる頃までですが(それでも15年以上もです)、本当に丁寧に教えていただいて、今の自分があるのも本当にこの人のお陰だと思っております。感謝しています。この間の結婚式にも出席されており、久しぶりにお会いしましたが、元気そうで何よりでした。
 まあ少々硬い文章になってしまってますが、実のところ3歳から習っているし、元々親の知り合いという関係なので、今でも昔の癖で自分は先生に対し「ちーちゃん」(名前が千恵子なので)と呼んでしまってます。確かに先生は先生なんですけど、あまりにも付き合いが長いために、今さら敬語になるのが逆に恥ずかしい…みたいな。まあこれはこれで良いのかもしれませんけどね(笑)
 そんなわけで、とてつもなく昔の写真を掲載してしまいましたが、ここに写っている方々は今頃どうしているのでしょうか。どちらにしてもこんな所で使われているとは夢にも思ってないでしょうね…。先に謝っておきます。

テーマ:過去のお話 - ジャンル:日記

過去の写真から 3.
 話しが前回の続きになってしまうんですけど、日本海側では雪が積もって大変だということで、なんかちょっとそれっぽい写真はないかな~と思い、過去の(電車の)写真を探してみました。
 これでも日本全国にはほとんど行ったことがあるので、その候補を選ぶのも大変です(まあ雪の季節に行くとは限らないし)。しかし、探したらいいのが出てきました。場所は信越本線の妙高高原駅。長野県と新潟県の県境辺りに位置し(駅は新潟県)、ちょうど電車で行くと山のサミットを越えた辺りです。
 日付けは残ってないのでちょっとわからないのですが、大学1、2年生の頃だとは思うので、遡って今から7、8年前といったところでしょうか(もうそんなに前か…)。

   これこそ雪国の路線です

 これは停車している電車を撮ったものではありません。まさに電車が駅に進入してきたという写真です。線路が雪に埋もれて見えず、電車が雪を掻き分けて進んでいるのがよくわかります。さすがにこれでは電車もスピードが出せないためか、時速20kmぐらいででノロノロと到着してきたのを覚えています。
 この時は確か1時間半ぐらい遅れての運行で、とにかく動いてくれれば良いという状況でした。写真ではそこまでわからないかと思いますが、実は相当雪が吹雪いています。10秒ぐらい外に出ていると、傘があろうがなかろうが、すぐに雪まみれになる感じです。ここまでの雪はそう体験したことはありませんでした。

 このあとは写真の電車に乗り、日本海に面した直江津という所まで行きました。そこは雪こそ降っていたものの、さすがにここまで積もっているということはありませんでした。で、新潟まで出て東京に戻ったのだと記憶していますが、今思えば、かなりハードな旅をしていたなと思います。まさかその時撮った写真が、こういう機会で皆さんにお見せすることになるとは…。撮っておくものですねぇ。

テーマ: - ジャンル:日記

過去の写真から 2.
 前に『1枚の写真から』という回がありましたが、このタイトルだと1回につき2枚以上の写真が紹介できないということに気付き(しょうもない)、今回から『過去の写真から』にタイトルを変更させていただきます。同時に前のタイトル、そしてカテゴリー名も変更しときますが、内容は前の時と変わりません…よろしくです。

 ということで今回紹介するのは、今から遡ること5年前…Dixie Prok の前身である、Yapoo(ヤプー)というバンドのメンバーでアメリカに行ったときの写真です。日付を見ると、2001年2月19日~2月27日となっております。自分はこのとき大学3年生で、まさにテストが終わった直後ぐらいの時期になります(要するに浮かれている時期とも言えますね)。
 メンバーはこの時5人で、小口一真、渥美朋久、そして私竹内はこの時からいますが、他に阿部拓歩(B)、馬淵貴弘(G)という人がいました。もちろん、全員同じ大学のサークル仲間です。

   着いた次の日で、皆ドキドキのはず   この陽気さがカリフォルニアっぽい

 さて、そんなメンバーで、まず我々はロサンゼルス(左写真…ダウンタウンにて、右写真…ビバリーヒルズにて)に行きました。メンバーはアメリカが初めての人がほとんどで、皆楽しんでいる様子でした。写真意外の場所ではハリウッド、またグリフィス天文台というロサンゼルスの夜景が見渡せる場所にも行きました(ここは本当にお勧めしたい)。
 何てったって、ロサンゼルス市というのは関東平野とほぼ同じぐらいの広さがあるのです。アメリカ初心者の我々にとっては、有名な場所に行くぐらいがやはり限度でした。それでも、着いた初日から黒人にお金をせびられたり(結局渡さざるを得なかった)、行ったマクドナルドでは腐ったハンバーガー(確か中のチーズだったかな)を売られたり、夜ご飯にはバーベキュー・ビーフ・リブの量の多さにやられ皆気持ち悪くなるなど、短い期間で十分“アメリカ”の洗礼は得られた感じでした。
 これでアメリカのイメージが悪くなってなればいいけど…と思います。

   写真に撮られるのを意識してますね   向こうの岩肌の高さは1km!にもなるらしい

 次に向かったのはサンフランシスコ(左写真…アルカトラズ島を望む)、そして自分と渥美だけですが、そこを拠点にヨセミテ国立公園(右写真)にも行きました。
 この辺りでは皆団体行動に疲れ、5人のメンバーは2人と3人に分かれて行動するようになっていました。自分は一真と渥美と一緒に行動してたのですが(一真はヨセミテには別料金がかかるとかいう理由で行かなかった)、今思えばこの時一緒のメンバーが、Dixie になってからもほとんど最後まで残っていたのです。何かしらの縁を感じずにはいられません。
 サンフランシスコではやはりアルカトラズ島や中華街等が面白かったですが、渥美と一真の(いや、ほぼ渥美なんですけど)ストリップ事件も負けないくらい面白かったです。まああまり言えた内容ではないので、ここでは自制させていただきますが…。

 7泊9日の旅行でしたが、これでメンバーの結束は固まったことでしょう…と思いきや、半年も経たないうちにバンド名は Dixie Pork へと変わり、清水が加入したものの、1年後には阿部、馬淵が脱退と、必ずしも安定した方向にはなりませんでした。そしてその後は…ご想像通り?です。
 確かに Yapoo というバンド名よりは Dixie Pork の方がいい気がしますが、この時はこの時で良き時代だったようにも感じるのです。なんせメンバー全員でアメリカ行ってますからね。こんなバンド、未だに他になかなか聞かないですもの…。

   これは成田空港にて…左が馬淵貴弘、右が阿部拓歩

テーマ:大学生活 - ジャンル:日記

過去の写真から 1.
 今日は特に書くことがなく、話題に困っていたのですが…昨日のアルバムを見てて、このような企画を思いつきました。題して『過去の写真から』です。ここでは、とある写真を振り返ってみる(だけ)という、単純明快なコーナーをやってみようと思います。

 では早速、どん!

   今となっては恥ずかしい写真ですね

 うわ…。5人の頃の Dixie Pork です。写真の日付には2003年3月17日とあるので、今から約3年前ということになりますね。下北沢にある Garage という所でのライブ後に撮ったものらしいですが…。
 なんか売れる感じがしないな…。自分だからそう思うのですかね。これ確かオーディション用の写真として撮ったような気がするのですが、ある意味強者ですね…我々って。うん、胡散臭さ満点です。…そういえばオーディションの結果って未だに聞いてないんですけど…。
 さらにこれ、年齢的に皆22歳~24歳のはずなんですけど…本当おっさんくさいですねぇ。まあそこが魅力のバンドだと言い聞かされてきましたが(何のこっちゃ)、まあこんな時代もあったってことで!

 …という感じで、話題がなくなった時はこのように写真を振り返る場(せっかく写真日記だから)にさせていただきますので…なにとぞご理解の程よろしくお願いします。
 あ、ついでに…、1月分から写真の表示のサイズが若干大きくなってるって、気付いてました?まあかなりどうでも良いことなんですけども…。

テーマ:人生を考える - ジャンル:日記



プロフィール

竹内

Author:竹内
1980年1月29日生まれのO型。
3歳からクラシックピアノを始め、
高校ではジャズに目覚め、大学では
バンドも経験する。現在は関東を
中心に、ライブハウスやホテルの
ラウンジ、レストラン等で演奏を
行っている。また、写真好きが興じて
簡単な写真撮影の仕事もしている。
…そんな29歳です。



次回のリーダーライブ

2010年2月7日(日)
外苑前 Z・imagine
Open…18:00~(予定)、
1st.…18:30~、2nd.…20:00~、
Charge…2700円(ドリンク別)
(Pf)竹内大輔
(B)池田暢夫
(Ds)佐々木俊之



竹内大輔トリオCD発売中(試聴可)!

   cd-pictures-mini.jpg
       Pictures

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