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竹内大輔の写真日記(~2009)
ピアニスト竹内大輔の、2009年までの日々を綴った日記です。
旅日記 31.(フランス、パリ編…2009.7.22~7.28)≪まだ途中です!≫
 昨年の〔旅日記 23.(フランス、パリ編…2008.7.23~7.29)〕の記事を仕上げてないにも関わらず、こちらを書かないわけにもいかないので、今年のパリに行った旅日記を書きたいと思います。できれば(いい加減に)前の記事と並行して書いていこうと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。


 もう、今から2ヶ月弱も前になってしまいますが、今年もパリに行ってきました!…昨年にも同じ時期にパリを訪れているので〔旅日記 23.(フランス、パリ編…2008.7.23~7.29)参照〕、前回から約1年しか経っていないわけですが、それだけパリは見所が多く(前回で2回目でしたが、主要な部分は大体見て回れたものの、それでもまだ見足りない部分はありました…)、そして魅力的な都市なのだと思います。
 また、前回と同じく、目的地はパリだけに絞りました(地方にも少し行きましたが、全て日帰りです)。何だか勿体無い気もしますが、むしろ1週間だけの旅行期間ですと、パリに絞らない限り、パリをよく知る事は出来ない気もするのです(実際そうだと思います)。フランスは、田舎町が良いという話しも聞きますが、やはり世界に名立たるパリという街を知りたいと思うのは当然で、今回の目的地がパリだけになったのも、そういった思いが強かった為です。今回も、色々な写真を用意していますので、どうぞ楽しんでご覧下さいませ!


 ●欧米方面では初経験の全日空

 今回のパリ行きの航空券は意外にすんなりと、日系である“全日空”に決まりました。海外に行く際に日本の航空会社を使うのは個人的には珍しいのですが、選んだ理由は簡単で、この時期のパリまでの直行便で、一番安い値段を提供していたからでした。
 全行程が1週間という自分にとって、やはり直行便は有難い存在です。また、前回と違って今回は、日本を朝に出発にする事が出来たので、成田空港を午前中に設定されている便を選びたいところでもありました。もちろん、それは現在の東京~パリ間の直行便の航空路を設定している、日本航空、全日空、エールフランス航空の3つの航空会社全てにあるのですが、自分は今回、全日空を選ばさせて頂いたわけです。
 …よく考えたら、全日空は国内線ではよく使うものの、国際線で乗る機会は殆どありませんでした。…と言うか、リゾート路線(ハワイやバリ島等)では日系の航空会社(まあ、日本航空ですね)を使った事はあるものの、欧米の長距離路線に関しては日系の航空会社を使った事は今まで皆無でした。これは単純に、リゾート路線系では値段を安く提供し、欧米線ではビジネス客利用も多いので、値段が割りと高い為ですが、今回の時期では何故か全日空の航空券が一番安かったのです(買う時期にもよるのかもしれませんが…)。
 こういった背景から、個人的には珍しい、日系の航空会社での移動が実現したわけですが、同じ航空会社でも、リゾート路線よりビジネス路線に特に力を入れていて、それはサービスも表れています。パリ線なんて、なかなか利用する機会が無いとも言えるので、この際、お馴染みの航空会社である全日空の“真”のサービスが見たかったのかもしれません。乗り慣れている航空会社だったものの、行く前からワクワクしていたのはその為だったのでしょう(笑)。

   頼れる日本の翼です!   これはシベリア上空ですね

 全日空のパリ行きは、成田空港11:20発で、飛行機は最新鋭の、ボーイング777-300ER型が使われていました。いわゆる長距離路線用の飛行機で、今や全日空を代表する機種と言っても良いでしょう。その分、機内にも最新の設備が施されており、全日空の長距離路線への拘りを随所に感じる事が出来ました。
 もちろん座席はエコノミーですが(笑)、今やパーソナル・ディスプレイは当然の設備で、また、座席も全日空のカラーである“青”に統一されているのに好感が持てます。今、自分は全日空に乗っているんだな…というのが実感できる事でもあり、これは心に落ち着きすら与えているような気がします。
 機内映画も豊富で、当たり前ですが、洋画は全て日本語字幕(または吹き替え)が出るのも、日系の強みと言えるでしょう。これが海外の航空会社でしたら、映画の本数は豊富なものの、日本語字幕や吹き替えが設定されているものは限られるので、かなり種類は限定されてしまいます。また、日本の航空会社だけに、邦画はやはり充実していますね。自分は“おくりびと”、“おっぱいバレー”、“ジェネラル・ルージュの凱旋”等を見ましたが(特に“おくりびと”は最高でしたね)、ここまで一度に見られるのは日系だけでしょう。また、テレビ番組の録画で“爆笑レッド・カーペット”とかやってましたし、洋画では“ドラゴンボール・レボリューション”とか、恐らく機内映画だからこそ見れたもの(笑)が沢山エントリーされているのが良かったです(ついでに言うと、マトリックスの3部作全てや、キャメロン・ディアスものが3作品程も上映されていました…あとは数が多過ぎて省略!笑)。もちろん、これらは全て早送りや巻き戻しが出来るので、本当にパリまでの約12時間のフライトを、この映画群で費やせると言っても過言ではありません。パリに到着する約1時間前、飛行機はベルギー上空付近だと思いますが、そこで“爆笑レッド・カーペット”を見て笑っている自分…。不思議な時代だと思いますね(笑)。

   衝立の前は、また違うクラスの席です   和的なメニューがたまりません(笑)♪

 食事もまた、日本らしい配慮がなされていました。右上の写真を見て頂ければ明白ですが、これは明らかに丼もので、しかも半熟玉子が乗っているではないですか!…わざわざ“食べ方”まで書いてある紙まで用意されていたのは頭が下がりますが(さすがに外人には、半熟玉子の殻を割って、丼の上に落とす…という行為は難しいかもしれません)、これもまた甘辛な味付けで美味でした♪…こういった機内食は本当に初めてで、やはり欧米路線では、食事にも相当なコストを掛けているような感じがしましたね。もちろん、自分はその時に一緒にビールやワインを注文しつつ、更に楽しい時間を謳歌していました。やはり旅は、ここから楽しまないと損ですよね!
 予想外だったのは、思ったより外人のフライト・アテンダントが多かった事でしょうか。実際、外資系の航空会社でも日本人のCAがいる事は当然なので、当たり前と言えば当たり前なのですが、何となく新鮮に感じてしまったのも確かです。自分で思っている以上に、グローバルな感覚というのは大切なのだと思いますね。
 こうして、当然ながら言葉に苦労する事も無く(これこそ当たり前です…笑)快適な約12時間を過ごして、現地時間の16:30頃に、パリ・シャルル・ドゴール空港に無事到着しました(10分ぐらい早く到着したようです)。そして飛行機の扉が開いて、日本語で「有難うございました、行ってらっしゃいませ」という声が掛けられます…。この時自分は、日系の航空会社を利用すると、現地で飛行機の扉が開いた瞬間に、外国の旅が始まるんだなと改めて感じたものでした。外資系の航空会社を利用すると、日本で飛行機に乗ったその瞬間から、海外への旅が始まると言いますが、正にその違いがはっきりと分かりました。どちらが良い…というのは、もはや愚問でしょう。ただ、安心感を買うのであれば、日系の航空会社に勝るものは他に無いような気はしました。…さあ、改めて、パリへの旅の始まりです!


 ●早速パリの洗礼を受けた、空港~ホテル間

 前回と同じく、パリの玄関口となっている所は、シャルル・ド・ゴール空港です。ただ、前回はエール・フランスを利用した事もあって、到着ターミナルは最新式のターミナル2に到着したのですが、今回は空港開業時からある、ターミナル1への到着となりました。もちろん、自分的には色々なターミナルが見れるので、その到着は願ってもない事でしたが…(笑)。
 シャルル・ド・ゴール空港が開業したのは1974年で、世界の空港スタイルをリードした空港でもあります。この年と言えば、ボーイング747(ジャンボ)が就航して間もない頃で、それまでは飛行機に乗る際は、タラップを付けて乗るのが主流だったのですが、この空港は逸早くから、ターミナルから飛行機に直接乗降できるボーディング・ブリッジを採用していました。
 ドーナツ型の円形ターミナルを中心に、計7つのサテライトが囲み、ターミナルとサテライトは地下道で結ばれています。地下道にしたのは、誘導路での飛行機の動きがスムーズになる為でもあります。…そして、ドーナツ型のターミナル中心部は、正にこの空港の“見せ場”となっていて、吹き抜けの空間にシースルーのエスカレーターが錯綜し、宇宙ステーションのような感じさえしてしまいます。空港開業時には、現在では運航をやめてしまったコンコルドが就航しており、この空港から飛び立つ姿は、それこそ未来の空の旅の象徴だった事でしょう。

   写真の右側のコンクリート橋がサテライトからの道です   サテライトからの道を抜け、ターミナルに入りました

 さて、ターミナル2が出来るのは1982年ですが、この時にはサテライトのスタイルはやめ、横長のターミナルに飛行機が直接横付け出来るようなスタイルに変わりました。全く異なるスタイルですが、確かにこれだと増設が容易で、実際、現在のターミナル2は、年々その規模を大きくしていっています。
 ところで、日本の成田空港の開港は1982年で、関西空港が1994年開港なのですが、実は前者のターミナルはサテライト式で、後者は細長いビルに、飛行機を直接横付けさせるスタイルになっています。これらの空港は、日本では随分と斬新なものと話題になりましたが、やはり先鋭的だったのはパリの空港だったわけですね。つまりは、このシャルル・ド・ゴール空港は、世界の各空港に少なからず影響を与えているという事なのです。

   未来都市(少し昔の人が考える)をイメージ?   2両連結のバスがやってきました!

 話しをターミナル1に戻しますが、完成され過ぎたデザインの為か、使いにくい部分もありました。まずは先程も言ったように、増設が出来ないという事です。これはターミナル2の完成で解決しましたが、やはりデザイン重視で造り過ぎたという感は否めなかったようです。また、空港を使ってみればわかるのですが、このターミナル、出発階が下階、到着階が上階と、世間の常識の逆をついているのです。これは、初めて利用する人からすると戸惑いを隠せない筈です。また、空港外周の道路が、右側通行の国にも関わらず、反時計回りに固定されていて、つまりはバス等の出入り口は、ターミナルの反対側になってしまうわけですね。バスへの乗降の際には、必ず一旦道を横切らなければならず、空いている時期だったらまだ良いものの、混雑時は大変そうだと想像されます…。どうやら、当のフランス人も使いにくいと思っているそうで、怪訝そうな表情はするものの、誰かに文句を言うわけでもなく(まあ、言う相手がいませんし…笑)、、、早速フランスらしい雰囲気が漂ってきましたね(笑)。

 さて、今回の市内までの道のりは、ロワシー・バスという、言わば路線バスの延長みたいなバスで向かう事にしました。値段は、RER(“エル・ウー・エル”と読みます…高速郊外鉄道)と殆ど変らない9,1€(約1260円)で、治安面では確実に安心の方でしょう。ただ、本数は日中は15分毎となっていたものの、何と1回目に待ったバスが満員で、乗車拒否されてしまいました。これこそパリの洗礼なのでしょうか(笑)。仕方無く、更に15分待って次のバスに乗れましたが、この時に満員だったら、もうどうしようもない感じでしたね。もちろん旅行者が多いので、バスの中ではスーツケースが散漫していて、たまにそれを座席に置いている輩も見かけるのですが…。
 そんなこんなで何とかバスに陣取り、空港から約50分前後の市内までの旅です。時刻は17:30過ぎくらいで、交通量は若干多めといったところでしょうか。空港から20分くらいは、喉かな田園風景をひた走るだけで、本当にパリに向かっているのかという感じさえしてしまいますが、これぞ、フランスはパリ以外は田舎…と言うのに相応しい光景だと思いましたね(笑)。

   手にはチケットを持ってますね   パリ市内は大渋滞!

 さて、そんなロワシー・バスも徐々にパリ市内へと入ってきました。北駅の北側をかすめ、何故か乗務員交替が途中にありつつ、本格的に市内へと入っていきます。ただ、この市内への道順が何とも複雑で、よくこんなルートを空港バスのルートにしたなという感じです。一方通行になる道はもちろん、パリは路上駐車が多いので、更にそれを掻き分けて進んでいく感じでしょうか。ロワシー・バスは2両連結のバスなので、運転はかなり難しいと思われるのですが、やはり運転技術が高いのでしょうか。
 もうあと10分くらいで、市内の終点(パリ、オペラ座前に着きます)に着く筈なのですが、ここでとどめの大渋滞が待っていました。反対車線も混んでいて、更に、その先の交差点のどの方向も混んでいて、素人目には収拾がつかない状態にしか思えません。まあ、自分は急いでなかったので良かったのですが、時間に追われている人は気が気ではないでしょうね…。そもそも、そんな人はこのバスには乗らないと思いますが…(笑)。
 窓の外を見ても、辺りは車だらけで、もう前も後ろも、そして横にも車、車、車です。これが街中で起きているのですから大変ですが、辺りにはクラクションが鳴り響き、それぞれの車も我よとばかりに前に進んでいきます。車同士の間隔も狭いもので、いつか当たってしまうのではないかと思う程ですが、これも何とか上手くすり抜けていくのです。特に交差点でのカーブの際は、本当に運転の技術が評価されるところで、、、


 ガリガリ、、、


 ……。


 ……。


 当たってる!


 突然、隣の車から人が降りてきて、このバスの運転手に文句を言い始めてきました。しかも、交差点のど真ん中で…です!…もちろん、2両連結のバスなので、それに行く手を塞がれた車は多く、いつも以上にクラクションが街中に鳴り響く状態でした。それでも、乗用車の運転手は怯みません。もちろん、何て言っているのか分からないのですが、明らかに周りの状況は気にしていない感じでしょうか…。
 バスの乗客も心配そうに見守っていましたが、やがてバスは動き出しました。ホッと一安心…と思ったのも束の間、道を一筋曲がったところで、急に停車してしまいました。すると、バスの運転手が客席に向かって一言、、

 「このバスは、ここで打ち切りにします。」

 …と、言っていたかどうかは不明ですが、恐らくそんな感じでしょう。一瞬、車内が雑然としますが、乗客が皆すごすごと降りていくではないですか!…何じゃそりゃー!…と思いましたが、どう反抗して良いのか分かりません(笑)。ある老夫婦は、この先の行き方を運転手に聞いていたようですが、自分なんかは、聞いたところで分かる筈もありません。とにかく、現在の位置を確かめ、早々にホテルに向かいたいところでした。仕方なくスーツケースを引っ張っていくと、バスの運転手は、先程の車を当てられた人と、更なる交戦を続けている感じでした。いやあ、凄い国ですな…(笑)。
 運良く(…と言って良いのかどうか…)、ここはメトロ(パリの地下鉄)の駅に程近い所で、1回乗り換えるだけでホテルの最寄駅まで行ける事が分かりました。…と言うのは、目の前には、風車が回っている赤い建物が見えたので、成程、ムーラン・ルージュの前かと即座に分かったのです。
 しかし、ここからホテルまでも結構あります。元々、ロワシー・バスの終点である、パリ・オペラ座からもメトロを利用する筈だったので、大した変更点にはならなかったのですが、実はメトロは、この“乗り換”が曲者なのです。元々が古い施設なだけに、駅にエスカレーターと呼べるものは殆ど設置されていなく、重いスーツケースを抱えている自分にとっては、出来るだけ避けたいところでもあったのです。しかしその思いも虚しく、ひいこら言いながら何とかホテルの着く事が出来ました。今回自分は、Chatelet(シャトレ)と言う、パリの中でも割りと中心部の辺りにホテルをとったのですが、結果的に、より時間が掛かってしまいましたね(笑)。しかし、観光の拠点には何かと便利な所でした。

   今回泊まったホテルです   遠くにある塔は、もちろんエッフェル塔です

 早速フランス流の洗礼を受けてしまい、思った以上に疲れてしまいましたが、夜にホテルを出て散歩したところ、セーヌ川の向こうに、ライトアップされているエッフェル塔の姿が目に入りました(写真右上参照…手前はポンヌフという、パリ最古の橋です)。これこそ、パリの光景ではないですか。これも、ある意味パリの洗礼です。どうやらいい気持で、次の日を迎えられそうですね♪


 ●やはりエッフェル塔でしょ!

 エッフェル塔無しのパリなんて考えられない!…というくらい、エッフェル塔はパリの代表する建築物、場所だと思います。…なのにも拘らず、自分は今回で3回目というパリ訪問で、エッフェル塔は外から眺めただけで、まだ一度も上った事がありませんでした…。さすがにそれではマズいかなと思い(笑)、今回初のエッフェル塔潜入を試みたわけでもあります。
 こういった、「超」が付く程の有名観光地は基本的に混雑は避けられないので、比較的空いている午前中がお勧めなのですが、せっかくなので、エッフェル塔から見たパリの夜景を堪能したいところでした。やはり多くの人が訪れる場所だけに、夏期は0:45(入場は0:00まで)まで開いているので、結構遅めな時間帯まで滞在しても大丈夫なのが救いかもしれません。まあ、夏のパリは22:00近くまで明るいので、本格的な夜景を楽しむのは、そもそもそれ以降になってしまうのですが…。
 …という事で、今回は2日目の夜にエッフェル塔を訪れました。時間は22:30くらいで、既に辺りはいい感じに暗くなっています。エッフェル塔は3層の展望台に分かれていて、そのうち2番目の展望台までは歩いても上れるのですが、さすがに今回はエレベーターを選択しました。しかし、予想通りエレベーター乗り場は混んでいて、一番上の展望台に行くまで、65分掛かるとの表示がなされていました。それでも、本当に混んでいる時は2時間待ちとか平気であるそうなので、これはまだマシなほうだったのでしょう。
 地上階から乗れるエレベーターは、2番目の展望台まで直通で運転されていて(1番目の展望台で降りる事も出来ます…)、そこまでは割りかしスムーズだったのですが、乗り換えて最上階まで行くエレベーターの混雑が半端ではありませんでした。エレベーターも、下の物と比較して小さくなる為、混雑するのは止むを得ないとは思うのですが、それぞれの箇所(2番目の展望台までは、エレベーターは3箇所から運転されているのです!)からエレベーターで上がってきた人の列が1つにまとまるため、そして行儀の良い、譲り合いの精神などは存在しないため(笑)、なかなか列が進まないのでした…。そして、それらの場は吹きっさらしになっているので風通しが良く(笑)、まあ寒い事寒い事…。夏なのに、気温が15℃と表示されていたのにはびっくりしました。…なのに、自分はTシャツです。周りもそんな服装の人は沢山いましたが(昼は結構暑いので…)、中にはダウンとか着てる人までいて、服装のバラエティさには圧巻でしたね。
 さて、1つになった列の先には、4つの小さなエレベーターの乗り場が待っているのですが、ここも特に順番的な誘導はされていないので、ドアが開いたところから皆が勝手に乗っていくのです。極端な話し、一番前に並んでいた筈なのに、入口に一番近いエレベーターのドアが開いたために、その人は乗れなかった…なんて状況もあるくらいでした。まあ、ここでイライラしていたら、パリの観光なんて到底できないとは思いますが…(笑)。

   いつ見ても綺麗ですよね…   手前にはシャイヨー宮、セーヌ川、そして奥の右側の方には、凱旋門がライトアップされているのが分かります

 そしてやってきました。地上276mの最上階展望台。そこからの夜景は写真の通りです。正にパリの街並みを一望できるという感じですね。ここまで耐えた甲斐があったものです(笑)。思った以上に狭く、簡単に一回り出来てしまうくらいのスペースではありましたが、ここに世界中から観光客が集まって来るわけですから、その魅力は計り知れないものがあるのでしょうね。
 そして室内に、各国の方向と距離が書かれていたのはイキだなと思いました。世界中からの観光客が、ここで自国の国旗を探し、記念写真を撮っていたりするわけです。日本も含め、相当遠い所からこの地に訪れ、そして自国の国旗を見れるというのは、何となく安心感にも繋がったりするものなのです…。何とも良い空間だと自分は思いましたね。

   一番明るく見える所が、ルーブル美術館周辺です   ここで自国の国旗を見るのは嬉しいですよ!

 …そして夜景にも満足し、いよいよ降りようと思うわけですが、案の定下りのエレベーターも混雑しているわけでして…(笑)。やはり有名観光地を堪能するには、それなりの覚悟と時間が必要だという事ですね!


 まだまだ続きます!
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テーマ:海外旅行記 - ジャンル:旅行

旅日記 30.(ブルートレイン編…2009.6.22~6.25)
 今回、旅のテーマに選んでみたのは“ブルートレイン”です。ブルートレイン…言わば自分の世代では寝台特急の代名詞だったような気もするのですが、時代が変わったのか、それともブルートレインそのものが過去のものなのか、最近では本当に見る機会が減ってしまいました。今年の3月14日に廃止された、“はやぶさ・富士”号は記憶に新しいですが〔ブルートレイン“はやぶさ・富士”廃止参照〕、これにより東京発のブルートレインは全滅し、後は本当に、数えられるくらいしか残っていない状態になってしまいます。
 ここで一度、現在残っている“寝台”列車について、少し整理しておく事にしましょう。

・カシオペア(上野~札幌) ※週3本程運転
・北斗星(上野~札幌)
・トワイライトエクスプレス(大阪~札幌) ※週4本程運転(混雑期は毎日運転)
・日本海(大阪~青森)
・あけぼの(上野~羽越線経由~青森)
・北陸(上野~金沢)
・サンライズ瀬戸・出雲(東京~高松・出雲市)

 …なんと、残るはこの7本(8本?)だけになってしまいました。他に、夜行急行である“はまなす”や“きたぐに”、そして“能登”という列車もあるのですが、これは寝台列車と呼ばれるものではなく(一応、夜行列車とは呼ばれますが…)、寝台車も連結している列車…という感じです(…どちらかと言うと、普通の座席車がメインです…また、ムーンライト○○という列車も走っているのですが、こちらは臨時化されてしまったので、ここでは省略します)。
 さて、この7本のうち、豪華寝台列車と言われる“カシオペア”や“トワイライトエクスプレス”は、基本的に毎日運転ではなく、そもそもブルートレインと呼ばれる代物ではありません。また、設定もJRになってからという列車でもあります。更に“サンライズ瀬戸・出雲”は客車ではなく“電車”なので、こちらもブルートレインではありません…。そうなると、由緒正しき“ブルートレイン”というのは残りの4本になりますが(北斗星もJR化後に出来た列車ではありますが)、この内“北斗星”と“あけぼの”には自分は乗った事がありました。そうなると、今回のターゲットは“日本海”と“北陸”という感じでしょうか…。いや、“あけぼの”に自分が乗ったのは、東北本線、奥羽本線経由の頃と結構昔で、現在のルートになってからは乗った事が無かったので、改めて、今回の目的列車?を、“北陸”、“日本海”、“あけぼの”の3列車に広げるべきでしょう(笑)。
 さて、紆余曲折がありましたが、この3列車こそ、現代に生き残る昔ながらのブルートレイン三方であり、これを基本に鉄道の旅を考えてみたのが、今回の旅日記になります。かなりディープな内容かもしれませんが、どうぞ御覧下さいませ!


 ●寝台特急“北陸”号

 最初に選んだのは“北陸”号です。この列車は上野駅を23:03に出発し、金沢駅に6:26に着く、寝台列車にしては足の短い列車…という感じがあります。しかし、これは逆に見れば無駄な時間が一切無いという事でもあり、正に寝ている内に移動が出来てしまうという魅力から、現在まで残存しているのだと思います。また、東京~金沢間は一部でしかまだ新幹線が通っていない区間でもあり、朝一に東京を出ても金沢に着くのは11:00前で、そして東京発の最終は20:12という感じですから、まだ寝台列車の出番は残されているのでしょう。…となると、もう数年後に開業が予定されている“北陸新幹線”が開通すると、まず残存は不可能でしょうね…。やはり貴重な列車であると言えそうです。

   長距離切符と上野駅…一気に旅情が湧き立てられます!   この勇姿…格好良いです♪

 “北陸”号は、上野駅には22:45頃に入線します。出発は上記の通り23:03なので、少し発車までに余裕があるのも良いですね。車両全体を見渡す事も出来ますし、何より車内に入ってから一息付けるのは嬉しいものです。
 今回自分は、B寝台個室の“ソロ”という部屋を予約しました。寝台には、A寝台とB寝台というランク分けがされており、A寝台の方が豪華という位置付けで、それぞれ“個室”と“寝台(いわゆるベッドがカーテンだけで仕切られているものです〔竹内大輔、北九州ツアー(2008.6.5~6.9)参照〕)”が用意されているのですが、B個室はB寝台と値段が変わらないというリーズナブルな設定が魅力で、今回選んでみたのです。

   自分が乗った『ソロ』は、側面の窓の形状も特殊です   B寝台ながら、やはり個室は個室なのです!

 ただ、部屋はお世辞にも広いとは言えず、確かに寝るだけの空間だけという感じではあるのですが、部屋それぞれにロック付きのドアが付いているのは嬉しく、改めて、ここは自分だけの空間でもあるという意識に駆られるわけです(笑)。完全プライベートな空間は、列車という限られたスペースでは最高の贅沢で、実際“ソロ”はこの列車では人気なのですが、それも頷けると思います。
 しかし驚いたのは、平日にも関わらず、この日の“ソロ”はなんと満席(満室?)との事で、寝台列車の乗車率は年々低下…と言っている割には意外な結果になっていました。しかもこの“北陸”号は、8両編成中“ソロ”の車両は3両あるにも関わらずです。これは〔旅日記 22.(金沢編…2008.5.12~5.13)〕で紹介した『北陸フリーきっぷ』の利用の多さにも影響があるかとは思うのですが、とにかく寝台列車が活気付いているのは嬉しい事ですね。

   通路側から窓側を見たところです   窓側から通路側を見たところです

 さて、“北陸”号は上野駅を定刻に出発しました。この時間ですと、まだまだ帰宅途中の人達で電車は混雑という感じなのですが、もちろんこの列車は、そんなものとは無縁の時間が流れています…。途中の大宮駅までは、いわゆる通勤電車の代表格でもある京浜東北線等と並走したりするので、その差を如実に垣間見る事が出来ますね。向こうはドア付近にまでぎゅうぎゅうに押し込められた乗客達…片や自分の今の状態というと、ベッドで横たわっていたりするのです(笑)。向こうからの乗客にしたら、あまり良い景色では無いでしょうが、これぞ寝台列車の特権です♪…せっかくなので、贅沢気分に思う存分浸ろうではありませんか!
 …そんな景色?でしたが、大宮駅を過ぎると辺りの民家も減ってくるので、いよいよ夜行列車という感じがしてきます。それでも、やはり高崎駅くらいまでは東京の通勤圏でもあるので、駅を通過する際には、やはり東京近郊らしい雰囲気が漂いますね。
 この感じを抜け出すのは、やはり高崎駅を過ぎ、渋川駅を通過した辺りでしょう。この辺りは関東平野の末端で、この先は山の中へと入っていく路線となります。いよいよ民家は見えなくなってきますが、個室なので自分の部屋の電気を全て消すと車窓が見やすくもなり(反射が防げるので)、まだまだ列車旅はこれから…と言った感じでしょうか。本来なら、既に寝てなくてはいけない時間帯なのですが、列車旅をしに来ている自分としては、車窓も大事な“旅”であり、そう簡単に寝るわけにはいかないのです。いや、むしろ忙しい時間と捉えるべきなのかもしれません(笑)。
 それでも、さすがに2:00、3:00ぐらいになってくると、ずっと外を見るだけでは目が冴え続ける事は難しく、眠気も襲ってきます。ここからは、ちょっと寝ては起きて車窓を確認?し、そしてまた横になる…という繰り返しになっていました。3:00頃には新潟県の長岡駅に停車(客扱いは無し)し、ここで方向転換、そして機関車の付け替えを行います。この時、東京から見て一駅手前の宮内という駅から、先程の長岡駅間は往復する行程になっているのですが、その時に後から追ってきた急行“能登”号〔旅日記 3.(北陸編…2006.4.16~4.17)参照〕と、遠目にすれ違うのが確認できました。あちらも“北陸”号と同じく上野駅~金沢間を走る列車なのですが、さすがに今は空いている時期なのか、本当に可哀想になるくらい空席が目立っていた状態でしたね…。『北陸フリーきっぷ』なる切符の特性(新幹線や“北陸”のB寝台・個室の利用可)を考えると、確かに“能登”に乗る価値はあまり無いのかもしれません。

   深夜の駅…というのも、まだ味わい深い趣があります   日本海を見つつ、金沢を目指します

 そして、柏崎駅、直江津駅、糸魚川駅と過ぎると、車窓に日本海が登場し、列車名通り“北陸”的な風情が表れ始めてきます。この辺りになると周囲も明るくなってきて、また新しい1日が始まろうとしている感じでした。ここまで本当に頑張って起きて(…は寝ての繰り返しですが)いたのですが、ついにここで自分はダウンで、あとは金沢駅到着10分前に目が覚めた感じでした(…とは言え、恐らく2時間も寝ていないと思いますが…笑)。
 金沢駅に到着する頃にはもう明るくなっており(日の長い時期でしたからね)、左手に工事中の新幹線の路盤を見ながら、終着となります。明るく…と書きましたが、実際は外は雨が降っており、どちらかというと薄曇りの感じでした。しかし、この寂しさが何となく寝台列車に合ってしまうのですから、風情とは皮肉なものです…。“北陸”到着の3分後には“能登”も到着してきて、あちらは乗客も本当に少なかったので、堂々たる共演の筈が、寂しさに一層拍車を掛けているような状態になってしまいましたが、自分の考え過ぎなのでしょうか…。

   高架になると、金沢駅に近付いてきた証拠です   約7時間の行程を終えた『北陸』号…ホームの向こうには、同じく上野駅からの急行『能登』号が到着してきたのが見えます

 今回の最初の寝台列車である“北陸”に別れを告げ、ちょっと“能登”号の近くにも行ってみたのですが、車両は相当くたびれているようで、よく今まで現役でいられたなと思ってしまうくらいでした…。改めて、“北陸”と共に貴重な列車だと思うと共に、やはり北陸新幹線開通までの命かと思うと、また1回くらい乗っておきたいという気持ちも芽生えてしまいましたね…。とりあえず、今回は一時のお別れです。自分はこの先の旅を続ける事にしましょう。


 ●北陸路での寄り道

 次の目的の列車は、寝台特急“日本海”ですが、これは金沢を通る列車であるものの、初めて乗る列車でもありますし、やはり始発である大阪駅から乗っておきたい気持ちはありました。…とは言え今はまだ朝の7:00前で、真っ直ぐ向かうと朝方には着いてしまいます。…となると、答えは1つ。この付近での鉄道に乗って時間を稼げば良いのです。北陸を走っている鉄道路線は、まだ乗った事の無いものが多数あるので、それらに出会うのも楽しみにではないですか。では、1つ1つ紹介してきたいと思います。

   ・北陸鉄道浅野川線

   地下駅になった北鉄金沢駅   大野川を渡る橋では、ノロノロと走ります…粟ケ崎駅付近にて

 まずは、金沢を拠点に2路線を有する、北陸鉄道に乗っておきましょう。北陸鉄道は、現在ではバス運営が主体になっていますが、鉄道路線も(かろうじて)2路線持っていて、今回はその1つである浅野川線に乗ってみます。
 この路線は、以前に何回か乗った事がある路線でもあるのですが、起点である北鉄金沢駅が地下駅になってからは乗っていなく、おそらく10年振りくらいの乗車かもしれません。列車も現在では、全て元京王井の頭線の車両を使っており、少し懐かしい気分に浸れるのもまた良いではありませんか。

   終点の内灘駅にて…こちらは両開きドアの車両です   朝ラッシュの内灘駅では、結構な混雑でした

 浅野川線は、北鉄金沢駅~内灘駅の6,8kmだけの路線なので、途中下車をしても1時間弱で往復が出来てしまいます。本当に地方のローカル線…という感じなのですが、さすがに自分が乗った時間帯は朝ラッシュ時の真っ最中で、特に復路の内灘発北鉄金沢行きの電車は、内灘駅を発車の時点で100%くらいの乗車率になり、北鉄金沢駅に着く頃には満員になっていました。お客さんの半分以上は学生(小学生もいました)という感じでしたが、ローカル線とは言えど、こういう側面もあるのだと改めて思いましたね。この内灘という駅が、更に遠くからやってくる北鉄バスのターミナル駅にもなっているからなのでしょうが、利用率が高いのは他人事ながら何だか嬉しくなる事でもあり(笑)、良い瞬間を体験出来たと思いました。

   ・越美北線(九頭竜線)

   構内の片隅に停車中の、越美北線キハ120形   足羽川に沿って進みます

 今度は場所を福井に移動し、今度はJR西日本の越美北線(九頭竜線という愛称が付いています)という路線に乗ります。この路線は元々、福井駅と、愛知県の美濃太田駅を結ぶ“越美線”として建設されたのですが、福井県側と愛知県側では開業できたものの、それらが結ばれる事は結局無く、南側は長良川鉄道越美南線として別で運営されています。
 この越美北線は自分は今回初めて乗りますが、相当なローカル線で、運転本数も1~3時間に1本くらいの状態となっています。しかも、終点の九頭竜湖駅まで到達する列車は1日に5本しか運転されていなく(その内1本は途中の駅からの始発です)、それが今まで足を遠ざけてしまっていた理由でもありますが、今回ついに乗る事が出来ました。行って帰ると3時間以上の行程なので、ローカル度にもなかなか期待が持てそうです(笑)。

   福井も有数の米所なのですね   川の途中にはダムも見えました

 実際、車窓は変化に富んでいて、福井駅を出て暫くは北陸本線と並走するのですが、ちょっと分かれたかと思うと急に田園風景になり、この路線の人口密度の低さを物語るかのようでした。そして、足羽川が沿ってくると山も迫ってきて、川を左に右にと、橋を何度も渡りながら走りつつ、いつしか少し開けた場所に出てきます。そこも田園風景は広がっているのですが、ここが大野市という所で、かつては城下町であり、越前の小京都としても知られています。
 そして更に進むと、今度は九頭竜川に沿って進むようになり、ここから先は建設が新しいのか、高架になったり長いトンネルが現われてきたりします。いよいよ本格的な山越えか…と思ったのも束の間、終点の九頭竜湖駅に着いてしまうのですが、本当に中間駅みたいな雰囲気があり、建設時も、取りあえずの終着駅として開かれたのでしょう。現在になっては再建設は皆無でしょうが、目前に聳える山の向こうに、愛知県を走る長良川鉄道の路線があるかと思うと、何だか感慨深い気持ちにもなりますね…。

   越美北線の終点、九頭竜湖駅   駅前には、こんなモニュメントが…

 乗客は本当に少なく、福井駅発車の時点で5人くらいで、終点の九頭竜湖駅に降り立ったのは自分1人という有様でした(上り方面はもう少し乗っていましたが…)。確かに、これぞローカル線という感じでしたが、大野市の人にとっては、越美北線は重要な交通手段なわけで、やはり長く存続してほしいとは思いましたね。ゆったりとした時間を過ごす事は出来たと思います。

   ・福井鉄道

   福井鉄道の福井駅前はこんな感じです…車両は元名古屋鉄道の800形   800形の車内は、床に傾斜がついています

 福井市と武生市を結ぶ福井鉄道は、ローカル線というよりは、都市間鉄道としての役割も大きいと言えると思います。また、福井市内は路面電車としての性格も持ち合わせており、車両もそれに見合ったものが使われる等、なかなか特徴の多い鉄道でもあります。
 現在でこそ路面電車タイプの車両が多いですが(これらは全て元名古屋鉄道の車両を譲り受けたものです)、昔から走っている“鉄道形”の車両も残っており、これらは主にラッシュ時に使われるのだとか…。今回、福井鉄道の路線には全て乗る事が出来たのですが、ラッシュ時ではなかったので路面電車形の車両にしか乗る事が出来ませんでした。これらは道路と並走して走る福井市内区間では似合う車両なのですが、武生側の、いわゆる地方ローカル線らしい風景には若干似合わない感じもしました。まあ、鉄道形の車両も、路面電車区間では恐らく似合わない感じなのでしょうが…(笑)。

   福井市内は、路面電車の形態で走ります…田原町駅付近にて   福井鉄道の現在の主力、880形…これも、元々名古屋鉄道の車両でした

   雪の多い地域を走るので、線路の分岐部分にはスノーシェルターが多く設置されています   880形の車内

   鉄道形の車両と並ぶ、路面電車形880形…武生新駅にて   武生新駅の背後を、JR列車が通過して行きます

 車両自体が小型なので、乗車率自体は良いように見え、本数も日中は20分に1本間隔ですから、乗りやすい鉄道なのかもしれません。しかし、福井~武生間というのは、完璧にJR北陸本線と並行しており、こちらもJRになってから便利になってきたので、予断は許されない…という感じでしょうね。

   ・特急“雷鳥”

   特急“雷鳥”号、485系パノラマ車両…敦賀駅にて   パノラマ型グリーン車の車内

 なかなか面白い3路線を味わう事が出来たので、そろそろ急いで大阪駅に向かう事にしましょう。一先ず鈍行列車で敦賀駅まで移動してきて、ここで特急“雷鳥”号に乗り換えました。この列車は、大阪と北陸を結ぶ特急として昔から走っているものなのですが、最近は683系(下写真参照)という新しい車両が現れて、車両の新旧交代が激しく、ついに2011年の春頃までに、昔から走っている485系(上写真参照)という車両は姿を消してしまう事になってしまいました。

   新鮮味は無いですが、最新型の683系4000番台   683系は、整然とした車内が魅力です

 485系という車両は、かつては四国(当たり前ですが沖縄も)を除く全国で見る事が出来た、いわば国鉄時代の特急型のスタンダードだった車両ですが、今や貴重と言えるほどその数を少なくしており、特に国鉄時代の塗装のままで走っているというのは、ここを除くと本当に数えるだけとなってしまいます。
 これは乗っておかない訳にはいかない!…という事で、今回乗車する機会を設けたのですが、“雷鳥”の一部には、JRになってから改造された“パノラマ型グリーン車”なる車両(大阪寄りの先頭車)も連結されており、せっかくなので贅沢に(笑)、この車両に乗ってみる事にしました。この車両の乗客は自分の他に1人だけで、正に特等席な気分を味わえたものでした♪

   常に高速で駅を通過していきます   そろそろ大阪駅が近付いてきました!

 先ほど紹介した683系は、同じ区間を特急“サンダーバード”号として、いわば“雷鳥”の速達タイプとして運転されているのですが、自分の乗車した“雷鳥”号も、敦賀駅を出ると、近江今津駅、京都駅、新大阪駅のみの停車という、なかなか特急らしい速達っぷりを発揮してくれていました。車窓にしても(…というか、眺めが良い運転台からの景色でしょうか…)、北陸路を抜け出し、左手に琵琶湖が見えてきて、徐々に大津市から京都市内に入っていく様子や、何本もの列車と並走出来る東海道本線区間を経て、大都市大阪に向かっていく様子が手に取るように分かり、これもまた楽しい経験でもありました。今後この車両が無くなるというのは惜しい感じもありますが、今から20年近くも前に改造された車両でもあり、やはり時代なのでしょうね…。
 こうして、何時間も掛けて大阪駅にやってきましたが、いつもと感覚がどうも違います。きっと、地方→大都市への移動というのは、基本的に東京に戻る事が多かったものの、今回は大阪という、自分にとってはやはり別都市のような場所に出向いた為、何となく違和感があったのだと思います。しかし、これから控えている旅もまた重要なのであって、また気持ちを切り替えて臨んでいきたいですね。とりあえず、束の間の大都市の雰囲気を楽しむ事に致しましょう。

   こちらも貴重な車両である、キハ181系…大阪駅にて   工事真っ只中だった、現在の大阪駅


 ●寝台特急“日本海”号

 2日目の長い旅を終え、ようやくこの日メインの列車に乗る事になりました。この寝台特急“日本海”号は、現在は大阪駅を17:47に出発し、東海道本線、湖西線、北陸本線、信越本線、羽越本線、奥羽本線経由で、青森駅まで到達する列車です(以前は更に、北海道の函館駅まで足を延ばしていました)。経由路線を見ても分かるように(分かりますかね…笑)、全体に亘って新幹線とはまるで無縁の地域を走るので、今まで廃止を免れてきたのだと思いますが(しかし、以前は2往復走っていて、現在は1往復に削減されています)、もしかしたら、最後まで残るブルートレインは、この“日本海”なのかな…とも思っていたりします。

   昔ながらの雰囲気が今でも伝わってきます   A寝台の車両は、上にある小窓が特徴です

 今回は、個室でない、いわゆる“寝台”タイプのA寝台に乗車してみました。Bよりランクが上のAですが、それでいて個室では無いというのは、何だかB個室と比べてサービスが下がる様な気もするのですが(もちろん、A寝台の方が値段は高いです)、やはりB寝台に比べれば居住性は高く、ベッドも広いです。そもそも、昔はB個室そのものが無かった為、やはりA寝台の存在価値というのは高かったのでしょう…。しかし、今ではA寝台はとても貴重な車両で、この“日本海”を除くと、あとは急行“きたぐに”号にしか連結されていません(しかも1両ずつです)。それでも、今回は大阪駅を出た時点ではA寝台は3,4人のお客さんしかいませんでしたから、やはり時代に遅れをとっている車両というのは事実のようですね…。列車は違えど、昨日の“北陸”号のB個室“ソロ”とはえらい違いです…。

   車両の両窓側に、寝台が設置されているのが分かります   ここが今夜の寝床です

 自分の部屋?に腰を下ろし、カーテンを閉めてしまうと、狭いながらも自分のスペースが確保されます。さすがに個室ではないので、荷物の置き場所には困りますが(ベッド以外に個々のスペースは無いので、外に置くか、ベッドの上に置くかしかありません)、それでも居心地は不思議と悪い気はしませんでした。
 やがて定刻通り大阪駅を出発し、いざ“日本海”号は北陸、そして東北方面へと進路を向けましたが、よく考えると自分は大阪駅には1時間もいないで、今来た道を引き返すという行為を行っているわけです。これは、昨夜の深夜に通った新潟県の長岡駅まで同じ道を辿るのですが(笑)、ここまでくると馬鹿げた行為というより、むしろ高貴なものを感じてしまうのは自分だけでしょうか…。これだから鉄道の旅は面白いのです♪
 東海道本線を抜け、湖西線、北陸本線と、正に今日通ってきた道筋を、今度は寝台列車の車窓から眺める事になります。しかし、大阪~京都間なんて、まだ夕ラッシュの時間帯だというのに、この“日本海”号のA寝台車内は静寂が漂っており、本当に別の世界のようです。隔てているのはガラス窓1枚なのですが(複層ガラスかもしれませんが…笑)、これこそが寝台列車の持つ魅力なんですよね。普段の時間の流れとは違う、ゆったりとしたものを旅人に提供してくれる…。これは、現在の新幹線では到底真似する事が出来ないサービスでしょう。また、北陸本線は特急街道でもあるので、相対的に速度の遅い“日本海”号は、後からやってきた特急列車に何本か抜かれてしまうのも、乙な体験なのでは…と思ってしまいます(笑)。
 やがて車窓からは夕日が見え(これを見る為に、わざわざ進行方向左側の場所を抑えておきました!)、日も暮れてしまうと、今度は本物の?日本海が見えてきます。朝方見た海の表情とは違って、若干荒々しくも見える夜の日本海ですが、こちらもまた素晴らしい魅力を出しているなと感じましたね。

   進行方向左側は、走行中に夕陽が望めます   大阪駅で買っておいた駅弁です…富山駅にて

 さすがにこの辺りになると、眠ったり起きたりの繰り返しになってきてしまいますが(2日目なので、“北陸”号の時より眠気が深くなってきているようです…笑)、一度通った長岡駅は見ておきたい気はしました。そんな長岡駅は24:40頃に着きましたが(客扱いはしません)、昨日の深夜時と雰囲気は変わらなく、ホームに誰もいないという光景が目に飛び込んできました。…ただそれだけの事でしたが、それでも「見ておいて良かった」という気持ちが込み上げてきたのですから、不思議なものです…。
 新津駅を過ぎると、羽越本線に入ります。ここからはついに、北日本方面へと足を踏み入れる事になり、より素朴な感じが楽しめます。線路も複線から単線になり(所々に複線区間はありますが…)、列車のスピードも遅めになってきたような気がしました。これは言い換えれば、より外の景色を眺めやすくなったという事であります。特に新潟県と山形県の県境付近の日本海付近の景色は素晴らしいものがあり、これは深夜という時間帯でも見ておかなくては勿体無い光景です。北陸本線の時は、日本海に近い所は走るものの、線路は近代的な造りで、海岸の“地形”を感じる事は無いのですが、こちらの羽越本線では、トンネルは存在するものの、陸地にある程度沿って線路が敷設されているままなので、走りながら地形を感じる事が出来るのです。より日本海の“険しさ”を、身体で体感する事が出来たと思います。
 また、この辺りは空気も綺麗なのか、夜空には星が満天の光景を作り出しており、これは列車から見る星空としては、かなり上位に入る綺麗さ、優雅さだったと思います。寝台車なので、横になると自分の顔の上の方に窓があり、そのまま向こうには星空が広がる…という感じです。これは“北陸”号以上のものでしたね。

 さて、この光景に満足したのか、ついに自分は深い眠りについてしまいました。途中の酒田駅や秋田駅は、いつ通過したのかも分からず、列車は奥羽本線に入っており、左側の車窓には八郎潟が広がっている光景が見えてきました。正に夏の光景だったわけですが、やはり東京より爽やかさがありますね。何だか、いつもより空も青く見えてきたような気もしました。

   秋田の八郎潟は、正に緑で一杯でした   爽やかな朝の風景です…東能代駅にて

 これらの景色を目に焼き付けていると、カーテンの向こうから、「東能代駅でお降りになるお客様…」と車掌さんが話し掛けてきてくれました。正に自分の事で、「あと20分程で到着になります」と言付をして頂き、自分も降りる準備をし始めました。列車の旅3日目は、この駅からJR五能線に乗る予定にしており、これは自分が初めて乗る区間でもあるので、相当楽しみにしていた朝でもありました。東能代駅到着は朝の6:30…。昨日に引き続き早い時間ですが、後半はよく眠れたせいもあって、ホームに降りた自分はすこぶる元気な感じでした。さあ、この日も思いっ切り旅を満喫しますよ!


 ●JR五能線と、“リゾートしらかみ”号

 東能代駅は、特急も停車する主要な駅ではありますが、ここは街の中心ではありません。中心は、これから乗る五能線の次の駅、能代駅周辺がそうであり、まず自分はそこまで行ってみる事にしました。東能代駅~能代駅は1駅区間ですが、ここだけの区間列車は多数設定されていて(…とは言え、日中は1時間に1本程度)、奥羽本線への乗客への配慮がなされていると言えそうです。自分もまずは能代駅行きの列車に乗り込みました。
 “日本海”号から、五能線に乗り換えた人は少なかったのですが、更にもう1本の、秋田駅からやってきた普通列車の接続の時は、学生が続々と乗り換えて、車内に乗り込んできました。恐らく、能代駅周辺の学校の生徒達でしょう。こういった光景を見ると、地方のローカル線の重要なお客様はやはり学生なのだなと感じます。3両編成の列車は、あっという間に席が埋まってしまいました。
 
   能代はバスケットの町なのだそうです…能代駅にて   このローカルな感じが良いですね

 能代市はバスケットの町らしく、駅にバスケットゴールが置いてあるのが興味深かったですが(笑)、ローカル線の駅にしては立派な構えがありました。ここで降りて自分は駅の北側の方に歩き、米代川の方まで向かってみました。ここには五能線の橋脚があり、たまには風景列車写真でも撮ってみるかと思ったのです。
 結果は左下写真の通りですが、夏らしい、なかなか好みの雰囲気に仕上がったかもしれません。五能線の能代駅の先は、列車の本数が激減しており(1日7往復)、いよいよ本格的なローカル区間へと突入する思いが込められれば…なんて思ったりしていました。

   ちょっと色を深めに撮影してみました   向能代駅を出ると、車内は閑散とした状態に…

 さて、能代駅に戻り、当駅8:02発の弘前駅行き列車に乗り込みました。列車は同じく3両編成で、東能代駅から来た列車ですが、やはりここ能代駅で、殆どのお客さんは降りてしまいました。そして、まだ少しだけ残っていた乗客も、次の向能代駅で降りてしまい、いよいよ車内は数えられるだけの人数になってしまいました。他の車両は詳しくは分かりませんが、とりあえず自分の乗っていた車両は、自分と、あと1人の乗客のみでした…。ここまで来たら、もう窓を思いっきり開けて、外の空気を楽しみながら旅を楽しもうではありませんか!…東北の初夏は涼しく、窓を開ければクーラー要らずの雰囲気が、それは心地良いものでした。

   素朴な車窓が続きます   海岸に沿って走ります

 能代駅を出て、暫くは典型的な農村風景の中を走っていた列車ですが、東八森駅を出ると、左側に荒涼とした海が見えてきて、ここからは海に沿った車窓が展開されます。それも、喉かな海岸…という雰囲気ではなく、日本海の厳しい部分が垣間見れるような…そんな雰囲気です。
 列車の高低差も激しく、恐らく山(白神山地)がそのまま海岸まで突き出しているのでしょう。よくここに線路を敷いたなと思いますが、やはり列車にとっても路線条件は厳しいようで、スピードも思うように出せません。線路に並行して道路も走っているのですが、どんどん乗用車に抜かれていく始末です。もちろん、こちらは特に急いでないので、こういった風景がむしろ楽しかったりはするのですが…(笑)。

   海が眼下に迫る車窓が続きます   晴れてくると、海も一層青く見えてきますね

 岩舘駅を出ると本数は更に減り、鰺ヶ沢駅まで普通列車は1日に5往復のみの運転となります。更に岩肌を縫う感じで列車は走っていくのですが、大間越駅を過ぎた辺りから、線路は海と同じぐらいの高さになり、少し日本海も穏やかに見えてきた感じがしました。…しかし、思い起こせばこの区間は、前に五能線を完乗しようとしていた時〔旅日記 10.(津軽・日本海編・…2007.1.7~1.9)参照〕に、悪天候の為にバス代行になっていた区間です…。やはり海というのは、その時の天候で良くも悪くも見え方が変わってしまうものなのでしょう。そう考えると、この日はわりと?機嫌の良い日…だと言って良いという事なのでしょうか(笑)。

   五能線の中継駅、深浦駅に到着です   以前とは打って変わって好天です

 そして9:40、列車は定刻通りに深浦駅に到着しました。ここはもう港町といった感じの雰囲気の場所で、五能線の中継地点を成す駅でもあります。日本海と共に生きていく街…という感じも受けましたが、もっとも、前回来た時には、そんな事を思う余裕も無かったと思われます(笑)。
 駅を降り、少し街中を散策してみました。何か海の幸でも食べられれば…とも思ったのですが、殆どのお店が昼の11:00からお店を開けるとの事で、どうやら自分はまだ早過ぎたようです。もう結構旅をしてきた感じだったのですが、この街の人達は、あくまでも自分達のペースなわけで…まあ、当たり前の事ですが…。

   深浦駅近くの場所から、見送った列車が遥か彼方に走っているのが見えました   深浦駅の列車の本数は…少ないです

 さて、再度深浦駅に戻り、今度乗るのは五能線の看板列車とも言える、快速“リゾートしらかみ”号です。この列車は、五能線を走る観光列車の性格が強い列車で、夏期は毎日運転ながら、一応臨時列車扱いとなっている列車でもあります(全席指定席です)。初登場は1997年ですが(それより前にも、客車列車による臨時列車は運行されていました)、人気があったのか、2003年と2006年に車両を追加投入し、現在は3種類の車両で3往復が運転されるまでに至りました。それぞれ車両にも特徴を出しており、“青池”編成、“橅(ブナ)”編成、“くまげら”編成と、全てに名前も付けられています。

   “青池”編成(左)と、“くまげら”編成(右)です…深浦駅にて   窓が大きく、車内は大変明るいです

 これらの編成は、時間や日にちによって担当列車が変わる為、時刻表を見る限りではどの編成に乗れるかは分からないのですが、駅にはそのスケジュールが出されていました(JRのHPにも載っていたかと思われます)。まあ、それも楽しみの1つにしてしまえば良い感じですが、とにかく、自分は“くまげら”編成に乗りました。
 この3種類の車両は、全て完全な新車では無く、先ほど乗ってきたキハ40形という車両を改造して出来たものなのですが、元が同じとは思えないほど、観光に特化した車内となっております。リクライニングシートを完備しており、先頭には展望室を設置、窓もかなり大きく、外の風景の見やすさは他の追随を許さない感じです。
 これは車両面だけでなく、運転面にも工夫が凝らしてあって、景色の良い場所では徐行運転を行ったり、列車によっては10分間程の途中下車をさせたりもしています。これらのイベントは、列車によって変えているらしいのですが、自分が乗った列車では、鰺ヶ沢駅~五所川原駅の間で津軽三味線による演奏が行われており、正に“青森”を体験できる内容となっておりました。よく見ると、車内もなかなか盛況しており、これは今まで乗ってきた普通列車の閑散っぷりとはえらい違いです。ローカル線の生きる道の1つの側面を垣間見た感じがしましたね。

   深浦駅~広戸駅間は、日本の列車の車窓で有数の景観を誇っています   鰺ヶ沢駅を過ぎると、岩木山を雄大に望めます

   車内では、このようなイベントも用意されています   りんご畑の中を走る列車は、そう多くありません

 深浦駅から鰺ヶ沢駅までは日本海を望め、鰺ヶ沢駅からはそれに代わって、青森県のシンボルである岩木山が姿を見せてくれます。周りに他に大きな山はなく、正に身1つだけで聳え立つその雄姿は、確かに“津軽富士”と呼ばれる所以も分かったりはしました。そして、その先では前述のように津軽三味線の演奏が行われ、最後の車窓のハイライトはりんご畑です。
 本当に最初から最後まで、車窓には飽きない風景が連続しており、これは“リゾートしらかみ”号の人気が出るのも理解出来るところでした。列車によっては、秋田駅発、青森駅行き…という感じなっていて、本線や新幹線に接続できるところも見逃せないポイントです。つまり、東京方面からの乗客も視野に入れているという事ですね。以前来た時は悪天候だった事もあり、何だか大変なイメージしか浮かんでこなかった五能線でしたが(笑)、今回は違った側面も数多く見出せ、やはり乗り甲斐があったと思います。
 五能線は、結果的に“リゾートしらかみ”号という観光列車がメインの路線ではありますが、この路線のイメージとして、垢抜けてしまったとは微塵にも思いません…。やはり雄大なローカル線であり、地味にも地域の人達と共に活躍を続けている路線なのです。恐らく、観光列車と普通列車の共存が上手く図られている路線でもあるのでしょうね。それが分かっただけでも今回は十分です。また違った季節にでも乗ってみたいですね。


 ●新青森駅

 JR五能線に乗った後は、弘前駅経由でJR奥羽本線で青森駅まで向かったのですが、自分には寄っておきたい駅がありました。それは青森駅の1つ手前にある、新青森という駅です。開業は1986年と比較的新しく、青森駅から4km程離れた所にあり、普通列車しか停まらない(開業時は、一部の普通列車も通過していたそうです)ごく普通の駅だったのですが、ここが2010年12月に開業予定の、東北新幹線延伸部分の終着駅と決まったのですから見逃す事は出来ません。また、2015年度辺りの開業を目指しているという北海道新幹線の起点となるようで、これは一度、東北新幹線開業前に見ておきたい気持ちがあったのです。
 この駅が東北新幹線の終着駅となる事が決まる前に、自分はこの駅を何度か通過した事がありましたが、確かに何の変哲もない、ただの小さな駅に過ぎませんでした。しかし、新幹線の駅ともなれば、そのままにしている筈が無く、相当な変化が予想されそうです。自分は、更に1つ手前の津軽新城駅で降り、ここから約2km弱、遠目に駅を見ながら歩いて向かっていく…という手法を取って(笑)散策していきました。

   津軽新城駅側から、新青森駅側を見たところです…遠くに巨大な高架駅が見えるのが分かります   工事真っ只中という感じですね

 津軽新城駅を降りて、1kmほど線路に沿って歩いていくと、遠くに見えてきました…かなり大きい建築物が…。明らかに以前の駅とは様子が違っています。奥羽本線の線路とは垂直に交差するように巨大な高架橋が横切っていて、もう今にも新幹線が到着してきそうな…それくらいの完成度には既になっているようでした。
 近付いて行けば近付いて行くほど、その大きさに圧倒されそうになります。ただ、現在は工事の真っ只中という感じで、一部の道路は閉鎖されており、何だか歩行者がいる事が自体が変に思われそうな環境ではありました。また、この駅は近くに学校が幾つかあるようで、ちょうど下校時の学生達と自分は遭遇してしまい、その気まずさは更に切迫したものがありました(自分が気にし過ぎでなだけですが…)。

   新青森駅を出発した701系列車   線路は更に北(北海道)に延びる予定です

 高架橋は駅だけに留まらずに、更に北側に延びていっている感じでした。開業は更に先になりますが、北海道新幹線の完成を現実的に思わせるに相応しい佇まいであり、この駅がそれらの中継地点となると考えると、夢は広がるなと思いましたね。…いや、これは現実になるのです。まずは東北新幹線の開業を、心待ちにすると致しましょう。予定では東京からこの駅まで、たったの3時間強で結ばれるらしいですから、青森がますます身近な町となりそうですね。そして、新青森駅から青森駅までは、奥羽本線で約5分。今後は青森駅と共に、ここも北国の玄関口として機能していく事でしょう。工事中の新青森駅を見て、更に待ち遠しくなってしまいました♪

   駅前も大改革されそうですね   新青森駅から、青森駅方面を望みます


 ●青森駅での過ごし方

 新青森駅を見終え、自分が青森駅に着いたのが16:10頃(16:01着の列車が遅れての到着でした)。この後自分は18:08発の上野駅行き、寝台特急“あけぼの”号に乗る予定だったのですが、この青森駅での2時間を、有効的に使いたいと思うのは当たり前の事でした。
 ただ、青森駅で何度も時間を潰した事のある自分からすると、実はこの駅周辺には、そういった場所があまり無いのが現実で、今回も正直、どうしたものか…と思っていた部分はあったのです。しかし、何か状況は変わっているかもしれない…という願いを込めて街を散策してみると、なんと、スーパー銭湯的な施設が出来ているではないですか!

   自分にとっては救世主のような存在でした   このままずっと休んでいきたい気持ちも…

 それは“青森まちなかおんせん”…という所で、どうやら2009年の3月1日にオープンしたらしいです。場所は、青森駅の南側で線路を横切っている国道7号線の、線路より東側に隣接していて、青森駅からは徒歩5~6分という感じでしょうか。この旅が始まって、シャワーかお風呂に入りたいという思いが強くなってきた頃だったので、本当に有難い施設の登場でした。入浴料も大人390円と安く、そのわりには食堂や無料休憩所まで備えてあり、自分にとっては十分過ぎるくらいの設備がありました。コンセントがあったので、そろそろ危なさそうだった携帯の充電も少し補え、これで晴れて、清々しい気分で東京へ戻れると思ったものでした。

   ほぼ駅前の場所です   ホタテが美味でした♪

 そして、青森県名物のホタテもお腹に入れておき、これで完璧です(笑)。心身共に満足した気持ちで、今回の旅の締め括りとなる列車に乗りに、改めて青森駅へと足を運ばせました。


 ●寝台特急“あけぼの”号で帰郷

 ついに今回の鉄道の旅も、あと1本の列車を残すのみとなりました…。それが、青森駅~上野駅を奥羽本線、羽越本線経由で結ぶ、寝台特急“あけぼの”号です。今や東京と東北方面を結ぶ唯一の寝台列車(“北斗星”等は青森駅には停車しないので…)でありますが、これこそ、新幹線が青森まで開通したら、廃止されてしまう運命にあるかもしれません。東北新幹線が通っているのは、福島や仙台や盛岡ですが、この“あけぼの”号は青森~新潟(新津駅)間は日本海側を通る為に、“今までは”影響が無かったと言えるのです。しかし、今後の新幹線の青森開通…は大きいでしょう…。今後の動向が気になります。

   出発準備中の“あけぼの”号…青森駅にて   “シングルDX”の通路…高級感を漂わせています

 今回の乗車も後々貴重なものになると思うのですが、更なる思いを込めて、寝台タイプも豪華なA個室を選ばさせて頂きました(もちろん値段も張りますが…笑)。1人用の個室寝台で、シングルDXと呼ばれているものです。“あけぼの”号に連結されているシングルDX車両は1両で、ここに11室だけ設定されています。11室という事は1両の定員が11人のみ(補助ベットを使えば、1室に2人で利用する事も可能です)という事で、如何に贅沢に造られているかが分かるというものですが、部屋に入ればその事は明確で、今回利用してきたどの寝台タイプのものよりも、広いスペースが取られているのです。

   “シングルDX”の室内   天井が高いのが、何より有り難いです

 ぱっと見て、今までの2倍以上は広いでしょう…。何より天井が高い事が嬉しいです。折りたたみ式の洗面台も付いていますし、小さくもテレビが付いています(これはビデオしか流れませんが…)。エアコンの設定も任意に出来ますし、何より嬉しかったのはコンセントが付いている事でした(携帯の電池は若干補充したものの、まだまだ少ない状態だったので…笑)。これは、普通のホテルと比べたら当たり前の設備かもしれませんが、これが鉄道の車両で、そのまま移動出来る…というメリットは非常に大きいです。限られたスペース内で、出来る限りの贅沢を施された車両と言えるでしょう。こんな感覚は、なかなか味わえません。

   夕陽との絡みの岩木山も良いですね!   ここからはもうプライベートな時間です(笑)

 青森駅を出て、今後の当列車の運命を握る新青森駅を過ぎ、20分ぐらいして弘前側に出てくると、夕暮れに染まり始めた岩木山が、また車窓として拝めるようになりました(シングルDXの部屋は、車両の東側に設置されていますが、岩木山は路線の西側に位置している為、通路側に出なければ見えないので注意です!)。これがまた綺麗で、この日の昼に見た時とはまた違った表情が窺えたものでした。これこそ青森を象徴する景色でしょう。
 …と同時に、この“あけぼの”号と岩木山の取り合わせも、いつまで体感する事が出来るのか…という思いも浮かんできてしまいましたが、もうこれは止むを得ない感じなのでしょうか…。
 弘前駅を出て山越えが始まり、秋田県に入った頃には日も暮れてしまいます。いよいよ寝台特急らしい雰囲気になっていますが、個室内は常に静かで、淡々と時間が過ぎ去っていく感じもありました。そんな時、自分は青森駅で購入した“祝杯セット”?(写真右上参照)を取り出し、1人の時間を楽しませて頂きました。今回の旅も色々ありましたが、その締め括りに相応しく、正に“列車の時間”というものが過ごせた気がしました。こういった状況が作り出せるのは、やはり個室寝台ならではでしょうね…。せっかくなので、思う存分楽しんでしまいましょう♪

 …さて、自分はどれくらい寝たのか。一時的に起きて、何となく羽越本線の笹川流れ(山形県と新潟県の県境付近で、海沿いを走る、非常に優美な景色の区間です)付近を走っているのは確認出来たのですが、そこで起きていた時間も長続きせず、、、気付いたらもう大宮駅に着くところではありませんか!
 驚きました。最終日…という事で疲れもあったのかもしれませんが、青森駅~上野駅間の約13時間の行程を、殆ど寝て過ごしてしまったのです。シングルDXの乗り心地が良過ぎたのか、はたまた酔っ払い過ぎてしまっていたのか…。理由はどうあれ、寝台列車の魅力を最大限にまで味わえた気分でしたね。なんせ、基本的に寝台列車のコンセプトというのは、眠っている内に目的地に着ける…という事なのですから。

   東京に戻ってきましたね…東十条駅付近にて   機関車はEF64形に付け替えられていました…上野駅にて

 上野駅到着は朝6:58。定刻通りで、いつもの業務をこなすように淡々と到着した感じでした。しかし、これが数年後には見られなくなってしまうかもしれないのです。もちろん、新幹線が開通する事によって、今までよりも便利になる事は間違い無いと思うのですが、それによって失われるものもある事を忘れてはいけないなと思いました。
 そして、“あけぼの”号で東京に戻る時に思った心境として、“帰郷”している…というものがありました。これは、別に地方に帰る事でなくても思う事なのだと感じましたね…。確かに、自分にとっての生まれ故郷は東京ですからね。何だか、普段思えない事を思い出させてくれる列車…、それが寝台列車なのかも…と思ったりしてしまいました。人それぞれだとは思いますが、自分にとっては正にそんな感じです。だからこそ、いつまでも走り続けて欲しいと願っているのですが、やはり贅沢な思いとして片付けられてしまうのでしょうか…。
 というわけで、今回の旅日記もまた、長々と読んで頂いてありがとうございました!

 ☆北陸鉄道のHP…http://www.hokutetsu.co.jp/

 ☆福井鉄道のHP…http://www.fukutetsu.jp/

 ☆青森まちなか温泉のHP…http://www12.ocn.ne.jp/~machinak/

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

旅日記 29.(高野山、奈良編…2009.4.13~4.14)
 4月も半ばになると、さすがに関東では桜は散っていしまいます。自分が住んでいる所でもそうですが、何だか急に桜が見たい衝動に駆られてしまいました。幸い、地域によってはまだ桜が咲いている所もあるわけで、先日、ぽっかりと2日間の休みができた事もあり、その日を利用して旅を敢行してきました。
 さて、4月中旬頃で桜が有名な場所というと、やはり昨年の同じ時期にも訪れた“吉野”が挙げられるのですが〔旅日記 21.(奈良・吉野編…2008.4.13~4.14)参照〕、同じ場所に2年連続で行っても面白くありません。しかしその時についでに寄った奈良には行ってみたいと思いました。そうこう迷っているうちに、結局は和歌山県の高野山を自分は選んでしまいました。ここは、弘法大師空海が開いた日本の仏教の聖地であると共に、〔旅日記 18.(熊野古道編…2007.11.6~11.7)〕で紹介した、熊野古道の小辺路と言われる道筋の入口の場所でもあります。
 もはや桜とはあまり関係無い感じになってしまいましたが(笑)、“仏教の聖地”と呼ばれるその地には前々から非常に興味があり、今回旅行先として選んだのは、もはや必然だったのかもと思ったくらいです。


 ●快晴の中、東京~高野山への移動

 高野山は和歌山県に位置しますが、鉄道で行くとなると、大阪の難波から出ている南海鉄道高野線という路線が便利です。時間が掛かるので特急電車に乗りたいところですが、本数的にはなかなか少なく、平日は午前中に2本、午後に2本しか運転されていません。今回、第一の希望として、難波駅9:15発の特急『こうや』号に乗りたいという気持ちがありました。こうなると、東京発はやはり朝一の新幹線か飛行機しか選択は無くなりますが、やはり安さ勝負で飛行機に軍配が上がりました。選んだ便は、羽田空港朝7:00発の伊丹行き(全日空)。もう自分は何度も利用している便で、とにかく早起きして空港に向かったものです。
 7:00発の伊丹行きの便は、この日が月曜日という事もあってスーツ姿の人が多く見られました。出張か帰宅かは分かりませんが、あまり自分のような観光客は少なかったです。時間が早過ぎるせいもあるでしょうが、せっかくこの日は晴れていて富士山が手に取るように見えたのに、殆どの人は寝ているか、パソコンで仕事を片付けたりしていて、何だか勿体無い話しです。まあ、仕事等で頻繁にこの便に乗るという人は、さすがに景色にも飽きてしまっているのかもしれませんが…。

   よく見る光景になりましたね   言う事無しの光景です!

 伊丹空港には、定刻の8:05に到着しました。ここで8:15発の空港バスに乗り換え、直接難波駅へと向かいます。電車でも行けなくはないのですが、乗り換えが2回以上もあり、朝ラッシュ時で混んでいる区間もあると思うので、今回はバスにした次第です。途中、少々の渋滞はありましたが、約40分で難波駅前に着き(順調だと30分弱くらいだそうです)、料金も620円とリーズナブルな行程でした。さて、先述の9:15発の列車には十分間に合いそうですね。なかなか順調ではありませんか!

 9:15発の『こうや』号は8両編成でしたが、後ろの4両編成は『りんかん』号という、途中の橋本駅までの列車も繋いでいました。この橋本駅を過ぎると、南海高野線は本格的な山岳路線へと突入していき、自分もここから先はまだ乗った事が無い路線でもあったので、さすがに乗車時にはワクワクしてきてしまいましたね(笑)。

   難波駅…関西私鉄のターミナルは立派です   この橋本駅から、山岳路線らしさが出てきます

 橋本駅に着いた時点で、既に小さな山を越えてきた感じはあったのですが、ここからは線路も単線になり、列車も4両編成までしか対応できなくなります。また、細かい話しですが、ここからの路線はカーブや勾配もきつくもなるので、これらに対応した車両でないと入れなくもなるのです。もちろん、自分が乗っている『こうや』号は、それら全てに対応しているわけですが、こういった路線も珍しいとは思いますね。
 そんな高野線ですが、橋本駅を過ぎて紀の川を渡り、暫くは川に沿って走っていくものの、それも高野下駅という駅を過ぎると、ついに本格的な山岳区間へと突入していきます。

   橋本駅を出発後、若干上り坂になってきます   先頭車は急カーブ、急坂に挑んでいます

 …想像以上でした。50‰の勾配(1m進んで5cm上がるという勾配)や、半径100mの急カーブ、そして制限速度は33km/時に設定されているそうで、それは箱根の登山鉄道〔旅日記 9.(箱根編…2006.11.7~11.8)参照〕を思い起こさせる程でしたね。しかも、完璧に辺りは山の中…という感じなのです。途中、駅も幾つかあるのですが、周りに人が住んでいるのかどうか…という以前に、その駅自体に辿り着く事がそもそも困難なのでは…という感じさえしたくらいです…。ここまでくると、これらの駅は列車の行き違いの為だけに設けられている…と言っても過言ではないでしょうね…(笑)。ただ、最近これらの駅は、鉄道ファンの間で“秘境駅”と言われて密かに盛り上がっており、確かに興味深い場所だなとも思いましたね。何気に駅員も配備されていましたし(全ての時間帯ではないらしいですが…)、全駅に自動改札機が取り付けられているというのも驚きです。この奥の深さ…、また訪れる事があるかもしれません(笑)。

   随分高い所を走っております   橋本駅から延々と上ってきた“こうや”号…極楽橋駅にて

 さて、難波駅から約1時間半で、高野線の終点の極楽橋駅までやってきましたが、ここはまだゴールの駅ではありません。…と言うか、ここも周りには殆ど何も無いような駅なのです。実はここでケーブルカー(これも南海鉄道のもので、正式には南海鉄道鋼索線という路線です)に乗り換え、そしてやっと高野山駅に辿り着く…というわけなのです(基本的に、乗り換え時間はスムーズにいくように配慮されています)。昨年訪れた吉野駅にも近い感じがしますが、ここではケーブルカーに乗り換える以外に、道筋の手段は殆ど無いというのが興味深いですね。やはり、全国的に見ても珍しい駅だと思います。

   ここからはケーブルカーに託します   ケーブルカーはご存知のように、特殊な車内構造です

 今乗ってきた『こうや』号から、ほぼ全ての人がケーブルカーに乗り換えたので、ケーブルカーは意外にも混雑した状態で発車をしました。これまで、高野下駅から極楽橋駅まで、約10kmの距離で約420mほど登ってきたわけですが(極楽橋駅の標高は538mです)、ここからは約800mの距離で、一気に330mの高さを登っていきます。殆ど山間の中を走るので、眺めの良い景色というのはあまり出会えないのですが、かえって高野山の神々しさを感じる事にもなったと思います。そして時計は11:00になって、やっと高野山駅に到着しました。羽田空港を出てから約4時間…。距離にしては時間の掛かる場所というのは確かですね。

   途中で別の車両と擦れ違います   やっと高野山駅に到着!


 ●高野山という場所

 高野山の駅に着きましたが、まだ辺りには殆ど何もありません。あるとすれば、目に着くのはバスのターミナルくらいでしょうか。ここからは高野山の中心部に出るには、基本的に路線バスでの移動になります。…というのは、この先のバスはバス専用道路というものを通って中心部に出るからです。そこは何て事の無い山道なのですが、確かに他の車はおろか、徒歩での通行も認められていないのです(徒歩や一般の車は、遠回りではありますが、高野山駅から別のルートで向かう事になります)。こういった場所は珍しい感じもしますが、それ故に高野山という場所が、より神聖な場所にも思えてきますね。

   ここが真言宗の総本山金剛峯寺です   石庭も整然とした雰囲気がありました

 最初にも言いましたが、真言宗の総本山がここ高野山となっています。そして、総本山金剛峯寺というのがあるのですが、これは高野山全体を指す事にもなっています。これはどういう事かと言うと、普通、お寺といえば1つの建造物、そしてその敷地内を境内というように思い浮かべますが、高野山は「一山境内地」といって、高野山の至る所がお寺の境内地であり、高野山全体がお寺なのです。つまり、高野山全体が宗教都市のようなものでもあります。実際、お寺はかなりの数を抱え、お坊さん…という方々もかなりいる筈です。ここは標高1000m弱の山間にある、東西約5km、南北約3kmの小さな盆地状の地形にあるわけですが、この事自体も神聖なものを感じさせますね。それ故、綺麗な桜を見る事も出来ました。ある意味、目的の1つは達成です(笑)。

   桜もいい感じに咲いております   八角形のお堂は、日本でも珍しい存在です

   食堂やお土産屋等が並んでいます   精進料理は…旨い!

 そして、弘法大師が最初に高野山を開山した時に、最初に建物が建造された壇上伽藍もまた見所の1つです。ここは真言密教の思想を具現化した場所でもあり、恐らくその建ち並べられた、多くの建物の配置にもそれぞれ意味があるのでしょう。諸堂の配置は高野山独特なものらしいですが、ここにもまた、“密教宇宙”という世界が広がっている感じがしました。

   ものによっては満開だった桜です♪   真言密教の思想を具現化しているという、壇上伽藍です

   根本大塔は本当に鮮やかでした   こちらは渋めの西塔です


 ●奥の院の魅力

 弘法大師御入定の場所として知られるのが奥の院です。壇上伽藍と並ぶ、高野山の最も神聖な場所でもあり、一ノ橋という入口の場所から御廟まで、およそ2kmの表参道は、国の史跡でもある約20万基の墓碑群と老杉の巨木が立ち並んでいます。これだけで既に仰々しい感じがしてしまいますが、ここには霊園もあり、それは多くの企業や団体の墓地や慰霊碑が存在しています。これらは特異な形をしたものも多く、ある意味企業の宣伝のようにも見えてしまうのですが、それを思いながら墓地巡りをするのも一興かと思います。さすがに全ては紹介しきれませんが、一部を見ていきたいと思います。

   奥の院の入口は立派です   いきなり現れたので面食らいました(笑)

 早速ロケットです(笑)。ロケットの部品でも造っている所なのかもしれません。今までの仰々しさはどこへ?…という感じもしなくはないですが、これはまだ序章に過ぎなかったのです。

   “しろあり やすらかに ねむれ”??   あの像もちゃんとあります

 お次は、日本しろあり対策協会の、しろあり供養碑(左上写真参照)と、あの福助の企業墓(右上写真参照)になります。こちらも完成度が、ある意味高いですね…。

   南海電鉄は高野山にも馴染みがありますね   ちょこんと乗っかっているのが可愛いですね

 もちろん、ちゃんとした?お墓もありまして、こちらは南海電鉄創業者の墓(左上写真参照)です。そして、右上写真は敢えて説明するまでも無い…って感じですかね(笑)。とにかく、1つ1つ見ていくと、非常に個性のある墓石が並んでいるのが分かるのです。元々ここは、墓地といっても納骨するような墓では無いようで、遺髪や遺骨の一部を分骨して納められている場合が多いのだそうです。つまりは墓地というよりも、慰霊碑的な色合いが強い感じでしょうか。故に、かなり色々な形態の墓碑が多いのだとか…。何となく納得な気もしてしまいます。

   これは見事です…   水を掛ける人は後を絶ちませんでした

 奥の方に入っていくと、このような無縁塚のピラミッド(左上写真参照)等も見かけるようになります。これこそ正に神聖な風景ではないでしょうか。また、水掛け地蔵(右上写真参照)等というものも見る事が出来ました。そしてこれらの場所の一番奥に進むと、弘法大師が眠っているわけですが、そこは流石に写真撮影等という行為は出来ません…。いわゆる、“超”神聖な場所…って事ですね(笑)。

 こういった魅力?満載の奥の院ですが、もう1つの魅力が、歴代の大名の6割方の墓がここに存在するという事でしょう。それこそ織田信長や豊臣秀吉等、誰でも知っている“大物”がここには眠っているのです。ちょっと意外だったのは、伊達政宗や武田信玄の墓もこちらにあるという事で、高野山という地の凄さを改めて感じましたね。こちらもザッと紹介していきたいと思います。

   意外と地味でした(笑)   随分スペースが取られていたような印象です

   忠臣蔵で有名な、赤穂・浅野家の本家ですね   織田信長の墓所とは離れた場所にあります(笑)

   武田信玄・勝頼の墓所です   本当に色々な人のがありますね

   上杉謙信のものは、他より立派な印象が…   これもまた有名人?です

 いやー、驚きでした。本当に、有名人巡りでもしているような、そんな気さえしました(笑)。これだけの大物が集まると、やはりパワーを感じますよね。…何だか俗っぽい楽しみ方になってしまいましたが、これはこれで、高野山の別の魅力があるように思いました。これらを、中学校で歴史を習っていた、正にあの頃に訪れていたら、、、。もう少し日本の歴史を身近に感じられたかもしれませんね。


 ●この後、奈良に行くものの…

 高野山を思う存分体感し、今回は前述の通り、奈良にも足を延ばしていました。奈良は、京都と並ぶくらい日本の歴史にとっては重要な場所ですが、どうも自分が立ち寄る地というのは、交通が便利な京都が殆どだったように思います。実際、奈良を本格的に観光したのは、昨年の4月に行った時が最初だったのですが、その時は雨がネックになり、思い通りの観光にはならなかったような気がしていました…。つまり、今回は奈良観光のリベンジでもあるのです。

   外国人観光客に優しい奈良交通のバス   やはり奈良と言えば…鹿ですよね♪


 しかし、、、


 しかし!!


   雨が結構降っています…   写真を撮るにも精一杯でした…


 今回も雨でした(泣)…しかも、前回より酷い降り方でした…。


 この為、見れた場所というのは春日大社(左上写真参照)と興福寺(右上写真参照…しかも、メインの阿修羅像は現在、東京国立博物館に出展されていますし…)のみで、またまた自分はこの場所を背に、違う場所へと足を向けてしまいました(笑)。久しぶりのチャンスだったのに勿体無かったです。そして、この後は飛行機で帰るべく神戸空港に移動するのですが、その足として、最近開通した“阪神なんば線”を通って、奈良から三宮まで直通で移動しました。この直通運転(近畿日本鉄道と阪神電鉄)は画期的なもので、ここもレポートしてみたかったのですが、どうも雨と疲れでそんな気も起こらず、これはまた次の機会へ…と考える事にさせて頂きました。
 何だか後味が悪い感じになってしまいましたが、今回は高野山の魅力をお届けする事が出来て良かったです。また違う季節にも行ってみたいですね!

 もちろんその時は、今度こそ奈良の観光の充実を…(笑)。

 ☆南海電鉄のHP…http://www.nankai.co.jp/

 ☆高野山、総本山金剛峯寺のHP…http://www.koyasan.or.jp/

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旅日記 28.(飛騨高山編…2009.2.24~2.25)
 先日、2日間の休みを利用し、岐阜県は高山を旅行してきました。目的はもちろん“温泉”で、しかも冬の季節中に行っておきたい気持ちがありました…。今年は暖冬なのか、東京では冬らしくない日が続いたりして(たまに寒くなったりしますが…)、これぞ“冬の景色”というのを体験しておきたかったのです。
 また、実は高山というのは、自分は未だに足を踏み入れた事の無い土地でした(通過すらありません)。やはり場所柄、東京からはどうも行きにくいのです。地図を見れば分かるのですが、鉄道で高山に向かう場合、まずは名古屋か富山が入口になるわけで、ここまで行くのにも1日がかりなのに、更に先には、、、という感じで、どうも今まで足が鈍っていたのでした。…しかし、今回は2日間あります。とりあえずは、ゆっくり癒されに向かう(笑)という事で、のんびりと高山風情を楽しめたらと思い、まずは新幹線で名古屋に向かったのです。


 ●特急『ワイドビューひだ号』で高山へ…

 東海道新幹線というのは、やはりビジネス路線の性格が強いのか、東京から名古屋までの間は、どうも温泉に行くような気分が湧いてこなかったのですが、名古屋から乗った特急『(ワイドビュー)ひだ号』は、周りのお客さんの様子も相まって、これから温泉地に向かうぞ!…という雰囲気が漂ってきました。
 高山というのは、名古屋からもまだまだ遠く、特急を使っても名古屋からは約2時間半も掛かります。新幹線で東京~名古屋間が約1時間40分ですから、列車のスピードに差はあれど、それよりも1時間近くは掛かるわけですね。しかし、これが旅気分というのを盛り上げてくれるのです。簡単に行けては旅情も湧きません…。もちろん、自分も初めての乗車となりました。

   名古屋駅にて…これから乗車します   最初に見えてくるのは木曽川です

 この『(ワイドビュー)ひだ号』に使われている車両はキハ85系というもので、国鉄がJR化(ここはJR東海)されて間もない1989年に登場しました。“ワイドビュー”と謳っているだけに車両の窓は大きく、座席も通路から一段高い位置に設置され(右上の写真を見ますと、前の座席のひじ掛け部分が、ちょうど窓の下くらいの高さまで来ている事が分かります)、本当に眺めの良い車両です。この車両の登場と、路線の改良もあってから、先代の特急車両より40分ものスピードアップが図られたそうです(名古屋~高山間の場合)。つまりは、もっともっと高山が遠かった時代もあったという事ですが、今では強敵ともなる高速道路も出来たので、更なるスピードアップが望まれている感じでしょうか。この特急はJR高山本線という路線を走るのですが、なかなか険しい場所を通るのにも関わらず、意外にもスピードが出ているのは、こうした事情がある為だと思います。

   こちらは飛騨川の飛水峡にて…   下呂温泉付近を走ります

 反面、各地で車掌による沿線案内があるのも、観光を意識した列車であると言えます。これは高速道路を走るバス等には出来ない芸当です。若干遠くに望む犬山城に始まり、鵜沼付近の木曽川の日本ライン下り、白川口付近の飛水峡(左上写真参照)、そして下呂温泉(右上写真参照)等、場所によっては徐行運転も行うので、大きな窓から見られる景色にしばし見惚れてしまうかもしれません。言わば、それだけ風光明瞭な所を走っていくわけですが、逆に自分なんかは、よくこんな所に線路を敷いたな…と思ってしまいますね(笑)。

   高山側に出ましたが、雪の少なさといったら…   名古屋から約2時間半の旅でした!

 そして、名古屋を出てから約2時間半、長かった山間部の旅を終え、山に囲まれた飛騨の里、高山へと列車は到着しました。この日は自宅を出たのが朝7:00前で、8:00頃の新幹線に乗り、名古屋で乗り換えてここまでやってきたわけですが、もう時計は12:00を回ったくらいになっていました。やはり高山は遠いのですね…。
 列車はまだこの先まで行きますが、殆どの人がここ高山で降り、それぞれの目的地へと向かっていました…。恐らく、普段は静かな駅なのでしょうが、この時ばかりは賑やかさが目立った雰囲気になっていましたね。ただ、どうも雪の少なさが気になります…。高山の市街は仕方無いのかもしれませんが、周りの山々にもそんなに雪が残っている痕跡は無い感じでした。少々拍子抜けでしたが、この後はレンタカーでも借りて色々見ようとも思っていたので、安全的には一安心…という見方にしておきましょう。


 ●レンタカーで遠出

 早速高山観光…といきたいところですが、敢えて今回はレンタカーを使ってみました。…というのも、高山観光といえば世界遺産に登録されている白川郷は外せないのですが、ここは高山市内からバスで1時間強掛かる場所にあり、ちょっと気軽に行ける感じではなかったのです。…それならば、と思い付いたのがレンタカーだったわけですが、これなら時間の短縮にも繋がりますし、何より自由度が大きいと思いました。すぐさま駅前のレンタカーで“24時間プラン”の手続きをすると、「高山市内の観光だったら、車は不便だよ」と念を押されました。成程、高山でのレンタカー利用は、遠出だけに留めておいた方が良さそうですね。
 車を借り、高山市内から進路を西へと進めました。向かうは山…といった感じですが、実は最近、高山市内から白川郷に抜ける高速道路が完成しており、意外にも現在は簡単に行けるようになってしまったのです。それまでは山を迂回するルートを通らなければならなかったそうですが、今ではその山々を、10km長のトンネル(国内の道路のトンネルでは、関越トンネルに次ぐ日本第2位の距離だそうです)で抜けてしまっています(これまでより約1時間も短縮されたのだとか)。世界遺産登録効果…とも言えそうですが、便利は便利なものの、若干複雑な思いは否めません。秘境こそが白川郷の魅力でもあったのですが、今では高速のインターから車で10分弱で行けてしまう程の距離に位置するのです(高速道路は山の上の方にあって、そこから回り道して降りてくるので、直線距離だったら更に近いかも…)。願わくば、これ以上は変わらないでいてほしいとも思います。

   白川郷全景…本来ならば、屋根の上にも雪が積もっているイメージを思い浮かべていたのですが…   一番手前の建物が“和田家”です

 まずは、その白川郷が一望できるポイントに向かいました。これも車があると相当楽な道のりです。これはもう写真の通りなのですが、この合掌造りと言われる集落が特徴で、独特な景観が広がっているのが分かります。合掌造りは、江戸時代からの養蚕のため、屋根裏に棚を設置したのが始まりと言われていて、なお且つこの地域は豪雪地帯に位置しているため屋根の傾斜がきつく(この造りは、屋根裏の敷地の拡大に繋がる為、一石二鳥だったわけです)、こんなユニークな建物になったのです。
 そして、屋根に満遍なく日が当たるようにする為と、集落の南北に細い谷があって、南北それぞれの方向から強い風が吹く為、合掌造りの屋根はどれも東西に向いているというのも興味深いところです。これは展望台からの景色で納得でしたが、他の世界遺産との異なる特徴として、ここで現在人々が普通に生活しているというのも大きいのではないでしょうか。考えてみれば当たり前なのですが、この建物群は観光用ではなく、普通に住民のものなのです。観光用に開放されている建物もありますが、建物内には「この先は生活空間となっています」と仕切られた場所もあり、ここの人々の生活に根ざした場所なのだと強く感じました。

   2階(3階?)は、このような造りになっていました   歴史と伝統を感じさせてくれますね

 自分は“和田家”という建物の中に入ってみましたが(写真上参照)、このような空間が、未だ現役の建物として成り立っているのが白川郷の凄いところだと言えるでしょう。世界遺産に登録されているのも分かる気はしました(街そのものが世界遺産というのは、例えばイタリアのフィレンツェやベネチアなんかがそうですよね)。
 …となると、あまりにも観光客が増え過ぎるのも難しい問題のような気もします。実際、高速道路が開通したばかりのこの場所ですが、それだけでも自分は複雑な気持ちになってしまいました。元々この合掌造りの建物は、豪雪地帯である地域の特色と、それゆえに道路の整備が遅れた関係で奇跡的に残っているとも言え、そこに高速道路の開通というのは、何とも矛盾性を感じたものでした。しかし、そんな事を言っている自分でさえ、この開通したばかりの高速道路を使って、1泊2日の旅行の中に白川郷を組み込めたわけで、かなりの恩恵も受けているのは確かなのです。大切なのは、こういった場所があるという事を知った事実と、それらを残していきたいと思う気持ちなのかもしれません…。しかし、雪は思った以上に少なかったですね…。

   白川郷のメインストリート?です   この明膳寺の鐘楼門は“ゆく年くる年”にもよく登場します

 それではもう、本当に雪がたっぷりある所にいってしまおうと思いました。それが、奥飛騨に位置する平湯大滝というところです。高山からは東の方向にあり、現在いる白川郷とは真逆の場所にあるのですが、ここもレンタカーの特権を生かし、一路東へと向かってみました。
 とにかくここは標高の高い場所で気温も低く、この季節は滝が凍ってしまう程のものなのだとか…。そして期間限定で夜にライトアップがなされており、これは是非見てみたいではないですか。時間もこのまま行けば18:30前には着きそうな感じで、ライトアップには適した時間と言えるでしょう。あとは車の運転の根気だけです(笑)。

 …とまあ、白川郷から高山市内まで約1時間半(途中で眠くなって、約30分の休憩有り…笑)、そして高山市内を過ぎ、また標高を上げていって、途中峠を越えたところで約1時間弱、平湯大滝公園までやってきました。流石にもうここは銀世界という感じで、車の運転が心配になる程でしたが、メインの道では除雪がしっかりとされており大丈夫でした。むしろ、その道から駐車場までの道のりが雪の小道を上がっていくといった感じで、ここはもう久しぶりに神経を使いましたね。これは眠気も吹き飛んでしまいます(笑)。

   幻想的な世界ですが…寒いです(笑)

 …という事で、見れた光景は上の写真の通りです!…ここがまた、駐車場から徒歩で10分くらいの距離にあるのですが、道も凍結していて、着くまではなかなか大変でした(笑)。ですが、こういった景色を目の前にすると、転んでも笑ってられるというのですから不思議なものです。遠くでは、微かに「ゴーッ!」…という水が落ちる音が聞こえ、滝は完全に氷結というわけではなさそうですが、良いものを見させて貰った感じがしました。

 …さて、さすがにもう寒いです(笑)。続きの観光は高山市内からお届けする事にしましょう。


 ●高山市内観光

 高山に来る事自体が初めてだったのですから、この高山市内を観光しないことには意味がありません…。市内観光は今回の旅行の2日目にあて、若干小雨という天気でもありましたが、午前中は昨日のレンタカーの効果の残りを生かし?車で回り、午後は徒歩で回る事にしました。ただ、レンタカーで回る…とは言っても、市内を車で回るには駐車場の確保等が大変なので、殆ど走りながら見て回る…という感じになっていました。ただ、小雨という天気にはこれが丁度良かったように思います…。昔ながらの街中の風景を探しながらのドライブは、なかなか楽しいものでもありました。

   こういった細道が良い感じです   街の素の風景が窺えますね

 そして、午後は徒歩を生かしての観光です。この時には雨も上がり、何とも運が良いのだと思いました!…高山市内での観光は“歴史を感じさせる街並み”を感じる事が大切だと思うのですが、これはやはり歩きでないと体験した事にはならないと思います。街並みの1つ1つの細かい所を探し出すのが面白く、建物の造りを見ても興味深く感じ、これらが良い具合に残っているのが高山の魅力なのではないかと思いました。
 もちろん、観光化されてしまっている…という見方も無くは無いのですが、ここも白川郷と同様、それまでの施設を利用しながら、現代風にお土産をやっていたり、喫茶店をやっていたりするので、正に生きた観光地と言っても良いような気がしました。こういった風景もあれば、本当に素朴な、地元に利用されている横丁風な場所もあったりして、そんな雰囲気が自分はツボだったりします。

   この横丁は素晴らしい雰囲気ですね(笑)   お店の看板1つ1つにも個性が光ります

   高山観光には欠かせない、その名も中橋   高山陣屋の入口付近にて…

 高山観光のパンフレットでよく紹介される、左上写真の“中橋”や、右上写真の“高山陣屋”等、いわゆる高山観光のメインにもなる所?にも行ってみましたが、やはり自分が好きなのは、素朴な街並みを感じさせる雰囲気や、町の人の動きが感じられる所なのかもしれません。そこは、高山という場所は良いバランスで残っている気がしたのです。今回泊まったところは町の中心部ではなく、高山駅から車で7~8分の距離と、少し離れた所だったのですが、この高山の街の雰囲気が感じられる所に泊まってみるのも有りだと思いましたね。また、夜になると雰囲気も変わりそうですし(中橋周辺等、ライトアップされている所もあるのだとか…)、色々な高山の側面を体験してみたい気もしました。
 飾らない観光地だからこそ、色々と興味は尽きないのだと思います。高山の魅力は、それまでの歴史で重ねてきた住民たちの文化そのものだから…かもしれませんね。


 ●高山の食

 こういった風情の良い所では、“食”の部分は欠かせません。古い街並み内で、建物の景観とマッチさせた雰囲気の喫茶店でお茶をするというのも良いですし、町の至る所で見られる団子屋を覗いて、食べ歩きをするというのも悪くありません。そんな中、こんな2軒を紹介させて頂きます。

   ・鍛冶橋そば

   堂々とした造りです   自分の好きな感じの味でした

 まずは有名な高山ラーメンですね。醤油ベースのシンプルなラーメンですが、見た目以上にあっさりしているのが特徴でしょうか。市内には本当に沢山のラーメン屋があり、はっきり言って、どこに行けば良いのか分からないくらいの状態になっています。
 そんな時でしたら、ここは高山駅からも徒歩10分弱くらいですし、鍛冶橋という場所自体が高山観光の真っただ中の位置にあるので、1泊2日くらいの旅行でしたら組みやすいのではないかと思います。若干観光っぽい感じも無くは無いですが、店員の方もいい感じで、とても入りやすい雰囲気です。味も、豚骨好きの自分から見ても美味しいと思えたので、とりあえず高山ラーメンを試したい方には良いかもしれませんね。ただ、2度、3度となると、やはり違うお店に行きたくなりそうですが…(笑)。

   ・みちや寿司沖村屋

   通りからちょっと外れた所にあるのもまた良し(笑)   これを食べずして、飛騨高山は語れない?

 やはり飛騨牛は外せない存在でしょう。…ただ、どうしても牛ですから、なかなか食事がヘビーな内容になってしまうのは否めないと思います。1泊2日という行程が、1日目の夕食と2日目の朝食が旅館内での食事なってしまう事を考えると(例外もありますが…)、意外と外で食事が出来る機会というのは限られていたりするのです…。そんな中に飛騨牛ステーキなんてものを加えてしまうと、他の食事計画に与える影響が懸念されしまうわけです(大食いの方は除くとして…笑)。
 そこでお勧めなのが、寿司屋での“飛騨牛にぎり”です。これなら、そこまで大量でもありませんし、飛騨牛の良さを十分に堪能出来てしまうわけです。高山という、かなりの山間の町で“寿司”というのは変な感じもしますが、これが意外にも雰囲気的に合うんですよね。今回行った、みちや寿司というお店は、先ほどの鍛冶橋そばからも近い場所にあって、明治38年の創業という、高山でも老舗のお店です。飛騨牛にぎりというのは初めて食べた気もしますが、相当美味しかったですね♪…ありがたい事に、飛騨牛にぎりを加えたセットメニューなんかもありますので、昼間あたりに行ってみる事をお勧めします!


 これで結構十分だったりしますね(笑)。元々、高山自体が遠い場所にありますから、1泊2日の滞在時間というのは、実質約24時間くらいなのです。そうなると、かなり効率の良い旅が求められるような気がします。願わくば2泊3日の行程にして、中で丸一日使える日があっても良いなと思いましたね。

   隙間無く鰻が載っています!

 また、東京からの行程は、どうしても名古屋を通る事になりますので、今回の帰路では名古屋で途中下車し、前々から行きたかった、ひつまぶしの“蓬莱軒”に行ってきました(何せここが元祖ですからね)!名古屋で2時間くらいあれば、本店がある熱田まで往復してくる事も可能でしょう。良い旅の締め括りにもなったと思います(笑)。

 ☆白川郷観光協会のHP…http://www.shirakawa-go.gr.jp/

 ☆鍛冶橋そばの(食べログの)HP…http://r.tabelog.com/gifu/A2104/A210401/21001703/

 ☆みちや寿司沖村屋の(ぐるなびの)HP…http://r.gnavi.co.jp/n149400/

 ☆あつた蓬莱軒のHP…http://www.houraiken.com/

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旅日記 27.(アメリカ準州・グアム編…2009.1.24~1.28)
 5日間の休みを利用して、今回はグアムに行ってきました。毎年この時期になると色々な場所に行っている自分ですが、現在の“不景気”といった世界の情勢を考えるに、安・近・短の精神は重要だと思いました。それなら最初から行かなければ良いじゃないかとも思うでしょうが、自分はあまり、不景気に拍車を掛けるような事はしたくないのです…。こういった状況だからこそ、景気良い行動が必要なのではないかとも思いました。何だか矛盾じみた感じになってしまいましたが(笑)、“限られた範囲での贅沢を”…というのをテーマに、今回はグアムを選んでみたのです。


 ●まずはグアムらしい夏の風景をお楽しみ下さい(笑)

 グアムはアメリカの準州という位置付けで、まあ要するにアメリカです(ただ、アメリカの50の州には組み込まれていないので、例えばグアムの住民は、アメリカ大統領選挙の参政権は持っていません)。日本からは飛行機で3時間半ほどで、そこはもう赤道に近く、年間平均気温は26℃という常夏の島でもあります。今回は訳あって行きの飛行機の話しは省略し、まずはそんな常夏のグアムの写真を見て頂ければと思います。

   このタモン湾が、とりあえずの拠点になります   タモン湾の先には、有名な恋人岬が見えます

 グアムには、タモン湾という小さな湾があるのですが、主要なホテルの大体はその湾に沿って建てられており、故に周辺にはショッピング・センターやレストラン等が建ち並んでいて、必然的にここ周辺が拠点のエリアとなっています。ビーチは白い砂浜に水色(本当に、いわゆる水色です)の海が広がっており、予想以上に綺麗な場所だと思うに違いありません。

   グアムのビーチは、基本的に綺麗です!   なんとも常夏の島な感じですね

 この砂浜や海の綺麗さは、実はここに生息しているナマコのお陰だと言います。ナマコは砂を食べて、その長い腸で少ない栄養分をゆっくり吸収し、そして綺麗な砂を排出しているのだそうで、これがグアムの海の綺麗さに貢献しているのでしょう。ただ、グアムのビーチと言えば“ナマコ!”という時代もあったのですが、今回は殆どナマコに遭遇する事はありませんでした。自分が初めてグアムを訪れたのは小学校2年生の時で(もう20年以上も前ですかね…)、この時は本当によくナマコを見かけたものでしたが、一体現在の少なさっぷりはどうなっているのでしょうか。非常に気に掛かります…。

 …とにかく、日本から僅か3時間半程で、もう常夏の島というわけで、やはり日本が冬の時期に来るのが最高の贅沢だとは思いました。この先も記事は続きますが、こんな素晴らしい島が日本の近くにあるという事を、自分達はもっと深く知っておくべきなのかもしれませんね…。


 ●スマートレンタカーでドライブ三昧!

 グアム内を移動するなら、もはやレンタカーは必須とも言って良いでしょう。何せ日本の免許証で運転が出来てしまいますし、グアムは要するにアメリカ…もう典型的な車社会で、車で移動がしやすいように道が整備されているのです。また、どこに行っても有料駐車場なんてものは無く(確認していないだけかもしれませんが…)、どこのホテルだろうがレストランだろうが、敷地内の駐車場に停めてしまえば済む話なのです(しかも、どこの駐車場も余裕があります)。
 先程、ホテル群のあるタモンがグアム観光の拠点と書きましたが、ここだけに留まっていてはグアムの魅力は分かりません。むしろ、グアムの光景の神髄というのは、そういったホテル群のすぐ近くに、もう田舎のような風景が広がっている事…なのではないかとも思うのです。20年前と現在では、タモン界隈はかなり変わってしまいましたが、その他の地域はまるで変容を見せていません。これこそ、観光客がタモンにしか留まっていないお陰なのかとも思いますが(笑)、やはり昔ながらの風景を堪能しに、車を借りる価値は十分にあると思います。

   バックは、その名もベアー・ロック!   上下線の真ん中の車線は、左折用なんです

 今回でグアムで車を借りるのは3回目になりますが、自分は毎回スマート・レンタカーというレンタカー会社で借りる事にしています。要するに大手会社ではなく、規模的にも小さいものなのだと思うのですが、ここはスタッフが全員日本人で言葉の心配が無いのと、何よりもその安さが魅力です。
 他の大手レンタカー会社と比較しても、ここの1日39$(約3500円…1$=90円で計算)から…という値段には勝てないのではないでしょうか(もちろん車種によっては値段は変わりますが、これは小さめのセダンでの料金です…自分は49$の車を借りました)。この値段で、重要な保険料は全て込みなのです。そして、1日の数え方が“24時間”というのも良いです。つまり、借りた日の昼12時から、次の日の12時まで良いという事です。自分は旅行2日目の昼11時から3日間借りたので、5日目、つまり帰国日の昼11時まで、それは存分に使わせて頂きました。実質4日間と言っても良いですよね。

   これこそがグアムらしい田舎の風景です   ダイナミックな道路が続きます

 さあ、そんなこんなで車を借りましたら、まずはとことん乗ってみるに限ります!…グアムはアメリカのルールに倣って、左側ハンドル右側通行ですが、これは正直すぐに慣れます(ただ、ウインカーとワイパーも日本と逆で、ここだけ若干戸惑いますが…笑)。基本的に道幅も広く、運転しやすい道が続いているので、むしろ日本より快適に感じるかもしれません。さすが車社会だと思うくらいですね。

   これから麓まで降りていきます   ウマタックという村のシンボルでもある橋

 まずは島の南(上写真参照)に行ってみる事をお勧めします。タモンから、どこも寄らないで(そんな人はいないと思いますが…)ぐるっと1周して1時間半~2時間という感じでしょうか。グアムの素朴な日常が垣間見えると思います。自分も今回で3周目の快挙を達成しましたしね(笑)。
 ただ、北もある意味で面白いです。北側はアメリカのアンダーソン空軍基地というのがあって、まあ主立った施設というのはそれくらいしか無いのですが(しかも入れませんし…)、実は穴場的なビーチが控えているというのが面白いところです。

   だんだん海に近付いていくのが分かります   背後には絶壁がそびえ立っています

 タモンから北に向かって走ること約20分…。幹線道路から外れて、本当にこの道で良いのかと思いながら小さい道を走ること約10分…。道が坂を下り始めたかと思うと、その先には真っ青な海が見渡せるのです。この景観は見事で、その周りにあるジャングルの景色も相まって、本当に熱帯の島に来ている…という感じがします。
 麓まで降りると駐車場があって、そこから砂浜までは少し(鬱蒼とした林の中を歩くため、結構長く感じるかも)歩きます。そしてその林を抜けると、目の前には今まで見た事が無いような光景が広がっているのです!

   本当に行けるのか心配になります(笑)   緑のトンネルを抜けると…

   何だか神秘的です   海と砂浜は驚くほど綺麗でした!

 ここはリティディアン・ビーチと言い、時間にもよりますが、人も殆どいなく、何だか無人島にでも迷い込んできてしまったような…。そんな感覚にも襲われてしまう事でしょう。ここは波が高く、そのため遊泳禁止ともなっているのですが、これが最果て感を醸し出して良いのです(笑)。このビーチの近くに、予約制のプライベート・ビーチも用意されていて、タモンからツアーに参加すると入れるのだそうですが(そこは一応泳げるようです…)、個人的にはリティディアン・ビーチの雰囲気の方が好みのような気もします。
 この場所こそ車でしか来れない所でもあり、時間も16:00でクローズされてしまうのですが、是非一度足を運んで頂きたい場所でもありますね。このビーチに来たところで、何も出来ない感じもすると思うのですが、この“何も出来ない”…場所に足を踏み入れるという経験が良いのだとも思いますね。

   バリガダからは、空港とタモン湾のホテル群が見渡せます   給油は基本的にセルフで…

 他、自分は飛行機好きという事もあって、バリガダという小高い丘になっている地域から、空港とタモン湾を見下ろす風景(写真左上参照)は好きで、ここも毎回訪れている場所でもあります(笑)。流石に、ここは特にお勧め出来る場所とは言い難いですが、自分なりの好きな場所を探すという旅も面白いかもしれませんね。その時に車が大変役に立つわけです。
 ついでにガソリン代も安く(一時期には高かったそうですが…)、自分が行った時は1ガロン2,69$という値段でした。1ガロンは約3,8リットルなので、1リットルあたりが約64円という感じでしょうか…。これでもアメリカ本土よりは若干高めの値段設定だそうですが…。日本から見ると、何とも羨ましい世界だとも思いましたね。とにかく、レンタカーはお勧めです!


 ●アプガン砦のヤシの実屋さん

 車を借りたら(まだレンタカーの話しを引きずりますが…笑)、まずは訪れてしまう所が、タモンから西に5、6kmの所にある、ハガニアという村でしょう。ここは、いわゆるグアムの首都がおかれている村でもあり、政治と文化の中心地です。これは、グアムがスペインに統治されていた16世紀頃からそうであるので、周囲にはスペイン時代の面影が所々に残っているのが特徴とも言えます。その中にアプガン砦という、17世紀頃にグアムを統治していたスペイン総督が造った砦があるのですが、現在はグアムを代表するビューポイントにもなっています。タモン湾とはまた違った海の風景が楽しめると思います。ここは、オプショナルツアーに参加する事で訪れる事も出来るのですが、やはり車だと非常に楽にアクセス出来るので、改めてこちらを勧めたいところですね(笑)。

   アプガン砦にて…大砲はレプリカだそうです…   微妙なイラストが涙ぐましいです(笑)

 そんな感じで、わりと観光客が訪れる場所でもあるのですが、それを見越して?ヤシの実屋の屋台が出ているのが気に掛かりました。これは、スマート・レンタカーで案内をして頂いた方の情報で、ここのヤシの実屋は、まずは実の中に入っている液体を、実に直接ストローを刺してジュースとして飲ませてくれるのだそうです。…と、まあここまでは、グアムではどこでもある話しなのですが、ここはジュースを飲み終わった後、更にその実をナイフで穿り出してくれて、何とワサビ醤油で食べさせてくれるのです。

   グアム気分を満喫!…背後がハガニア湾です   “南国”と“和”の合体という感じでしょうか…

 これが最初は全然想像がつかなかったのですが、食べてみると非常に美味しかったのです。そして、今までにない感触が味わえました。何だか、臭味の無い白身の魚でも食べているような…。雰囲気的にはアボガドに近いとは思うんですけど、それでも全然違いましたね。これは新しい味でした。1つ5$(約450円)でございます♪…足を運んだ際には是非お試しを(笑)!


 ●横井ケーブの今

 皆さんは、“横井庄一”という方の名前に聞き覚えはありますでしょうか。この方は28年間もの長い間、グアムの密林の中で生活していたという日本兵です。戦争が終結した事を知らずに、1人ジャングルの中で潜伏していたわけですが、その当時の様子を伝えてくれる場所があります…。それがタロフォフォの滝公園で、ハガニアから15kmほど南下した所に位置しています。もちろん車で来るのがベストな所です。
 ここは一応、グアムの観光地としては有名な方だと思うのですが、今まで自分は来た事がありませんでした。…というか、ここのパンフレットを貰って、逆に行きたくなくなった…という方が正しい表現です(笑)。何だか、いつの間に商業化されているような感じで、“滝公園”と呼ばせて小さな遊園地みたいな仕様に書いてあったのです。
 …ですが、今回は意を決して向かってみる事にしました。半分は、怖いもの見たさ…という思いが否めませんでしたが(笑)、絶対に胡散臭いと思われるその場所に敢えて行ってみる…というのも、ある意味楽しい事ではないかと思ったのです。

   豚は…何なんでしょうね   この荒廃感は半端無いです

 メインの道から外れて、小さな道を走ること約5分…。どうやら入口らしき建物が見えてきました。辺りは大自然の真っただ中なのに、変にお城風な建物になっているところが解せません…。そして、入口付近にたむろっている黒っぽい動物達は何なのでしょうか。あ、豚ですが…(笑)。成程、ブヒブヒ言ってますね。しかも豚の餌が1$で売っています。ここだけでは、とても横井ケーブがあるとは思えない状況でした。
 入場料を20$(約1800円…高っ!!)払って中に入ると、それはこの世のものとは思えない、荒廃とした景色が広がっていました。稼働していない豆汽車、回転ブランコらしきものには“回転椅子”と書いてあって、どこで動かすのかさえ分からない状態…。何故かお化け屋敷が忽然とありますし、何より人が殆どいないです!

   何故これを造ったのやら…   個人的には、こういった光景の方が怖いです

 ここは、敷地内の整備というものを行っているのでしょうか…。そういえばチケット売場の人も、どうもヤル気が感じられるような人では無かったかもしれません。実際お客さんもまばらなので、暇そうにしている…という感じでした。唯一、入口の脇に『英雄、横井庄一夫婦訪問記念写真』と、写真が沢山飾られてあったのが、救いと言えば救いかもしれません(この写真の頃は、まだこの場所も活気があった感じだったので…)。

   基本的には従業員も暇なんでしょうね…   ゴンドラに乗ると、そのまま下っていきます

 そして、目的の横井ケーブや、ここの一番の見せ所(たぶん)であるタロフォフォの滝には、この先ロープウェイに乗っていかないと行けないようなのです(一応、徒歩でも行けるようです)。この乗り場まで、相当酷い光景を見てきたので、この4人乗りくらいの小さなロープウェイ自体がどうも不安に感じてしまいますが、まあまあ普通の乗り物だったと思います。乗ると、中に団扇が用意されていたのが笑えました。
 そんな不安感を胸に、ロープウェイは高い所に向かうわけではなく、逆に高度を下げる道のりをとっていました。成程、この崖の下の方に滝があるというわけですね。やがて滝も姿を現し、滝側の降り場へと到着しました。

   こちらが滝のある側の乗り場です   滝の麓には、ここの主のような人がいますね(笑)

 滝は2つあって、1つは滝壺に人が何人か集まっていました。よく見るとその人達は、ビール等でも飲みながら、皆でワイワイやっているではありませんか…。まあ、気持ち良さそうな風にも見えますし、ただの我慢大会のようにも見えますね…(笑)。それでも、何だかんだで滝壺で遊んでいる人は多かったですね。ただ、その脇に掲げられていた“No Swimming、No Diving、No Jumping”と書かれた立て札は気になりましたが…。

   タロフォフォ滝は2つあります   実験的なギャグは禁止?(笑)

 …さて、一瞬当初の目的を忘れそうになりましたが、横井ケーブはここから5分ほど奥に歩いて行くとあります。向かう道の入口付近には、『横井ショップ』(ただし、横井さんに関する物は売っていません)や『グアム歴史館』、そして、横井ケーブまで歩かずに行ける『モノレール』なる乗り物もありましたが、こちらは予想通り?動いていませんでした。しかし、このモノレールのレールの貧弱な事…。もし動いていても、微妙に乗りたくはないですね。
 …という事で、結局横井ケーブまでは徒歩で行くしかないわけですが(笑)、そこまでの道のりは獣道一歩手前という状態で、本当にジャングルの中を歩いて行く…という感じでした。それは28年間も見つからないか…とも思いましたが、そんなこんなで辿り着くと、見えてきました。横井ケーブ(右下写真参照)です。

   中は冷房が効き過ぎて寒いです(笑)   一応ここのメインとなる場ですが…

 確かに穴が開いているのが分かります。この穴の横には、中がどうなっているのかを絵で示してくれている展示物までありました。成程、これは大変だっただろうに…と思うのも束の間、最初から分かっていたのですが、これはレプリカなんですよね…。本物は、もっとジャングルの奥深くに位置していて、とてもじゃないですが観光客が行けるような所ではないのだそうです。よく考えてみれば、当り前か…とも思いましたが、それよりも20$の値段の高さだけが印象に残った場所になりました…。まあ、話の種にはなったのではないでしょうか(笑)?


 ●ショッピング天国グアム

 実はグアムは今、日本人にとって恰好のショッピング天国エリアだと言っても過言ではありません。グアムという場所は、輸出輸入に関税が掛からない事になっているので、島で売っているもの全てが免税で買えるのですが、それに加え今は円高ドル安基準になっているので、基本的に日本で売っている物よりは2~3割は安く買えてしまいます(ペットボトルのお茶とか、いわゆる日本の商品はそうはいきませんが…)。
 特に、洋服やアクセサリー、そして化粧品や香水などは、グアムで買うのが恐らくお得です…。今まで自分は、出発する時の成田空港の免税店で買うのが、何だかんだでお得だったイメージがあったのですが、今では完璧にグアムで買った方が安かったです。これは現在の情勢だからこそ…なのかもしれませんが、とにかくグアムはショッピング天国である事には変わりませんね…。また、狭い範囲でお店が集中しているのも、便利と思う理由に繋がっていると思います。色々と個性豊かなショップがありますので、少し見ていく事にしましょう。

   ・DFSギャラリア・グアム

   とりあえず足は運ぶ場所です   お土産品コーナーもありますが、若干高い…

 DFS(Duty Free Shoppers)ギャラリアは、アジア太平洋地域を中心に、大規模に展開する免税店チェーンで、ハワイや香港等でもお馴染みの免税店です(最近では、沖縄の那覇にも特別措置で出来ましたよね)。旅行代理店との間に密接な関係があるので、とりあえずツアーで旅行した場合は寄る事が多い場所ではないでしょうか。取り扱っている物は多く、ブランド品からお土産のマカデミア・ナッツまで、何でも揃ってしまいます。
 ただ、“免税店”とは銘打っていても、先ほど言ったとおりグアムは全てのお店が“免税店”なので、そんなに他の国ほど魅力的な部分は無いかもしれません。ブランド品は別として、お土産系になると、小奇麗にまとめられてはいるものの、そんなに安い感じは残念ながらしないのです。
 ここの活用法としては、若干ずるいですが、タクシーの無料サービスや、無料巡回バスの使用などが挙げられます…(笑)。ツアーでグアム旅行を申し込むと、必ず付いてくる“ショッピング・カード”(持っていなくても、DFSのカウンターで申し込めば作ってくれます)…。これさえあれば、タモン湾内の場所からでしたら、タクシーは無料でDFSまで行ってくれるのです。DFSはタモンの一番栄えている所に位置しているため、他に用事があっても、とりあえずDFSまで行けば近付ける事が多く、これが一番役に立つ部分かもしれません。それではあまりにもDFSが可哀想ですが、ここにしか無いブランドとかもあるので、とりあえず足を運んでみる場所ではありますね。

   ・ザ・プラザ

   アウトリガー・リゾート・グアム…というホテルに直結しているので、そこの宿泊者は大変便利です♪   バラエティーに富んだお店が入っています

 アウトリガー・リゾート・グアムというホテルに隣接したショッピングモールで、セレクトショップはもちろん、有名なレストランも数多く入っている場所です。DFSの真向かいに位置しているので、地の利の良さから、人は常に多い印象を受けました。個人的には地味な場所と解釈しているのですが(すみません)、とにかく便利な場所にあるので、ついつい視界に入ってしまい、そしてお店の中にも入ってしまう…と。こんな感じでしょうか(笑)。ただ、例えばグアムで“Vivienne Westwood”はここにしか入っていない為、なかなか侮れない場所でもあるのです…。

   ・JPスーパーストア

   オレンジ色の屋根なので目立ちます!   何気に侮れない場所です

 DFSの隣に位置するショッピングモールで、オレンジ色のエントランスが目立つお店です。この中にはグアムのお土産品もあり、そしてアメリカ系のカジュアルブランドや化粧品、そしてスポーツ用品等も充実しています。意外にも“その他大勢”に含まれてしまいがちな場所ですが、はっきり言って、グアムで“適度な”お土産を買うならここがベストだと思っています(もしくはコンビニの“ABCストア”ですかね)。エリアが広く、値段も安いので、とにかくパーッと見極めて買ってしまう事が出来ます(笑)。洋服系にしても、店員にしつこく付き纏われる事も少ない為、ここでショッピングを楽しむのは有りだと思います。自分も今回、何度ここに寄った事やら…(笑)。

   ・タモン・サンズ・プラザ

   ヴィトンの店舗は新しく、立派になりました   ハイソな雰囲気が漂います

 近年特に充実してきているのがタモン・サンズ・プラザです。ここは人気のブランドショップが20件以上も入っており、日本では入手出来ない物も数多く揃っているのだとか。また、これも個人的な見解ですが、ここのスタッフは何だか素敵な人が多く、対応の皆丁寧な印象を受けました。とりあえずセレブリティな感覚に浸りたい方には、ここをお勧めしたいですね(笑)。DFSからは若干離れているものの、歩けない距離ではないです。

   ・アカンタ・モール

   外観は良い感じなのですが…   人出はあまり多くないです

 外観はお洒落で良い感じなのですが、そんなに人が集まってこないのがアカンタ・モールです。ここにも色々なお店は入っているのですが、どちらかと言うと地元用…という感じなのかもしれません。それでも、店員は気さくな感じで、悪い印象は特にありませんでした。どこかのお店と違い、しつこく押し売り等はしてこないので(笑)、自分のペースで買い物を楽しみたい方には良いかもしれません。

   ・マイクロネシア・モール

   これぞ“アメリカ”!って感じです   中央は吹き抜けのある開放的な造り

 ミクロネシア最大のショッピングモールがここ、マイクロネシア・モールです。広大な売場面積に、広大な駐車場を見れば、さすがアメリカだと思う事でしょう。アメリカの百貨店“メイシーズ”や、“ペイレス・スーパー・マーケット”等も入っており、店舗は120以上を数えます。ちなみに、フードコートもやはり充実しており、ずらりとお店が並ぶ光景は圧巻です。ここは買い物も良いのですが、やはり安くご飯を済ませたい時に助かる場所でもありますね。例えばセットメニューでは、ご飯にプラス1~3品おかずをチョイスして、約4$(約270円)~8$(約720円)という感じです。3品ともなれば、2人で分けても良いくらいの量になりますし、ここもアメリカ文化の恩恵を受けていると言って良いでしょう。

   ・Kマート ・グアム・プレミアム・アウトレット

   アメリカ式スーパーと言えばここ!   もしかしたら、掘り出し物があるかも…

 Kマートは、いわゆるアメリカ式の大型スーパーマーケットです。大きな棚に、食料品や生活雑貨等がずらりと並んでいるあの光景を見たい方はこちらへ(笑)!…お土産品も、意外に充実しています。アメリカらしく、相当な大きさの買い物カートを牽いて、一気にまとめ買いするのが地元らしい買い方かもしれません。あの大きなカートに2、3品では、逆に申し訳無い気分にもなってしまうくらいです(笑)。
 グアム・プレミアム・アウトレットは、“アウトレット”とは言うものの、正直そんなに感動するほど安いものはありません…。ここで大事なのは、掘り出し物を狙う事でしょうか。地域的に若干遠いので、いくらかの賭けは必要になるかもしれません笑)。

 …と、まあ色々見てきましたが、最後の3つはタモン中心部から若干離れた場所に位置し、一応トロリー・バスも出ているのですが、やはりレンタカー利用に超したことは無いように思われます。…というか、荷物が多くなった時に、レンタカー意外に頼れるものはないように思うわけです。バス利用ですと、沢山買い物をした後は、とりあえず重くなった荷物を置きにいったホテルへ…という感じになってしまいそうですが、レンタカーだったら、そのまま車でレストランへと直行です。せっかくですから、ここもアメリカ式に動きたいところなわけですよ♪


 ●グアムの“食”

 今回でグアム訪問は5回目になるのですが、やはり美味しいお店は知っておきたいもの…。もしかしたら、この食事という面で、グアムの印象は随分と変わるかもしれません。基本的にアメリカに属するグアムなので、あまり食事なんて正直期待できない…かと思うかもしれませんが、アジアに程近いここでは、そういった料理も盛んで、意外と日本人に合う料理も用意されているのです。一応、チャモロ料理というグアムの郷土料理もあるにはあるのですが、ここではそれ意外で、自分がお勧めできる幾つかのお店を紹介したいと思います。

   ・ジェフズ・パイレーツ・コーブ

   ドクロが何とも言えず可愛い…(笑   カリブの雰囲気を満喫できるかも…?

 その名も Jeff さんが経営している、ビーチバー・レストランです。タモン地区からは離れていて、地域的に言うならばタロフォフォの太平洋側に面しています。この辺りは昔、難破した海賊船の乗組員が流れ着いて作った村があった…という言い伝えがあるらしく、いわゆる海賊的な?感じのお店になっていますが、この辺りでは唯一の本格的レストランで、そして観光名所ともなっているので(お土産屋も併設されているのです…)、常にお客さんで一杯というイメージがあります。
 店内は開放的で、海風が心地よい感じです。店内は、カウンターが座席か選べますが、Jeff さんと話したいならカウンターが良いかもしれません(…ていうか、自分が行った時には不在だったのですが…笑)。ここの名物はチーズバーガーで、かなり美味しいです。値段も8~10$(約900円前後)と手頃で、グアム南部をドライブするなら是非寄って貰いたい所ですね。実は、あの横井庄一さんも訪れた事があるのだとか…。どうりで、横井さんがプリントされてあるTシャツが売っていると思いました(笑)。

   ・セレノズ

   タモン湾から坂を上がる途中に位置します   本格的な料理を揃えます

 ここは、タモン地区にあるオハナ・ベイビュー・グアムというホテル内に入っているレストランで、グアムでは数少ない本格的なイタリアンのお店です。ここは、5年前にグアムを旅行した時(…これが小学生の時以来の訪問で、人生3回目の久しぶりのグアムでした)に、行きに見た機内誌でたまたま紹介されていて、その時に気になって訪れて以来、毎回来てしまってます。その頃はまだ新しかったのか、ガイドブックにも載っていなかったのですが、今では普通に色々なガイドブックで目にするようになってしまいました。しかし、タモン地区でも端の方に位置している為、意外と穴場な場所なのかもしれません…。
 雰囲気が良く、お気に入りの場所なのですが、自分としては、ここでこういったお店があるなら、周りにはもっと美味しいイタリアンがあるのではないかと、最近では思ってしまっています。もう今回で訪問は3回目にもなりましたからね…(笑)。

   ・アンダー・ウォーター・ワールド

   “水族館”と書いてあるのが若干萎えますが…笑   何とも贅沢な空間です

   テーブルの横の景色は、こんな感じ…   グアム名物“ポキ”は、お酒によく合います

 DFSギャラリアの真向かいには、アンダー・ウォーター・ワールド…つまりは水族館があって、ここは世界最長の水中トンネル(長さ約100メートル)が有名なのですが、これが夜になるとバーに変身するから驚きです。水中トンネルの部分にテーブルを取り付け、水中を見上げる形で、泳いでいる魚なんかを見ながらカクテルなんか飲むなんてもう、、、これはなかなか体験できる事ではありません。
 店内は、自分が見渡したところ殆どが日本人のお客さんで、入場料がカクテル1杯付きで35$(約3200円)と割高なのが玉にキズですが(昼も夜も7日間入館し放題で、39$…という設定もありますが、そもそも何回も行くとは思えないし…笑)、思い出作りには悪くない場所だとは思いました。とりあえず、エイとカメには感動したかもしれません(笑)。

   ・バン・タイ・レストラン

   建物の色は特徴的です   昼ですので、これでお腹一杯になります(笑)

 …実はグアムでは、なかなか美味しいタイ料理屋に巡り合う事が出来ます。このバン・タイもその1つで、ホテルロードの真ん中、アカンタモールの向かいに位置している為、そんなにアクセスの悪い所ではありません。特にお勧めは平日のランチ(11:00~14:00)で、確か8$(約720円)くらいでビュッフェ・スタイルの本格的なタイ料理を堪能する事が出来てしまいます。これが夜になると、1品が同じく8$くらいするので、そう考えるとランチがお得というのも頷けると思います。
 ここは地元御用達という感じで、自分もお昼に行くと、ビジネスマン風な人から、恐らく近くの仕事場の人、そしてもちろん観光客もと、とにかく賑やかでした。昼間の真っただ中は混む可能性があるので、ランチ始まりの直後の時間か、13:00以降に行くのが良いと、スマート・レンタカーのスタッフさんは教えてくれました(笑)。

   ・チョンギワ

   車で行けば、タモン湾からは近いです

 ここは、ホテルロードから一本内陸に入った、マリン・ドライブという道沿いにあるので、レンタカーやタクシーでも使わない限り来れない所ですが、距離的にはそんなに遠くありません。先ほどのセレノズから、車で3~4分も走れば着いてしまう感じだったと思います。
 ここは韓国料理のお店で、スタッフはほぼ韓国人のおばちゃん…という感じでした。店内も韓国レストランらしい雰囲気で、ここは日本人観光客はあまり来ないだろうな…とも思いました。しかし、ここは本格的な韓国スタイルのレストランで、値段もそれなりに安いですし、何といっても付け合わせが無料、そして食べ放題というのが有難いです。そして骨付きカルビの美味しい事美味しい事…。一気にお勧めしたいお店の1つになってしまいました。

   韓国料理と言えば“付け合わせ”…全て無料です   ユッケ、骨付きカルビは素晴らしいの一言

 そして、特に驚愕だったのがユッケです。このお店は、やはりスマート・レンタカーのスタッフさんに勧められたのですが、更に勧められたメニューがユッケだったのです。ユッケは実は自分も大の大好物で、焼肉屋に行くと大体頼むのですが、基本的に日本での焼肉屋さんでのユッケは、“貴重”に食べるものでもありました。
 しかし、このお店でのユッケの量ときたら、それは半端ではありませんでした(笑)。これぞアメリカ!という量でして、これは1人分の量ではありませんね…。早速、フグ刺しを食べるかのように、箸でごっそりと取る贅沢を味わせて頂きました…。この時、人生で初めての経験をさせて貰ったような気がしました(笑)。また、ユッケを注文した時の、お店のおばちゃんの「Oh! You Like “yukke”?」が未だに忘れられません…。スマート・レンタカーの人もユッケを何回も頼んでいたのでしょうか…(笑)。

   ・上海人家

   いかにも中国料理屋らしい店構え

 ここもマリン・ドライブ沿いにあるお店です。チョンギワとも至近距離にあります。タイ料理、韓国料理ときたら、やはり中華料理を外す事は出来ないでしょう。ここもスマート・レンタカー・スタッフさんのお勧めでもあります。
 ここで特筆すべきは、その料理の安さでしょう。大体1品が6$~8$(約650円)くらいで、しかも本格的な中華料理なのですから、全部が美味しいとみても間違いありません(笑)。夜でも2人で3~4品くらいで頼んで十分という量で、それでいて1人1000円ちょっとですから、これはグアムという場所にしては素晴らしい所です。

   旧正月だった為の装飾でしょう…   やはり中華料理は間違い無いですね!

 お店に入ると、何だかお祭りらしい装飾がされているなあとも思ったのですが、よく考えたらこの日は1月27日で、これは旧正月(春節)の次の日にあたるものでした。だからなのか、あまりお客さんがいる感じではなかったのですが、遅い時間に行った事も原因だと思います。話しに聞くと、このお店は20:00頃行くと地元客で結構混んでいるらしいので、空いていたのはラッキーなのだそうです。成程、それは更に満足度が高いですね(笑)。

   ・カフェ・キャット・クレア

   何だか心が落ち着いてしまう場所です(笑)   クレア名物、オムライスとビーフシチュー

 ここはセレノズと共に、3回目のグアムを訪れて以来、毎回立ち寄らせて貰っているお店です(場所もセレノズに近いです)。レストランというよりはカフェという感じですが、日本人が経営していて、そしてネットにてメールすると1割引にしてくれるというサービスも嬉しいです。ここの名物はオムライス、ビーフシチュー、そしてサンドイッチ等色々ありまして、アメリカの大味な食事からの解放をお望みなら、まず立ち寄って頂きたいお店でもあります…。そして、無料でインターネットを使える数少ないお店としても、覚えて頂きたいところですね。
 今回で3回目の訪問になったのですが、4年前に2回目の訪問となった時、お店のマスターは自分の事を覚えてくれて頂いていました。そして3回目…、つまり4年振りという月日の後に訪れた今回ですが、「信じて貰えないかもしれませんが…」と小さく前置きをされつつ、「以前にも来られた事ありますよね?確か前は、、、あの席に座られていたのを覚えています」…という事を言ってくれるではありませんか。聞くと、マスターは一度見たお客さんは忘れないとの事で、これには流石に感動モノでした…。

   お店のマスターと記念写真(笑)   持ち帰り(To Go)で、部屋での朝食にもピッタリ!

 …という事で、早速日本から用意してきた自分のCD“Pictures”を渡してきてしまいました(笑)。渡す前は、もし自分の事を覚えていてくれてなかったら…と色々考えてしまう部分もあったのですが、やはり来て良かったです。お店のBGMで流れている事を祈りながら(3日後に自分はまたこのお店に来て、マスターと話す機会があったのですが、どうやらマスターはCDを家に持ち帰ってしまったようです…笑)、次の日の朝に食べる用のサンドイッチを持ち帰り(グアムでは“To Go”と言います)にして貰い、クレアの余韻を楽しむ事にしましょう。

 ※…というように、数々のお店を紹介してきましたが、これらのお店、日本語が通じるかどうかは
  微妙な部分があるものの、全て日本語メニューは用意してあります。せっかくですので、ホテル
  周辺のお店ばかりに留まらず、一歩進んでドンドン色々なお店に行ってみましょう!


 ●ノースウェスト航空、ワールド・ビジネスクラス

 さて、そろそろ帰る話題(つまりは飛行機の話題…笑)に入るわけですが、ここで今回利用した航空会社というのが、アメリカのノースウェスト航空という会社でした。…ここまではいつも通りですが、今回は贅沢にも、往復ともビジネスクラスを使わせて頂きまして、それはそれは優雅な時間を過ごしたのです。これが、敢えてこの記事の最初に書かなかった理由ですが、この“帰路”もビジネスクラスというのは、本当に最後まで旅行に楽しみを与えてくれる感じで、本当に幸せな気分になりました。

   エコノミークラスは凄い列でした…グアム空港にて   赤い尾翼が特徴的なノースウェスト航空

 ところで、実はグアムという旅行先は、ビジネスクラスにしてもそう高い値段の路線ではありません。今回、自分は航空券とホテル付きの、いわゆるパッケージ・ツアーでグアム旅行を申し込んだのですが、そこに書いてあったのは、3万円追加で往復ビジネスクラスにアップグレード!…というものでした。これは…相当安いです!…片道あたり1万5000円と考えれば、更にお得感は増してきます(笑)。そして、この路線は日本航空(JAL)も飛んでいるのですが、JALは路線によって飛行機の機材を変えていて、いわゆるグアム路線のビジネスクラスは、大きめの座席…という感じの仕様になっています。しかしノースウェスト航空は、いわゆるアメリカ本土路線からの長距離用の飛行機もグアム路線に使用されているので、その座席の豪華さは素晴らしいのです!…また、そもそもノースウェスト航空にはファーストクラスという設定が無く、ビジネスクラスがこの会社での最上級のクラスです。それは会社が力を注いでいるのも当然で、それが往復3万円で利用できるというのは、ここは思い切っても良い所だと思ったのです。しかし、相対的にグアムへのツアー料金というのは安い為、正直昨年の夏にパリへ行った時〔旅日記 23.(フランス、パリ編…2008.7.23~7.29)参照〕の航空券の方が、今回のグアムのツアー費用より高かったです(笑)。
 そして、実はノースウェスト航空は、最近になってアメリカのデルタ航空という、これまた巨大な航空会社と合併しまして、社名もデルタ航空になってしまいました。ノースウェスト航空は日本でもお馴染みの航空会社で、おそらく成田空港では、JALの次によく見かける航空会社だと思うのですが(全日空より多いのです)、それが今後は全て“デルタ航空”になるわけです。巨大な航空会社同士の合併の為、その手続きには2~3年掛かると言われていますが、つまりはこれからは全てデルタ航空ブランドに仕様が変わっていくわけで、このノースウェスト航空の“商品”であるワールド・ビジネスクラスに乗れるチャンスというのは、今回が最初で最後になるかもしれないのです。そう考えると、ビジネスクラスに決めたのは、成るべくして成った…とも言う事が出来そうです(笑)。ここは思う存分、そのクラスを堪能したいところです。

   グアム空港のラウンジは小さめです…   グラスも、ちゃんとした物が使われています

 さて、とりあえあずは空港でチェックインですが、もちろんビジネスクラス専用カウンターというのがありまして、長い行列が出来ているエコノミークラスの列を尻目に、早々とチェックインが出来てしまいます。グアムという空港は、日本行きの飛行機が、日に何回か同じ時間帯に出るので、その瞬間だけ本当に混雑するのですが、それも何とかスルーする事が出来るのは素晴らしい事です。
 そして、空港ラウンジの使用が可能なのも忘れてはいけません。ただ、グアムの空港にあるラウンジは他の国際空港に比べたら小さめで、1便のビジネスクラスに乗る人で一杯になってしまいそうなくらいでしたが、それでも優雅な時間を過ごせるのは特筆ものでしょう。ここではフリードリンク制で、おつまみなんかも貰う事が出来ますが、せっかくなら、広大な敷地を誇る、成田空港でのラウンジを使ってみたかったです(こちらは行きに時間が無くて利用出来なかったのです)。
 そして、飛行機搭乗も優先的に行う事が出来ます(今回の機材は、往復ともエアバスA330-200型という飛行機で、ノースウェストでは最新型の飛行機です)。いつもはエコノミークラスの矢印に沿って飛行機に乗っていましたが、この時ばかりはビジネスクラスの矢印へ…。この瞬間は本当に気持ちが高ぶりますね(笑)!…そして機内に入ると、それは広々とした座席が自分を迎え入れてくれました。窓が3~4つ分の長さは占めていると思われるそのシート・ピッチ、もちろん幅も十分で、枕も(もしかしたらブランケットも?)大きめの物が用意されている感じでした♪…そして、早速ウェルカム・ドリンクのサービスがあり、その時に食事のメインのチョイスもしておきますが、これは、レストランのフルコースばりの対応ではないですか…。確かに、エコノミークラスでは体験出来ない事ばかりな気がします!

   成田発の機内では、敢えて日本食を選択(笑)   ワールド・ビジネスクラスの機内です…独特な感じですね…映画は、チャーリーとチョコレート工場(笑)

 自分、飛行機に乗っている時というのもは、なかなか寝付ける人ではないのですが(笑)、今回、実は気付いたらウトウトとしていまして、そしていつの間にか離陸していた…という体験をしてしまいました。これには自分でも驚きで、よほど心地が良かったのだと思いましたね。そして改めて、グアム島を上空から見下ろし、しばしの別れを告げます。何だか印象深い時間となりました…。
 そして、食事のサービスが始まります。飲み物も豊富で、昨今、アメリカ系の航空会社はアルコール系は有料になってしまったのですが、もちろんビジネスクラスでは無料で、お代わりは自由です(ヘタしたら、これで元が取れるのではないか…なんて…笑)。食事は、和食、洋食、チャモロ…が用意されていましたが、自分は成田発は和食で、グアム発を洋食にしてみました。もちろん、エコノミークラスのそれとは全然質が違います。これは食器を見ても明らかで、やはりお金を掛けているな…という印象を受けます。こういうのを見る面白さもあり、ますます空の旅が楽しくなってしまいますね。

   うんと伸びて、ビジネスクラスを堪能します   やはり機内からの景色は好きです♪

 食事が終わると、免税品の販売等もありますが、後は映画でも見ているか、座席を倒して寝てしまうか…で良いのではないかと思います。むしろ、この座席の神髄を体感したいなら、一気にベッドモードにしてしまう事をお勧めしたいです。座席の横にあるボタンで、背もたれを徐々に倒したり出来るのですが、一気にライフラット(約170度くらい)にしてしまえるボタンがあり、これは座席というより、ベッドに近い感じでした。特に、機内で足を伸ばせる事の素晴らしさは、他の何事にも代えられません。自分もお酒が入っている事ですし、ここはぐっすりと寝てしまいましょう(笑)。映画にしても、ワールド・ビジネスクラスでは、早送りや巻き戻しが出来る、ビデオ・オン・デマンド方式を採用している為、いつでも見る事が出来るのです。ああ、もう何も言う事無いです(笑)。贅沢の1つの在り方ですね…。グアムと日本の間は約3時間半という距離なのですが、はっきり言って、これ程までもっと乗っていたいと思った事はないですね。何とも後ろ髪を引かれる感じで飛行機を降り立ったものです。そして、また頑張ってお金を貯めて…という気持に素直になりましたね。これが明日からの活力に繋がるという事なのでしょうか。だとしたら、本当に有難いビジネスクラス体験になったと思いました。

   赤い尾翼から一転!…イメージを大きく変えました

 そして成田空港に降り立って目に飛び込んできたのは、デルタ航空の塗装に変更された元ノースウェスト航空のジャンボ機でした。元デルタ航空はジャンボは所有していないので、何とも見慣れない姿でした。しかし、これが今後は“標準”になるわけです。ノースウェストと言えば“赤い翼”が有名ですが、デルタ航空の塗装はそのアンチテーゼとも言える具合に(偶然にも)仕上がっており、一種の寂しさすら感じましたね。しかし、ノースウェスト航空のワールド・ビジネスクラスに乗ったという事実は消える事はありません。改めて、自分は貴重な体験をしたのだと思いました。


 …というわけで、全てにおいて思い出深い旅行になったグアムでした。今回は初めから、以前とは違ったグアムを目指して旅行を進めていたわけですが、それは大成功に終わったとも言えます…。飛行機選びにレンタカー、そして食事と、どれを取っても新鮮味があり、もしかしたら自分の持つグアムのイメージさえ変わったかもしれません。最初にも言いましたが、やはり日本からこんな近い場所に、こんな素晴らしい島を残してくれた事に、改めて自分達は感謝すべきなのかもしれませんね。また時間が経ったら、改めて訪れたいと思いました…。その時はまた、新たなグアムの魅力を発見する事でしょう!

 ☆ノースウェスト航空の(日本人用の)HP…http://www.nwa.com/jp/jp/

 ☆スマート・レンタカーのHP…http://smart-co.jp/

 ☆ジェフズ・パイレーツ・コーブのHP(英語のみ)…http://www.jeffspiratescove.com/

 ☆セレノズの(オハナ・ベイビュー・ホテルの)HP…http://obv.outrigger-japan.com/

 ☆アンダー・ウォーター・ワールドのHP…http://www.cometeguam.com/underwaterworld/contents.html

 ☆バンタイの(クリック・グアムの)HP…http://www.clickguam.com/guam/restaurant/banthai/e_banthai.htm

 ☆上海人家の(グアムスタイルの)HP…http://www.guam-style.com/restaurant/syanhai.html

 ☆キャットクレアのHP…http://www.catcrea.com/

テーマ:グアム&サイパン - ジャンル:旅行

旅日記 26.(山陽・九州編…2008.11.30~12.1)
 遅くなりましたが、昨年の11月末に行ってきた、0系新幹線を追ってきたレポート?を書きたいと思います。もうあれから1ヶ月以上経っているかと思うと〔新幹線0系引退参照〕、時間の流れの早さを痛感せずにはいられませんが、そろそろ一般の方からの0系への思いが薄れてきているのではないでしょうか…。個人的にも、今回の旅は特徴的なものとなっていて、思い出と共に、そこに自分なりの“価値”を見出せた旅になったとも思っています。それは見ていくうちに分かると思いますが、、、では順にご覧くださいませ。


 ●プレミアムクラスで神戸入り!

 新幹線0系に乗る…とは言っても、東京に住んでいる自分は、そう気軽には乗りに行けません。なぜなら、この時点で0系は山陽新幹線区間である新大阪~博多間でしか走ってなく、最後の0系使用の列車は、岡山14:51発の博多行となっていたからです。つまりは、最初の段階として、昼過ぎまでに岡山以西に行かなければならなく、その行き方には頭を悩ませました(笑)。事前に行く事が分かっていれば、安い飛行機料金で行く事も出来たのですが、何分この旅を思い付いたのは、行く日の2、3日前くらいの事だったので、その行き方もなかなか厳しい状況にありました。
 …という時に頭によぎったのが、羽田から関西方面行きの飛行機は、前日までに航空券を購入すれば安い…という事でした。関西に位置する空港というと、伊丹、関西、神戸の3つが挙げられますが、このうち神戸なら、岡山までは電車でも楽に移動が出来る距離です。早速ネットで検索してみると、まだ空席は余裕にある状態で、そのまま予約画面へと進みました。
 …と、またここで自分は“プレミアムクラス”という存在に目を付けてしまいます。これは、全日空(ANA)が提供する国内線の上級クラスの事なのですが、この時は割引運賃で、エコノミークラスに6000円をプラスすれば乗れる…という事が分かったのです(こういった状況で乗れる路線は限られるのです…)。少し悩んだものの、まだ乗った事がないクラスですし、ここは思い切って乗ってしまおうと思いました。そして11月30日の朝6:00、自分は羽田空港への人となったのです。

   神戸行きのみ遅延…運が悪いです…   午前の爽やかなひと時ですね

 飛行機は6:40発だったので余裕の到着でしたが、出発ゲートに辿り着いた瞬間、「機体のトラブルにより、当機は遅延が発生します。また、搭乗ゲートも変更になります」…との放送が流れました。いきなりオイオイ!と思いましたが、自分はこの待ち時間を利用して、空港のラウンジに出向いてみました。ここは、プレミアムクラスに搭乗する人や、ANAのプラチナ会員など、限られた人でしか利用出来ない場所でもあるのですが、自分はこの時は利用対象者になっているわけで、堂々と中に入っていったものです(笑)。初めて足を踏み入れた場所でしたが、ラウンジらしく椅子やテーブルが整然と並べられ、パソコンを置けるようなスペースも用意されており、やはり多忙なビジネスマン向きの空間という感じはしましたね。その他、フリードリンクや、ちょっとしたおつまみ等も用意されていましたが、ドリンクはお酒類が結構充実していて驚かされました。これは、ちょっと早く空港に来て、ここで時間を潰すというのは有りでしょう。今回はあまり時間が無かったのですが、また機会があったら利用してみたいと思いましたね。
 そして、ようやく搭乗の案内があり、ゲートに移動です。本来なら、空港ターミナルに横付けされて飛行機に乗る筈になっていましたが、恐らく機材を変えたのか、乗る飛行機まではバスでの移動となっていて、お陰で左下のような写真も撮る事が出来ました。まあ、ビジネスマンからしたら迷惑なのでしょうが、自分は結構喜んでいたわけでもあります(笑)。

   遅延のお陰で?このような写真も撮れました!   さすがに、ゆったりとしています

 そして、今回の自分の座席番号は“1A”!飛行機の一番前の座席でもあり、これはプレミアムクラスならではですよね。エコノミークラスとは比べ物にならないくらい前後間隔は広く、幅も十分という感じでした。そして、この飛行機にはこの座席が10席ほど用意されているのですが、その場所担当のCA(キャビン・アテンダント)が3人もいて、これこそ正にプレミアムです(笑)。さすがだと思いました。
 約30分遅れて飛行機は出発しました。離陸もスムーズで、やはりエンジンより前にある席は静かです。程なくシートベルト着用サインが消えると、ここで軽食がサービスされました。“軽食”とは言ってもサンドイッチやサラダが入っているという豪華なもので(しかも、自分の好きなサーモンまで入っていて…笑)、国内線で機内食という、新鮮な体験をする事が出来ました。そして、窓の外には富士山も見え(神戸行きでは、富士山は左側に見えるようです)、贅沢な旅だなあ…と改めて思ってしまいました。神戸までは約1時間15分のフライトでしたが、まだまだ乗っていたいと思ったのは言うまでもありません。

   味もなかなか良好でした♪   この角度の富士山もまた新鮮!…奥が駿河湾です

   神戸の街並と、これから着陸する神戸空港が見えます   神戸駅には、こんな標識が立っています


 ●0系新幹線と、山陽路を下る

 神戸空港にも、定刻より遅れての到着となりましたが、もはやそんな事はどうでも良くなるくらい、素晴らしい時間を過ごす事が出来ました(笑)。そのまま三宮駅へと出て、まずは在来線(JR山陽本線)で西へと向かいます。ついでに、この日はここから博多の先まで行ってしまう予定なので、山陽本線の起点でもある神戸駅には1回降り立っておきました。ここが東海道本線と山陽本線の境目でもあり、今回の旅の始まりの場所のようにも感じたからです。
 そして、在来線でトコトコと、、、。途中、姫路駅と相生駅で乗り換えがありましたが、乗り換えたところで、次も同じ山陽本線なわけで、このあたりでは自分にも良い感じで眠気が襲ってきて、車内でウトウト…という時間を楽しんでいたように思います(笑)。

   新幹線の駅にしては小さな新倉敷駅   このポスターは、今回至る駅で見かけました

 そして、最初の目的地である新倉敷駅に着きました。あれ、岡山駅は?…と思うかもしれませんが、恐らくこの日は0系フィーバーで、駅構内は相当混んでいる事が予想されたので、新幹線的に1つ先の駅である当駅に来てみたのです。ここで狙うのは、博多から岡山に向かう、0系使用列車の最後から2番目の列車です。この列車が岡山駅に着いた後、折り返して岡山発博多行の、0系“こだま”の最終列車になるわけです…。最後の列車よりは注目度も少なく、環境的に撮りやすいのではないかと思った次第でした。

   500系を追い越す、700系“ひかりレールスター”   この500系は、後にまた見かける事になります

 そんなワクワクした気持で新幹線ホームに降り立つと、そこには予想外の光景が待っていました…。16両というフル編成の500系が、向かいのホーム(東京方面)に停車していたのです。本来、500系の16両編成の車両は“のぞみ”専用という性格が強く、まず新倉敷という駅には停まらない筈なのですが、これはどういった状況なのでしょうか…。ただ、行き先を見ると『回送』と表示されていて、どうやら定期の列車ではないようでした。これは後に明らかになります…。
 500系はその後、700系“ひかりレールスター”を待避し、その後東京方面へ走っていきました…。この時点で、0系狙いと思われる、カメラ持参の人が多くなってきたのですが、恐らくこの一連の光景もカメラに収めていた事でしょう。もちろん、自分も例外ではありません(笑)。
 …そして、ついに0系がやってきました。6月に見た時と同じく〔竹内大輔、北九州ツアー(2008.6.5~6.9)参照〕、オリジナル塗装であり、これが元祖新幹線!…と言わんばかりの形相でした。かつての16両編ではなく(最後は6両編成です)、“こだま”という地味な列車でもありますが、今の新幹線の元はここにあるわけです。1964年、東京オリンピックの時に生まれた車両ですから、ある意味生き証人とも言えるわけですね。この時、本当に見に来て良かったと思ったものです。

   今回の旅の主役ですね!   どこの駅のホームもこんな感じでした(笑)

 0系が入線してくると、今まで静かだったホームもざわつき始め、皆一斉にカメラを向けていました。この新倉敷という駅は、普段は新幹線“こだま”号が1時間に1本ぐらいしか停まらない駅でもあるのですが、この時ばかりは人出だけはターミナル級だったと言っても過言では無いでしょう。停車後は700系“のぞみ”に抜かれ、それでも淡々と岡山へ向けて走り始めていきました。その後のホームはというと、そこにいる人達皆の、不思議な満足感や達成感が漂っていたようにも思ったものです。

 そして、この後自分は岡山へ向かう、、、ではなく(笑)、新幹線で広島へと進路を向けました。岡山から折り返して戻ってくる0系を、広島で迎え入れる…というわけです。早速、次の“こだま”(これは100系でした)で福山駅に向かい、ここで後から来た700系“ひかりレールスター”に乗り換え、一気に広島まで向かいました。この“ひかりレールスター”に使われる車両は東京駅に姿を見せなく、JR西日本の区間でしか(新大阪~博多間)でしか乗れないのですが、自分も今回が初めての乗車となりました。もちろん、狙っての乗車です(笑)。車両の塗装も独特なものになっていて、指定席は2&2シートになっているので(普通は2、3席です)、利用者には“のぞみ”以上に好評の列車でもあるのです。今回は自由席での乗車となった為に、指定席の雰囲気を味わう事は出来なかったのですが、とにかく“乗った”という事にはなりました。そして、広島までは福山から僅か25分…。やはり新幹線は早いのです。

   福山駅にて   普通の700系の車内とは若干異なる雰囲気です

   広島駅にて…ちょっと小休止です   お好み焼きとは違った魅力がありました♪

 広島まで一気に来てしまったので、予定の0系最終“こだま”号が到着するまでは、まだ2時間程時間が空いてました。この時間を利用して昼食(敢えてお好み焼きは食べませんでした…笑)をとり、また、広島電鉄の写真等も撮っておきます。なかなか気軽に来れる所ではないので、こういった時間も有効に使いたいところなのです。

   広島は路面電車(広島電鉄)が相当発達しています   郊外にも行く路面電車は、連接車になっています

 そして日も傾きかけた頃、0系は広島駅に入線してきました。この時も、新倉敷駅と同じくホームは雑然とし始めましたが、やはり駅の規模が違います。山陽の一大ターミナルである広島駅では、更に人出も多くなっている感じでした。よく見ると、家族連れやカップルの方なんかもいたりして、0系がラストラン…というのが、一般的にもよく浸透している証拠だと思いましたね。まさかこの中で、今日羽田から神戸経由で飛んできたという人はいないかと思いますが…(笑)。
 そして、見に来ていたのはお客さんばかりではありません。ホームの先端には、恐らく駅の職員だと思われる人達や、線路の整備等に携わっている人達も大勢出迎え、それは1つの儀式のようでした。実際、0系が博多に向けて出発する時には、皆で列車に向かって敬礼をしていましたので、やはり時代を生きてきた車両であると共に、多くの技術者が関わった車両なんだとも思いました。ある意味、1つの歴史を終えたような瞬間を見られ、とても印象に残りました。この駅も、降りておいて良かったと思えた駅の1つです。

   広島駅でも0系は注目の的でした   0系“こだま”号の後を追う、500系臨時“こだま”号

 そして、0系“こだま”が発車して暫くすると、同じホームに、今度は臨時“こだま”が入線…との放送が入ってきました。何だろうと思って見てみたのですが、それが先ほどの500系が入線してきたのですから驚きです。どうやらこの日、0系の“こだま”が混雑される事が予想されていたので、救済列車として、500系16編成使用の臨時“こだま”号が運転されていたようなのです。500系は、最近では(0系が引退してからは)短編成化(8両編成化)かされ、JR西日本の“こだま”に使用される事が多くなったのですが、16両編成で“こだま”に使われるのは相当珍しいです。こちらの写真を撮っている人が多いのも頷けました。
 さて、この後自分はどうしたかというと、更にその後に来た500系“のぞみ”号で、今度は一気に博多へと向かいました。もちろん、先の500系“こだま”も、0系“こだま”も軽く追い越して、それらより40分くらいは早く博多に到着してしまいます。意外かもしれませんが、500系使用の“のぞみ”というのは、かなり減少していて、今では定期列車では1日に2往復が残るのみとなっています。これはN700系車両の台頭が著しいからですが、それなら敢えて、自分は500系のグリーン車に乗ってみる事にしました。将来的に、500系は“こだま”に全て転用されそうな気配があるのですが、その時にグリーン車は連結されないので、それを味わうには今しかないのです。

   こちらは自分の乗った500系“のぞみ”号です   500系グリーン車内にて…さすがの乗り心地でした

 …強引な理由ですが、とにかく500系グリーン車に乗らせて頂きました。車内は空いていて、グリーン車の醍醐味を感じてしまいましたが、広島の次の駅である新岩国駅では、先の500系“こだま”を、この500系“のぞみ”が追い越す…という、500系が500系を追い越すという珍しい瞬間にも立ち会え(一瞬ですが…笑)、そう静かにもしていられない、、、というのが本音でもありました(笑)。この時の新岩国駅のホームでも、相当なカメラ合戦が繰り広げられていた事でしょう。

 そして日もどんどん暮れ、自分の乗った“のぞみ”号は、博多駅には17:40頃到着しました。0系の“こだま”号は18:21到着予定なので、まだ時間はある感じですが、もう既にホームにはカメラを持った人の姿が多くなっていました。また、それは時間が経つにつれ増えてきて、更にはテレビ局のカメラも入ってきて、ホーム上でインタビューを受けている人も何人かいました。それは。本当にこの日で最後なんだ…という実感が、雰囲気でも伝わってくる程です。あとは、、、0系を待つだけです。

   博多駅にて…ここでも結構な人だかりが…   0系“こだま”、拍手歓声と共に入場です

 そして0系が博多駅に進入してくる直前、ホームはもう溢れんばかりの人だかりになっていました。場所によっては足の踏み場もない程で、改めて凄い状況だと思いました。列車はさすがに5分程遅れての到着でしたが、それでもよく無事に走り切ったものだと思います。それは今日だけではなく、1964年に走り始めてからずっと…です。日本の当時の技術の結晶ですからね。この事は日本人として、もっと誇りに思っても良い事だなと思いますね。
 0系が到着してから、ホームの先端では授賞式など、色々なイベントが行われていたようですが、如何せん人が多過ぎて、そちらの様子が窺えない感じでした。言い過ぎではなく、もう人が動けないくらいの状態になっていたのです。
 そんな折り、0系が到着したホームの反対側に、別の車両が入線してきました。これは実は、今度九州新幹線が博多まで開通した時、山陽新幹線と直通をさせる為に開発された量産先行車で、N700系7000番台という車両でもありました。もちろん、まだ営業運転等には入っていない車両なので、新幹線の博多駅には、新幹線の最新車両と元祖車両?の最初で最後の共演が見られたわけです。聞けば、JR西日本は、この時の為にこの車両をこのホームに入線させたらしく、JR西日本の粋な部分を見たという感じがしましたね(笑)。そして、追い討ちを掛けるように、その隣りのホームには、0系の後を追っていた500系臨時“こだま”の姿が…。正に、新幹線を代表する3車がここに集結!…といった感じになり、行きかう人々を釘付けにさせていたものです。何だか、夢でも見ているような気分でした(笑)。

   0系の向かいには、今度開通する山陽・九州新幹線直通用の車両、そして隣には500系の臨時“こだま”も入線してきました   0系“こだま”、最後の博多駅からの発車です…

 そして、そんな時間もあっという間で、ついに0系は車庫に向け、その姿を後にする時がやってきました。0系の写真を撮る人も一段と増してきた感じです。この時ばかりは500系も脇役という感じでしょうか…。そして、汽笛と共に博多駅を出発。もう定期列車としては戻らない道を進んでいきました。自分はホームの後ろから見送る形になりましたが、どうやら運転席(車掌室でもありますね)には花束が添えられているようでした。

 思えば0系という車両は、1964年に東海道新幹線として走り始めてから、暫くは独占場でした。それは、当時の国鉄にそれ以上の予算が無くて、新型車を開発する余裕も無く、0系を0系で置き換える…といった時代が続いていたからです。そんな国鉄の末期に100系という新形式の新幹線が登場して、それらはもちろん当時の華である“ひかり”に投入され、0系の活躍は徐々に“こだま”へと押し進められてきました。この時から、先の尖がっている100系に対して、先頭が丸みを帯びている0系は、その役割から“こだま形”とも呼ばれるようになった気がします。そしてそれは、今見ても本当に愛嬌のある顔だなぁとも思います…。しかし、自分が今回博多駅で見た0系は、そんな顔が少し泣いているようにも見えたのですが、、、気のせいかもしれませんね。

 そんな0系へ、、、お疲れ様でした!


 ●肥薩おれんじ鉄道と九州新幹線

 0系と別れてから自分は、そのまま家に帰るわけではなく、この日予約したホテルに向かうため、一路熊本へと足を運んでいました。そして一夜を明かした次の日、九州新幹線と、その並行する在来線でもある“肥薩おれんじ鉄道”の乗車をしに、朝早く八代へと向かったのです。
 九州新幹線乗車の目的は、〔祝、800回目!〕の記事の写真確保…というのも無きにしも非ずでしたが(笑)、やはり九州新幹線が博多まで全通する(2010年度中に開業予定…だそうです)前に、もう一度乗っておきたいという思いがあったのです。そして、現在の九州新幹線は新八代駅~鹿児島中央駅間のみの営業となっているのですが、この開通時にJR九州から切り離された八代駅~川内駅間は、第3セクター経営の肥薩おれんじ鉄道に取って代わっており、こちらの会社になってからはまだ未乗車であった為、こちらも併せて乗っておこうと思ったわけです。今回も結果的に、色々と詰め込んだ旅になりましたね(笑)。
 …という事で、まずは八代駅から、肥薩おれんじ鉄道の乗車を始めましょう。この路線は、元JR九州の鹿児島本線の路線でもあり、交流電化区間となっていますが、使用車両は整備のコストを下げるためか、ディーゼル車両となっています。それでも未だに電化されているのは、ここをJR九州から来る貨物列車が通るからです。ある意味特徴的な列車形態とも言えるかもしれません。
 この駅から南に下るのは、もしかしたら高校生の時以来かもしれませんが、あの時はまだJRで、確か3両編成の電車だった気がします。この時も相当ローカル線だなと思っていたのですが、今回は2両編成のワンマン列車だったので、更にローカル感が増していました。しかし、この鉄道では、基本的に1両編成が主体となっている為、今回はむしろ“長い編成”だったのです…。それでも、八代駅発車の時点で、お客さんは自分を含め10人弱…。確かに、この両数で十分だとは思いました。

   電化路線ですが、車両はディーゼルカーです…八代駅にて   海に沿って走る区間が多いです

 ここから川内までの区間は、地域的に山が海岸まで迫り出している区間でもあるので、線路は海岸に沿うように走っていきます。新幹線がなかった時代は、ここに在来線特急も走っていたので、それは良い眺めを望みながら旅行が出来た事でしょう。しかし現在の新幹線は、この区間はほぼ真っ直ぐにトンネルで抜けてしまっています。これも時代の流れなのでしょうが、在来線からの景色も忘れないでいてほしいものですね。
 水俣駅、出水駅と、九州らしい場所を通っていきますが、さすがに鈍行列車では時間が掛かります…。それもその筈で、八代駅から終点の川内駅までは116,9kmもあり、これは第3セクターの私鉄としては最長でもあるのです。自分の乗った列車は、八代駅8:44発、川内駅11:17着ですから、約2時間半の行程でもあるわけですね。もちろん、この区間を全通しで乗った客というのは、自分以外には皆無でした…。
 そんなこんなで、途中は熟睡モードにも入ったものの(笑)、川内駅には無事到着。ここからはJR九州の路線になって、最終目的地である鹿児島中央駅には12:07に到着しました。距離的には大したものではなかった筈ですが、それ以上に遠くに来た…という感じがしましたね。時間的にお昼でもあったので、ここで鹿児島名物である黒豚の生姜焼きを頂きましたが、この旅一番の美味しさでもあった気がします。

   モダンな駅舎の鹿児島中央駅   やはり黒豚は食べなければいけません!

 そして今来た道を、今度は九州新幹線を使って戻ってみる事にしました。この鹿児島中央という駅は、在来線と新幹線が直角で交わっているという、なかなか興味深い配置になっているのですが、要するに新幹線は、在来線とはルートが大幅に異なる…という事です。鹿児島中央駅を出ると、すぐにトンネルになっているというのも、その事を大きく表している感じはしました。

   800系“つばめ”は子供達にも人気のようです   新幹線も、ここだと終点…という感じですね

 九州新幹線の車両は800系という車両で、栄誉ある“つばめ”…という列車名が与えられています。この車両は九州新幹線全通後、山陽新幹線と直通運転を行った後も残存し、JR九州らしさを存分に魅せてくれる車両になっていく事でしょう。華ある直通運転用は、先に紹介したN700系7000番台に譲る事になりそうですが、九州初の新幹線車両として代表的なものである事に、変わりはありません。
 この“つばめ“については、過去に〔旅日記 6.(九州編…2006.9.12~9.13)〕の記事でも紹介したので、詳細は省きますが、これに乗って鹿児島中央駅~新八代駅を乗り通すと、約40分で着いてしまうのです。この区間は、朝乗ってきた在来線経由では、約3時間半も掛かった区間でもありました…。そして、新幹線の新八代駅では、熊本・博多方面に向かう“リレーつばめ”号が隣で待っており、迅速なネットワークが築かれております。やはり、いつも利用する人には、九州新幹線の魅力は大きなものなのでしょうね…。

   現在の新八代駅では、暫定的に新幹線と在来線の乗り換えが生じていますが、それは隣のホーム同士で可能となっています   この風景も、いずれ見納めになりそうですね

   新八代駅の北側では、もう路盤は殆ど出来ている感じでした   熊本駅でも、新幹線乗り入れの工事の真っ最中!

 新八代駅から北側(要するに、まだ開通していない部分です…)ですが、もう高架橋が殆ど完成しており、今回通ってきた熊本駅、博多駅、そして前に訪れた博多南駅での光景も併せて、九州新幹線の全通は一歩一歩近付いている…と思ったものです。これが完成したら、また新しい時代がやってくるのだと思いますが、0系引退というのも、1つの時代の終わりに相応しいものだったかもしれませんね。確かに、初めての新幹線開通が0系誕生の時でもあり、それ以来0系は、常に新幹線上に存在したわけですから、これからは、0系新幹線不在の時代…ともなるわけです。
 時代の移り変わりは激しいですが、今回の九州新幹線の事を色々な面から見れた自分としては、今後の新幹線の話題は明るい事が多いような気がしました。この九州新幹線全通の前には、東北新幹線の新青森延伸…という話題も入ってきてますし、ますます今後も目を離す事が出来ません…。0系引退を間近に見た自分としては、これらの出来事もしっかりと脳裏に焼き付けておくべきだと思いました。


 ●帰りは熊本空港から

 大いに詰め込んだ今回の旅でしたが、いよいよ終わりの時が近付いてきました。このまま博多に戻って新幹線で帰るというのも有りでしたが、この時点で自分は熊本にいたので、熊本空港から飛行機で帰る方法を思い付きました。熊本空港からは、スカイネットアジア航空(SNA)という、わりと安めの航空会社が飛んでいて、これなら新幹線経由の値段以下で帰れたからです。
 熊本空港は、“阿蘇くまもと空港”とも呼ばれていて、阿蘇山の山麓に敷地が造られている為、風光明瞭な空港としてもよく知られています。自然の真っただ中を離陸・着陸していく様子は、よく飛行機写真等にも採り上げられていたりしていて、自分は初めて足を踏み入れる場所でもあったので、ここは期待したいところでした。

   熊本駅からバスで50分くらいの熊本空港   山の中腹に位置する為、景色はなかなか良いです

 そしたら想像通り、ロケーションは抜群でした。ターミナルの前には雄大な景色が広がっており、その向こうには山々が薄っすらと見えるなど、これぞ日本の風景!…という感じの広がり方でした。この空港は、リムジンバスで熊本駅から約50分、熊本市内からは約40分という距離ですが、それだけ時間を掛けてくればこの景色も納得…という感じでしょう。しばし展望デッキで撮影に励んでしまいました(笑)。

   韓国はソウルから飛来した、アシアナ航空のエアバスA320   これから乗る、スカイネットアジア航空の機体が着陸

 そしてそのクライマックスは、自分の乗った飛行機が離陸する時でした。滑走路が、北東から南西に向かって延びているせいか、これから沈む太陽に向かって飛んでいく形になったのです。そして、太陽は滑走路の先端で沈んでいくという奇跡の光景が望めました(デジカメ使用は禁止の時間だったのが歯がゆかったです…)。北東から南西に向かって延びている滑走路、そして、空港の東側から西側に向かって標高が低くなっていく地形…。これら2つの環境を備え持っているからこその光景でもあり、航空カメラマンに人気の空港というのも窺えるというものでした。そういえば、空港敷地外の側道に何台か車が停まっているのが見えましたが、あれはきっと飛行機撮影で来ている人達なのでしょうね…。そう何回も撮影チャンスは無い筈ですが、これだという瞬間に狙いを定めて撮影する…。そんなロマンをも想像させられる空港だったと思います。

   ボーイング737-400という機体です   熊本空港を離陸後の風景も綺麗でした

 このように、終わってみれば“あっという間”でしたが、印象的にはとても強いものが残りました。この旅を行ったのは昨年の11月末の事で、少し時間が経ってしまいました。しかし、2009年になった今だからこそ思えるのは、新幹線0系が引退したというのは、2008年の中での交通関係のニュースで、紛れも無くトップの話題だった…という事でしょう。この事実も、忘れないでいきたいですね。

 ☆全日空(ANA)のHP…http://www.ana.co.jp/

 ☆ありがとう0系(JR西日本による)のHP…http://www.jr-odekake.net/navi/shinkansen/0kei/special/

 ☆肥薩おれんじ鉄道のHP…http://www.hs-orange.com/

 ☆九州新幹線「つばめ」(JR九州による)のHP…http://www.jrkyushu.co.jp/shinkansen/index.jsp

 ☆熊本空港のHP…http://www.kmj-ab.co.jp/

 ☆スカイネットアジア航空(SNA)のHP…http://www.skynetasia.co.jp/

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

旅日記 25.(函館編…2008.11.11~11.12)
 少し気が早いかもしれませんが、今年も年の瀬が近付いてきていますね…。そんな時に、自分のこの先の仕事スケジュールを見てみたのですが、どうやらこの先は殆ど休みが取れない事が分かってしまいました。これはいけません…、何とか今のうちに旅行をしておきたいものです(笑)。…という事?で、今回は秋の気配がまだまだ残る、北海道の函館へと足を運んできました。1泊2日の短い旅行でしたが、存分にこの先の仕事への充電が出来たような気がしました。どうぞご覧下さいませ!


 ●秋晴れの北海道!

 今回、函館に向かう交通手段で使ったのは飛行機でした。さすがに1泊2日で鉄道移動では、時間が勿体無さ過ぎます(笑)。ただ、平日出発にも関わらず飛行機はどれもが混んでいて、チケットを取るのに若干苦労しましたが、今回は、飛行機往復と現地のホテル1泊付きの包括運賃(いわゆるツアー運賃です)で手配する事にし、全部で3万円後半台で収める事が出来ました。東京~函館間の飛行機の通常料金は片道で31500円(日本航空の場合)にもなるため、何かと包括運賃の方がお得なのです!…そんなこんなで、朝7:40発の函館行きに乗るべく、早々と羽田空港へと向かいました。
 朝早い便ではありますが、最近は7:00前出発の飛行機にも乗る事が多かった為、もうこの早さにはさすがに慣れてしまいました。また、飛行機というものは、朝早い便の方が安く設定されているものも多い為、この時間帯の羽田空港は、昼間と変わらない混雑っぷりを展開しているのも、もう常識という感じです。相変わらず慌ただしい雰囲気ではあるのですが、なんとかチェックインを終えて搭乗口に向かいました。

   羽田空港の、よくある?光景です

 この日は雲が分厚く、天気予報でも次の日は時々雨…みたいな事を言っていたので、旅行に影響はないかと心配になりましたが、どうやら函館は概ね晴れているようです。今回は久しぶりに日本航空を使いましたが、この便はほぼ満席という感じで、函館への意外な人気さを垣間みさせてくれました。ただ、日本航空の羽田~函館間は、ボーイング767-300という飛行機(約260人乗り)が3往復しかしていないので(土祝日は一部変更有り)、基本的に混んでしまう路線なのかもしれませんね…。
 さて、満席に近い便だったので、自分の席は窓側どころか通路側にもならず、3列シートの真ん中の席となってしまいました。この飛行機の横の座席配置は2-3-2人掛けとなっているので、窓側でも通路側でもない席に当たるというのは、かなり小さい確率なのですが、混んでいるので仕方ありません…。函館までのフライトは、離陸後55分となっていましたが、ここは今後の観光の為に、身体を休める事にしておきましょう。
 …そして、間もなく函館空港に着陸するというアナウンスが流れました。自分は真ん中の席でしたが、窓の外に頑張って目をやると、眼下には海が見えるくらい高度を落としており、着陸まではもう僅かという感じでした。しかし外は見にくいので、前方スクリーンに映し出される機外映像を楽しもうかなと思いました。
 その時、前方スクーリンに見えたのは函館山でした。その高さはこちらの高度とほぼ変わらない感じでしたが、やがて飛行機は山の右側を向け、海上から陸地に入ります。そして前方に、有名な五稜郭タワーが確認できると、一気に機体は右に進路を変え、そのまま函館空港に着陸しました。なかなか迫力あるファイナル・アプローチ(微妙に自分の曲を宣伝してみる…笑)と共に、函館らしい風景を見ながら着陸というのは、なかなか興味深いものでした。窓側だったら、さぞかし素晴らしい景色が見えたに違いありません。

   右奥に見える函館山が素敵です

 これは空港の西側からアプローチするパターンで、風向きによっては東側からアプローチする事にもなるそうですが(函館空港は、函館中心部の東側に位置するのです)、今度函館に飛行機で来る時は、是非とも窓側の席を取っておきたいと思いました。そして、着いた時には期待以上の秋晴れが…!早速、函館の風景にやられてしまった感じですね(笑)。


 ●函館に来たらまず…

 函館空港到着は9:00頃でしたが、このまますぐに函館駅へと向かってしまいましょう。先程の着陸の様子を見ても分かるように、空港から函館駅へはわりと近く、距離にして約8km、バスで約20分(400円)というものなので、移動は気軽に行えるのです。

   いつの間にか小綺麗な駅になってました   最近、観光客が本当に多くなりました

 そして駅に到着したら、そのまま朝市へ直行です。ここは日本一を誇る朝市としても有名で、市民の台所として昔から親しまれている場所でもありますが、東京を出てから約2時間後には、もう函館の風情を味わえるのですから、これは外すわけにはいきません。最近はショッピング・モールのような感じにもなり、若干垢抜けた雰囲気も漂わせてますが、店を選べば味は最高!…という感じでしょうか。…というか、北海道の海の幸はどこに行っても美味しいような気がしてしまいます(笑)。

   朝市の中でも奥の方にあります   手前はウニのグラタン…美味!

 そして、自分が向かったのは“うにむらかみ”というお店でした。ここは日本で唯一、ウニ加工会社の直営店という形を取っており、無添加のウニが何といっても自慢です。これを注文しない手はありませんが、他の海の幸も食べてみたいというのが人間の本望というもの…(笑)。しかも函館には他に沢山美味しい物があり、それらを食べる余力も残しておきたいので、早速この選択には難しいものがありました。
 そんな時に助かったのが“ミニ丼”です。これは通常の丼の半分サイズのもので、ウニ丼などはともかく、巴丼など、幾つか具が乗っているメニューでも可能で、これで色々な素材を味わう事が出来るのです。特に、自分はサーモン(北海道のはサーモンというか、“鮭!”という感じなんですよね…笑)が好きなので、サーモンとイクラとウニと…と、もう自分の好物だらけで食事を終了する事が出来ました。
 函館に来て、いきなり大満足の結果が得られてしまいました。まだ旅行は始まったばかりですが、こういった函館の洗礼?は他には変えられない魅力があります。さて、身体的にも気持ち的にも満足したところで、早速函館観光へと向かいましょう!


 ●五稜郭タワー

 こちらも函館のシンボルと言って間違い無いものだと思いますが、やはり街はまず高い所から望まなければなりません(笑)。現在の五稜郭タワーは2006年に完成した2代目のものですが、自分は函館には何度も来ているものの、五稜郭自体には来た事が無かったので、今回足を運ぶのは良い機会だとも思いました。

   男性の方はともかく、この女性は誰?

 五稜郭に向かう道では、上の写真のようなシュールなモニュメント?が自分を迎えてくれましたが(笑)、そもそも五稜郭は、鎖国時代の日本から、日米和親条約集結に伴って函館(当時は箱館)港開港の際に、防御力の強化等を狙って造られたもので、当時の歴史を知っておくにも重要な場所ではあるのです。そうなると、土方歳三の名を挙げないわけにもいかないのですが、ここではそれらの歴史は省略して(笑)、ひとう現在の五稜郭タワーからの景色を楽しむ事にしましょう。

   本当に綺麗な星型です   右奥に空港があります

   函館山が町のシンボルというのも分かる光景です   これが北西側の向きになります

 …これで、函館の地理が大体掴めてきましたね?…。眼下に見える五稜郭は、今は公園として中に入れるのですが、ここは遠くに見える函館山の方向が気になります…。今度はそちらに向かってみる事にしましょう。


 ●異国情緒函館

 函館という街は、日本の中では早くから貿易の港として栄えたので、今でも欧米文化の名残が街の至る所で見られます。特に函館山の麓が当時の中心地だった為、ここには教会や洋館、そして石畳の坂道など、ただ歩くだけも異国情緒を味わえます。今回は、北海道的には晩秋の訪れとなりましたが、函館は北海道の中でも南に位置しているため、紅葉の見頃とも言える光景にも出会える事もしばしばでした。幾つか紹介したいと思います。

   鮮やかですね~   分かりにくいですが、風見鶏が結構リアルです

 紅葉が鮮やかな大三坂と、カトリック元町教会です。意外と坂が急なのが分かります。

   秋に来たのは正解だったかもしれません   よくガイドブックにも載っている風景です

 全国で初のロシア正教会の聖堂であるハリストス正教会と、八幡坂です。ハリストス正教会は、ロシア正教会となっているために、聖書に登場してくる人物の名前等が、自分の知っているものと色々と異なっているのが興味深かったです。イエス・キリストがイイエス・ハリストス、聖母マリアが生神女マリヤ、マタイがマトフェイ、ヨハネがイオアン…という感じです…。これはロシア語読みを基本としているからなのだそうですが、自分はキリスト教の学校だった為に、何だかとても新鮮な感じがしました。そして極めつけは、“アーメン”が“アミン”なのです。これは独自の文化を遂げているとも言って良さそうな感じですね。

   小さく飛行機が飛んでいます(笑)   開放的な元町公園

 これらは坂の上に大体位置しているのですが、それだけに眺めはなかなかのものです。坂を見下ろした向こうには函館港が見渡せ、天気が良い日にはぴったりの場所だと思いました。

   函館市電の有名な撮影地でもあります   港町に煉瓦倉庫は必需品なんでしょうか(笑)?

 坂の上側の景色も大事ですが、港に近い場所も雰囲気が良いです。まだまだ洋館も沢山残っており、それらをバックに走る函館市電に、のんびりと揺られるのも良いかもしれません。また、港付近には赤煉瓦倉庫郡が並んでおり、レストランやお土産屋が併設されていて、観光名所にもなっています。少し人が多過ぎるのが難ですが、ここは素直に一度だけ立ち寄る場所…と割り切って来るのが良いかもしれません(笑)。

   入口を通ってすぐに、“聖ミカエル像”が出迎えます   なんだか不思議な雰囲気でした

 函館の中心部から少し距離はありますが、日本初の女子修道院である、トラピスチヌ修道院にも足を運んでみました。ここは完全に俗世から隔離された場所で、今でも数十名の修道女達が一生を神に捧げ、厳格な戒律に従って共同生活を送っているのだそうです(起床が朝3:30、就寝が19:45だそうです!)。…なので、内部の見学は出来ないのですが、外観を見る事は可能です。函館には(若干遠いですが)、男子修道院であるトラピスト修道院もありますが、何となくトラピスチヌの方が厳しそうな雰囲気が漂っている気もしました。

   確かに、異国の地のような雰囲気はあります…

 …そして、こんな写真を載せるのもあれですが、外人墓地も訪れておきたい場所です。ここは函館市街の端に位置するので、少々寂しい場所でもあるのですが、眺めはなかなか良く、夕日も似合いそうな場所でした。外人墓地…とは言いますが、厳密にはプロテスタント系の人のお墓も納められているので、日本人の名前もよく見かけます。前方には雄大な海、背後には函館山に守られ、お墓が全て海側に向いているのが印象的でした。


 ●ウニの他にも…

 改めて、北海道は“食”が素晴らしいと感じさせてくれました。海の幸は、特にイカとカニが有名ですが、もちろん先程紹介したウニだって半端無く美味しかったですし、他には函館ラーメン(ここはあっさりの塩味が特徴です)、ご当地バーガー、スープカレー、洋食等、古くから色々な文化が入って来た事を感じさせるような品物が目白押しなのです。さすがに1泊2日では、これらを全て堪能するのは無理ですが、ここでは寿司と函館ラーメンの写真でも眺めながら、函館の雰囲気?をお楽しみ頂ければと思います(笑)。

   その名も“鮪尽くし”!…最高です

 市電の五稜郭公園前電停近くの“寿司料理谷ふじ別亭”にて…。恐らく、料理全般が美味しいです。

   ベイエリアにある、函館美食倶楽部…という場所です   シンプルな味が魅力です♪

 こちらは“麺厨房あじさい”というお店です。できれば本店に行ってみたかったですね…。


 ●函館夜景

 函館と言えば、何だかんだで夜景なのではないでしょうか。ここは日本三大夜景ならず、世界三大夜景の1つとも言われていますが(まあ、世界三大夜景という括りは日本だけでの話しらしいですが…)、とりあえず、香港と、イタリアのナポリと、ここ函館なのだそうです(笑)。ちなみに、香港の夜景というのは既に自分は経験済みですが〔旅日記 11.(香港・マカオ編・…2007.1.21~1.25)参照〕、確かに素晴らしい所ではありました。しかし、函館も負けてはいません。函館山から見える夜景は、中学生の修学旅行で訪れた事のある場所で、故に今回は10年以上振りになりますが、今回はゆっくり見る事が出来たので、順に紹介していきたいと思います。

   遠くには、大沼の駒ヶ岳も見えます   お馴染みの光景です

 ガイドブックによると、いきなり夜景を見るのではなく、夕方から日没にかけての流れを見るのが良いらしいとの事で、今回はそれに沿った形で見ていきました。確かに、街に徐々に灯りが点いていく様は、見ていて幻想的なものがありました。

   この、だんだん灯りが点いていく感じが良いのです   函館の町並みの逆側を向くと、まだ夕日が望めました

 こうして見ると、函館というこの地形が世界三大夜景に入る所以なのかもしれませんね。海岸線が片側ならまだしも陸地の両側に見え、それらが綺麗に曲線を描いているわけですから特徴が見出しやすく、更にそれに沿って道路の灯りも綺麗に伸びているので、本当に夜景の為に作られたかのような地形かと思ってしまいます。

   そろそろ辺りも暗くなってきました   暗い方が、灯りも一層映えますね!

 そして、実は函館の夜景は函館山からの景色だけでは終わりません…。先ほど紹介した元町エリアにも、なかなか綺麗な夜景スポットが何カ所か存在します。これらはライトアップされている所もあるので、昼間とは違った雰囲気が楽しめる事となり、それらの比較をしてみるのも面白いかもしれません。

   昼とはまた随分雰囲気が異なりますね   こちらもなかなかの雰囲気です

   八幡坂は、夜に訪れる方が良いかもしれません…   ベイエリアは、若干ミーハーな感じも…(笑)

 如何でしたでしょうか?…駆け足で紹介しましたが、個人的には今回は、函館の魅力を存分に味わう事が出来る旅行となりました。それは景色の面でもあり、食の面でもありましたが(笑)、自分はこれらの体験を糧に、またこれからのシーズンも乗り切っていきたいと考える次第であります!

 ☆函館朝市のHP…http://www.hakodate-asaichi.com/

 ☆うにむらかみのHP…http://www.uni-murakami.com/

 ☆五稜郭タワーのHP…http://www.goryokaku-tower.co.jp/

 ☆寿司料理谷ふじ別亭の(ぐるなびの)HP…http://r.gnavi.co.jp/h024500/

 ☆函館麺厨房あじさいのHP…http://www.ajisai.tv/

 ☆函館山ロープウェイのHP…http://www.334.co.jp/jp/

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旅日記 24.(四国編…2008.9.16)
 パソコンの不調もあって若干更新が遅れてしまいましたが、9月の16日(火)に行ってきた旅について書きたいと思います。今回の目的地は実は四国だったのですが、あれから日にちも経っているので、「いつの間に!」と思うかもしれません…。それもその筈で、時間の都合で今回旅に費やした時間は1日のみ、つまり、日帰りで四国の旅に行ってきていたのです。それゆえ飛行機の利用は欠かせませんでしたが、正に弾丸ツアーに相応しい旅が実現できたように思いました。


 ●久しぶりの鉄道の旅

 では、今回の旅の目的はというと、今年の10月で引退してしまうJR四国の車両に乗りに行く…というのが大まかな内容です。ここからは深い鉄道ネタになっていくので、果たしてどれだけの共感が得られるのかは分かりませんが(笑)、今や全国的には大変貴重となった、キハ28、キハ58、キハ65という車両がここには走っていて、それらの最後?を見届けよう(もちろん乗車もしまう)というものです。
 これらキハ58系列(…とか呼ばれていたりします)は、それこそ旧国鉄時代には全国の路線で見られたものですが、今や特別車両などに改造された車両以外で定期列車として残っているのは、JR西日本区間の高山本線と、今回の目的であるJR四国の路線と、そしてJR東日本の米坂線系統の路線のみです。
 この内、米坂線は今年の秋以降には新型車両が導入される事が決まっていますから〔観月の宴 at 松島円通院(2008.9.5~9.8)参照〕、この四国での活躍が終わってしまうと、ついに残るのは高山本線のみ…という事になりそうです。しかし、この高山本線での運用も暫定的なものと言っても良いもので、平日の朝ラッシュ時に数往復するぐらいの運用しかありません。つまり、キハ58系列で鉄道の旅を満喫するには、実質このJR四国の路線が最後の砦となりそうなのです。自分が学生時代、鉄道で色々な場所を乗り回していた頃は、まだこの系列も各地で見られ、何度も何度もお世話になったものですが、気付くとどんどん姿を消していき、ついには現在のような状態になってしまいました。ここでもう一度、これらの車両の雰囲気を味わいたいものです。
 そうして今回の旅が実現したわけですが、限られた時間は1日だったので、自分と時刻表との格闘が始まったのです。そしてれは、個人的には大変興味深い旅になりました。…こうやって旅の計画を立てて、鉄道に乗るだけの旅をするのも久しぶりです。実は自分はこれこそが旅の醍醐味だとも思っているのですが、今回改めてそれは感じさせてくれました。


 ●日帰りで四国2都市の列車に乗るには…

 さて、JR四国に走っているキハ58系列ですが、これは現在は運用が固定されているので、調べればこれらに乗りに行く事は比較的簡単です。しかし、やはり引退前という事もあり、その本数の少なさは否めません。具体的には、予讃線と土本線という2つの路線で運用されているのですが、それらは実質1往復ずつというものです。
 予讃線、土讃線…と言われても、いまいちピンと来ない方も多いと思うので、要は愛媛県の松山駅を中心とした運用と、高知県の高知市を中心と運用が1本ずつ…という事です。ここで気付かれる方もいるかもしれませんが、松山と高知というのは意外に離れており、これら1日で制するには難しい気もします。しかし運の良い事に、松山では午前中の運用のみなのですが、高知では夕方に片道だけ運用が設定されているのです。これらを調べていくうちに、朝東京を飛行機で出発、午前中に松山空港に到着し、松山でのキハ58列車に乗った後に高知まで即移動、ここでまた別のキハ58列車に乗り、大急ぎで高知空港から東京に飛べば、ギリギリで日帰りが可能…という目処が立ったのです。この“ギリギリ”がどれだけだったかは、これからを参照して頂きたいものですが(笑)、とにかく、常に時間との戦いでもありました。

   長い1日の始まりです…地元の成増駅にて…   家を出て2時間後には機中の人になりました

 最初の砦は、朝6:20羽田発の飛行機に乗るというものでした。これが松山空港行きの始発便で、どうやら年中設定されている便ではなさそうです(時刻表を調べると前日以前は設定されていなく、9月16日からの設定となっていました)。こんな朝早い便に間に合うのかと思いましたが、自宅の成増駅の始発である4:50発の電車に乗り、池袋と品川でそれぞれ2、3分の乗り換えでクリアすると、なんとか羽田空港には6:01に到着します。チェックインは事前にネットで済ませるとして、ここでは荷物検査場を出発15分前までに通らなければならないルールになっているので、もう改札から荷物検査場までは走る事しか考えてませんでした(笑)。この時間でも羽田空港はそれなりの人がいて、同時間帯に沖縄行きの満席の便があったので、若干の列がなされていましたが、何とかここもクリアできました。そして、ドッと疲れが出てしまいました…。今回の旅は、こんなギリギリの乗り継ぎが幾つか存在します。時間との戦い…というのは、決して大袈裟ではないのです。

   岡山県上空…という感じでしょうか…   松山空港に到着したエアバスA320機

 飛行機に乗ってしまえば移動は楽なものです。この便はやはり朝が早すぎるのか空いていて、乗客は20人もいるかいないか…といった感じでしょうか。機材はエアバスA320という飛行機でしたが、これは170人くらいは乗れる飛行機なので、どう見てもガラガラにしか見えません。そして殆どの人は前の方に座っていましたが、自分は敢えて翼の後ろの方の席を予約していたので、その区画だけ貸し切り状態のような感じになっていました。CAの方も、余裕のあるサービス…という感じでしたが、向こうから話しかけてくるという場面も結構あり、何だかほのぼのとしたフライトでしたね。満席の便ではこうはならないと思うので、これから忙しい旅をする前段階として、良いスタートが出来たようにも思いました。
 松山空港には7:45に到着しました。さすが飛行機という感じの時間帯ですが、まだこれから乗る列車には時間があったので、しばし空港の展望デッキで飛行機撮影に励んでいました(笑)。どうやら直前まで雨が降っていたようで、地面は所々に水たまりがあるという状況でしたが、どうやらこれから晴れてきそうな雰囲気です。飛行機の発着は決して多いとは言えないものの、それでも何枚か撮影する事は出来ました〔レコーディングの打ち上げを兼ねて…参照〕。…さあ、松山駅に向かう事にしましょう。


 ●予讃線でキハ58列車に乗る

 松山駅までは路線バスを使い、到着は8:50頃でした。本当はもっと早く着いて、伊予鉄道という私鉄にも乗ってみたかったのですが、道路が予想以上に渋滞していて、こちらは断然せざるを得ない感じになってしまいました。若干中途半端な時間にもなってしまったので、松山駅では讃岐のうどんを食べておきました(ここは伊予の国ですが…笑)。これで充電完了です(笑)。

   雰囲気のある松山駅   讃岐のうどんは…外せません!

 これからの乗る列車は、普通列車の宇和島行きです。車両はキハ54形という、JR北海道とJR四国にしかない形式で、たった1両編成での陣容でした(右下写真参照…左下の写真の車両は、特急用です)。ローカル列車なので致し方ないですが、それでも車内がロングシートというのはいただけません。この車両は国鉄最終年度に造られた形式で、色々な意味でコストが抑えられた車両でもあったのです。トイレも付いてないのですが、終点宇和島までは約3時間も掛かる列車にしては酷ですよね…。

   JR四国名物?アンパンマン列車です   JR四国では、普通列車は1両の場合も珍しくはありません

 自分は途中の伊予大洲という駅まで行きました。松山駅からは約1時間半の旅ですが、この伊予大洲という駅から松山に引き返す途中で、今回の目的のキハ58列車に乗るというものです。ただ、実は行きと帰りではルートが違っていて、行きは予讃線、帰りは内子線経由というものにしました。…というのは、この辺りの一部の区間では、元々は海側を走る予讃線の路線だけだったのですが、内子線という、山の中をトンネルで抜ける短絡ルートが開通してからは、優等列車などは全てそちら経由になってしまい、自分も昔の予讃線の区間は乗った事が無かったからです。幸いな事に松山から乗った列車は予讃線経由、帰りの松山行きの列車は内子線経由となっていたので、今回はどちらも乗る事が出来ました。

   これこそ正にロングシート!   旧予讃本線は、海沿いのルートを通ります

 実際乗り比べてみると、やはりそれぞれは開通した年が違うので、路線の設備にも差があります。昔ながらの予讃線はカーブも多く、駅舎も古いまま残されている感じだったので、確かに1両編成での列車が似合う感じでしたが、内子線の路線は高架化や、トンネルも多かった為、こちらは特急列車が似合う感じでもありました。現在、キハ58系列が旧予讃線区間を通る運用は定期では無いのですが、是非こちらを走る姿が見たいものですね。
 伊予大洲からは特急で少しだけ走り、キハ58に乗れたのは途中の内子駅からでした(キハ58列車は、ここで特急に追い抜かれるダイヤになっていたというわけです)。列車は3両編成で、後ろ1両はキハ54形が連結されているもの、前1両はキハ58、真ん中1両はキハ65という陣容です。
 特にこのキハ65形は貴重で、今やオリジナルに近い形で残っているのは、ここJR四国に3両と、後はイベント用に残っているJR九州の1両という感じです。この車両は、出力不足に悩んだキハ58のブースターのような役目をする車両で、当時の急行列車を思い出させてくれるような感じでもありますが、この山を抜ける内子線には適した車両とも言えるのかもしれません。

   JR四国色になっているキハ58系列編成   この真ん中1両がキハ65形と言って、今では大変珍しいです

 車内にはデッキも残され、今や珍しいボックスシートのみが整然と並んでいます。普通列車としての運用なのでそんなにスピードも要求されていないのでしょうが、パワーのあるエンジンはここに健在といった感じです。最近の車両にはない重厚な造りで、これこそが列車旅に相応しい車両だとも思いましたね。ただもちろん、このローカル線で3両編成…というのは長過ぎるようで、お客さんは1両に2、3人…といった感じでしょうか。この車両は早朝に松山駅を出て南に向かい、それらの地域でラッシュ時に利用する学生等を運んでから松山に戻るといった運用を行っているので、運用の効率化という観点からすると、現在離れしていると言わざるを得ない状況なのですが、これもまた当時の良き時代を残しているとでも言いましょうか…。とにかく、貴重な車両、列車でした。あまりにも気持ち良くて、松山までの約1時間の旅の間、半分くらいは寝て過ごしてしまったのですが、これも贅沢な旅ではありました(笑)。

   キハ65形の車内…昔の急行型車両を思わせてくれます   JR四国の代表車両、8000系電車


 ●松山から高知までの約4時間

 さて、キハ65形に別れを告げ、松山地区でのキハ58列車は堪能できました。今度は急いで高知に向かわなくてはいけません。この時点で時刻は12:00過ぎていたので、1日の半分が経った感じでしょうか。ここからは普通列車でのんびり…というわけにもいかず、JR四国を代表する特急列車での乗り継ぎで向かいました。
 まず、特急『しおかぜ・いしづち』18号で丸亀駅へ、そして、『南風』13号に乗り換えて高知駅へ…という感じだったのですが、どちらも約2時間の乗車で、特急列車と言えど何だか疲れてしまいました。駅弁購入して、車内でもゆっくり休んでいたのですが、これらの車両は“振り子列車”という、車体を傾けてカーブを高速で走行できるようにした車両でもあるので、とにかくスピードは(こういった地方を走る列車にしては)速く、車窓も目紛しく変化していったので、先ほどのキハ58列車の旅からすると、脳が追いついてきてない感じだったのかもしれません。今回は日帰りの旅だったので、特急利用は致し方無い選択でしたが、やはりこういった路線での乗車は普通列車に限ると強く思ったのものです。

   特急車内で、改めて?腹ごしらえ   これが振り子列車のカーブでの状況です

 高知駅には16:30頃に着きました。いつの間に駅自体が高架化されて新しくなっており、高知県の玄関駅として相応しい出で立ちとなっていましたが、まだ工事している箇所も多く、発展途上という感じでしょうか…。ここでは約1時間の猶予?があったので、少しだけも街を堪能しようと、軽く駅周辺を歩いてみる事にしました。

   乗り継いで、高知駅に到着!   高知駅前からは、土佐電鉄も出ています

 高知は初めての場所ではなく、今回で3回目で(1回目は“通過”と同等な感じでしたが)、前回はさばいばる伊藤さんのツアーで訪れたのが記憶に新しいですが〔さばいばる伊藤、大阪・四国ツアー(2007.3.23~3.26)参照〕(…と言っても1年半も前ですが…)、変に懐かしい感じもありました。
 今回の行程的には、高知市で有名な“はりまや橋”まで歩いて行って、また高知駅までは路面電車(土佐電鉄)で帰ってくるという単純なものでしたが、この時点で旅は終わりに近付いてもいたので、短いながらも印象的な滞在になったと思いました。

   高知では当たり前の風景ですね   街の人の足になっている土佐電鉄車内

 また、土佐電鉄が昔ながらで良いんですよね。新しい車両も走っていはいますが、旅情を感じさせてくれます。松山から一気に高知に来たので、より雰囲気の違いが味わえたのかもしれませんが、ここには南の国のような情緒が存在し、そこが自分には心地良かったのかもしれません。帰りの時間は待ってはくれないので、後ろ髪を引かれる思いで高知駅に戻ったものです。

   高知の名所、はりまや橋と土佐電鉄   車と鉄道が一体になっている雰囲気が好きです

 ●土讃線でキハ58列車に乗る

 今度自分が乗るのは、高知駅17:46発の阿波池田行きの列車です。これがキハ58、キハ28が使われている、JR四国のもう1つの列車なのですが、ここから自分は途中の後免駅までの乗車となります。乗車時間は約20分と短いですが、最後の最後のキハ58系乗車になるかもしれません。列車はやはり3両編成で、キハ28系1両とキハ58が2両が連結されている感じでした。
 キハ58系はエンジンが2つ装備されいているのに対し、キハ28系という車両は、そのエンジンが1つになっているタイプです。何故1つなのかというと、この余ったスペースに冷房電源を装備しているからなのです。キハ58系は急勾配路線にも投入されていた為、エンジンを床下一杯に掲載していたのですが、これが時代が経つにつれて車両の冷房化に追われ、このキハ28系の装備という措置がとられたのです。つまり、キハ58系だけの編成では、冷房装置は付いていても発電装置がないので冷房化ができない…という事になります。これは実際最近まで存在していて、例えばJR東日本の花輪線という路線では、最後まで冷房改造が行われなかったのですが、これは途中に急勾配区間があり、キハ28系を編成に組み込んでしまうと、出力不足でダイヤ通りに走れない状況になってしまうからです。
 これらが改善されるのが、実は先ほど説明したキハ65形の登場で、この車両は根本的にエンジン力がパワーアップしたものを掲載しているので(キハ65形自体で冷房も供給できますし、パワーもキハ58に比べて強力なのです)問題は解決したかのように見えたのですが、平坦な路線を走るローカル線には性能過剰…とも言われ、コストも嵩んでいた事から、結果こちらは104両導入されたにすぎません。対するキハ58系列(キハ28を含む)は全部で1823両です(!)。この数は日本のディーゼルカーとしてはもちろん史上最多で、一時は国鉄気動車全体の約3割も占めていたらしいので、いかに標準性が高かったかという事ですよね。改めて凄い車両だと思いました…。

   キハ28とキハ58で構成されていました…高知駅にて   こちらは緑を基調とした車内でした

 そんな列車を、たった20分間のみの乗車、しかも平坦な区間だけで乗り終えてしまうのは些か惜しい気もしましたが、だからこそキハ28も連結できているのだと無理矢理思う事にし(笑)、最後の列車旅を楽しみました…。この新しい高知駅との取り合わせも、後僅かです。JR四国での定期運用終了は10月15日と、既に発表されています。その後は“さよなら運転”として、その後の1ヶ月の間に何回か特別列車が運転されるようですが、さすがにその時また四国に来れるとは思いません…。大事に大事に、記憶にとどめておきたい感じでした。

 さて、そんな思いも、後免駅に着いた時点で切り替えなければなりませんでした。後免駅到着は18:05でしたが、ここから高知竜馬空港に向かい、18:40発の羽田行きの便に乗らなければならないのです。高知竜馬空港というのは前も利用していて、駅で言えば高知駅より後免駅に近いので、まあ行き方としては正しいのかもしれませんが、これまた発車15分前までにはチェックインしなければならないので、これは相当ギリギリな感じでした。
 空港行きのバス停も、後免町という、後免駅から少し離れた所に存在してはいるのですが、はっきり言ってそこに歩いていく間にタイムリミットが来てしまいまいます。ここは迷わずにタクシーを使って空港まで向かいました。このタクシーの運転手さんが印象深い人で、「飴いるか?」と聞かれ、何故か梅味の飴を頂いたのですが(笑)、こちらは飛行機の時間が気になってしょうがありません。気分を落ち着かせる為に飴を戴きましたが、何だか忘れられない味になりそうでした…。そして、タクシーは18:22頃に空港に到着…。どうやら大丈夫のようですね。

   日本ではなかなか見れないチェジュ航空の機体   2、3列掛けのシートが特徴のMDー90の機内風景

 高知からの最終羽田行きは日本航空(JAL)なので、自分も今回はそれを利用しましたが、チェックインの際に、この時沖縄で発生していた台風の影響で機材に変更が生まれていました。これがまた、本来ならボーイング737ー400だったところを、MDー90に変更だったので、自分は後者の飛行機にはまだ乗った事がなく、嬉しい変更でもありました。そして、そのMDー90機の隣のゲートには、韓国の新規参入航空会社、チェジュ(済州)航空も見る事ができ、今日1日頑張った自分へのご褒美のような光景が展開されているようでした。
 あとは飛行機に乗って羽田に向かうだけで、今回の旅は終了となります。振り返ってみると、かなり内容的に濃い旅となり、しばらくその余韻を機内で楽しみたいところでした。機内は行きとは正反対で、ほぼ満席となっていましたが、まさか自分のような行程をしてきた人はいないでしょう。それだけでも満足な1日ではありました(笑)。

 ☆JR四国のHP…http://www.jr-shikoku.co.jp/

テーマ:鉄道 - ジャンル:趣味・実用

旅日記 23.(フランス、パリ編…2008.7.23~7.29)≪まだ途中です!≫
 旅行を終えてから1ヶ月が経とうとしていますが、7月の末に訪れたフランスのパリの旅日記に取り掛かりたいと思います。今回は基本的に1都市、パリのみで、他に主要な都市には行きませんでした。今年の夏も1週間の休みが取れたので、1都市に1週間というのは贅沢な気もしますが、何しろパリは見所の多い街です。むしろ、1週間では足りないくらいだろうと思っていました。
 ところで、自分にとってパリは初めて訪れる所ではありません。2002年の3月に1度行っており、今回は2回目で6年振りという事になりますが、実は最初に訪れた時は、パリ自体をそんなに探索していなく、ヴェルサイユやモン・サン・ミッシェル等、どちらかと言うとパリを拠点に色々回っていたという感じでした。…なので、1度行った事があるにしてはパリの印象は薄く、だからこそ今回は基本的なパリの部分を見たいという思いが強くありました。
 故に、今回の旅行はかなりベタなものになっていると思います(笑)。凱旋門やエッフェル塔、ルーブル美術館やノートルダム寺院等、本当にヨーロッパ初心者のような回り方をしてしまいましたが、まずは基本があってこその探索です。今回でパリの主な場所は網羅できたような気がしました。もちろん、その状況でも自分なりの探索は忘れずに、この旅日記でも生かしたいと思います。それではどうぞご覧下さいませ!


 ●パリ行きはやはりエール・フランス航空で…

 今回のパリ行きの航空券ですが、“パリ”を楽しむなら、やはり本国の航空会社、エール・フランス航空(以下、エール・フランス)を選ぶのがベストだと思います。日本からパリまで直行便という利点はもちろんですが、機内に入った時からフランス気分を味わえるのが、やはり一番選びたかったポイントだと思います。
 エール・フランスは、日本に就航している外資系の航空会社としては、抜群の知名度を持っているのではないでしょうか。実際、世界を代表する航空会社には間違い無く、現在はオランダのKLMオランダ航空と共にヨーロッパ最大の航空会社グループ、“エール・フランスKLM”を形成していて(…それぞれのブランドは継続)、グループのマーケット・シェアはヨーロッパ内で1位、グループの総売り上げに関しては世界第1位の実績を誇っています。
 日本への乗り入れも古く、それは1952年にまで遡る(!)ので、日本を意識したサービスもお手の物という感じでしょうか。とにかく、フレンチ・エッセンスが随所に施され、世界的にもファンも多いエアラインでもあります。このエール・フランスは、今回の目的地がパリだからこそ選びたい航空会社でもあり、今回の航空券選びにはそれ程迷いは無かったように思います。

   細長い機体には白の塗装がよく似合う、エールフランス航空…成田空港にて、帰国時に撮影(ボーイング777-300ER)   このまま持ち帰っても(たぶん)オーケーです

 今回は初めての搭乗となりましたが、真っ白の機体塗装にトリコロールのカラー(尾翼部)はよく映え、もう既にフレンチセンスに魅了されているような気がします。機内のクラス分けがまた特徴的で、もちろん自分はエコノミークラスなのですが、エール・フランスではこのクラスの事を“テンポ”と名付けています。ちなみにファーストクラスは“エアパス・プルミエール”、ビジネスクラスは“エアパス・アフェール”となっているのですが、このフランス語の響きがまた良いのでしょうね。また、客室乗務員は“オテス”、または“スチュワード”と呼ばれていますが、日本人乗務員も常時3~4人は乗務しているので、言葉の心配は無いと言って良いと思います。
 フランスの航空会社だけに、機内食は必然的に楽しみになってきてしまいますが、エール・フランスはその期待を裏切りませんでした。まずメニュー・カードですが、これが相当お洒落で、右上写真のように“ポストカード風”になっていました。普通だったら何の変哲も無い紙に、ただ書かれているだけでしょう…。また、エコノミークラスでもシャンパンのサービスがあり(もちろん、ワインも豊富です)、パンはもちろんフランスパン。また、長距離便という事もあってか、セルフサービス・ブッフェ(飲み物や軽食等が常備)も全クラスで用意されているのです。

   自分はワインを頼みましたが、シャンパンもオーダー可能です   幻想的な光景です

 このように、サービス面だけで見ても乗ってみたくなるエアラインではあるのですが、実は今回、選択の基準にあたって、もう1つ決定的だった事項があります。それはエール・フランスは、日本からヨーロッパ行きの唯一の深夜便を設定しているという事です。
 日本からヨーロッパに直行便を運航している会社は沢山ありますが、そのスケジュールの殆どは、日本を午前中か昼頃に出発し、現地に夕方か夜に着くというパターンです。ところで、現在日本線を1日に2本以上運航しているヨーロッパの航空会社というと、イギリスのブリテッィシュ・エアウェイズ、ドイツのルフトハンザ・ドイツ航空〔旅日記 15.(イタリア、ローマ・フィレンツェ編…2007.7.21~7.27)参照〕、そしてエール・フランスの3社ですが、その飛ばし方は3社3様です。
 ブリテッィシュ・エアウェイズは昼間にロンドン行きを1時間半程の間隔で2本運航し、ルフトハンザ・ドイツ航空は1便はフランクフルト、もう1便はドイツ2番目の主要空港ミュンヘンへと運航、そしてエール・フランスは1便は昼間のパリ行き、そしてもう1便は夜行のパリ行き…と言うように、異なる時間帯に2便運航しています(また、週6便の運航ですが、朝発のパリ行きも設定されています)。
 以前、飛行機の性能的に、ヨーロッパへの直行便が無かった時代は、北アメリカのアンカレッジ経由やアジア経由などで、基本的には日本を夕方以降に経って、現地に朝着くというスケジュールでした。今では時間の掛かる経由便は無くなり、飛行機の運航時間帯も、朝発、夕方着がメインとなってしまいましたが、エール・フランスはあえて2便目は夜行便のままで残したのです。独創的なエール・フランスらしい運航方法…とも言われたものでしたが、今回自分はこれに相当救われたのです。
 今回の出発日は7月の23日でしたが、実はこの日の昼間にちょっとした用事があり、もしかしたら出発は次の日の24日になる可能性もあったのです…。しかし、時間を効率的に使えるという意味では、成田を夜21:55に出発するエール・フランスの夜行便は強い味方でした。用事のある日と同じ23日の出発なので、慌しいと言えば慌しかったですが、現地パリには朝4:15に着いてしまうので、その日を丸々観光に充てる事も出来ます。次の日の、例えば朝発の便だったとしても、現地到着は16:10…。空港から市内に行って、ホテルに荷物を置いて…、その日は夕食ぐらいしか楽しむ事は出来ないかもしれません。
 帰りも夜行便だったので、故に今回の行程は4泊7日という強行軍だったのですが、少ない日程で沢山楽しむには不可欠の便でもあったのです。その代わり、実質5日間の滞在期間も得られ、それなりに有効活用出来たとも思います。また、行きの便は深夜の時間帯ゆえ、常に外は真っ暗…という感じだと思ったのですが、ヨーロッパへの便は北極圏を通るルートでもあるので、夏のこの時期には、薄っすらと明るくなる機窓を望む事も出来ます。太陽が出そうで出ないまま、また真っ暗に戻るという感じなのですが、こんな光景も夏のこの時期のヨーロッパ行きの夜行便だからこそ体験出来るのです。
 座席には、エコノミークラスでもそれぞれに個人モニターが付いており、映画やゲーム、エンルート等、これならヨーロッパ行きの長いフライトでも退屈知らずです。実際、自分の乗った便はパリまで約13時間という長丁場のフライトでしたが、外の眺めも相まって、そんなに大変な感じはしませんでした…。旅の思い出を“より”良くする為にも、パリへのフライトはエール・フランスで決まり!なのかもしれません。


 ●パリの初日は、念願のブロワへ…

 エール・フランスで快適な空の旅を終え、まだ寝静まっているパリのシャルル・ド・ゴール空港に到着したのは、10分遅れの4:25でした。…実はこの時から、この日の慌しい1日は始まっていました…。
 パリの初日、長いフライト後の丸1日という時間でもあるので、この日どのように過ごすかは大変重要な事だと思っていました。市内散策といっても、いくら何でも早すぎますし、その前に身体がもたないかもしれません。そこで考えたのが、パリから割りと近場の地方に行くという事でした。これなら時間も有効的に使えますし、移動の時間に体力を温存しておく事も出来ます。
 そして向かう先は、ルネッサンス期にかけて建てられた古城の数々が残るロワール地方、その中でもブロワという町に行く事に決めました。この場所の選定理由は後に話しますが、パリからは列車で約2時間の距離にあり、その為にはパリのオステルリッツ(Gare d' Austerlitz)駅を7:22に出発する列車に乗れば良いというのも調べてきてました。時間的には余裕がありそうでしたが、自分はこの時スーツケースを抱えている身だったので、いったんホテルに荷物も置いておきたいところです。故に、これから分刻みのスケジュールが始まりました。
 パリの空港で4時台という時間帯は、交通機関はタクシーを除いて殆ど動いていません。パリ市内までの移動は恐らくバスが最もポピュラーだと思うのですが、それは6:00くらいにならないと動き始めないのです。
 ここで移動手段として出てくるのが、高速郊外鉄道、RER(これで“エル・ウー・エル”と読みます)です。始発は4:56発と、公共交通機関では最も早く、パリ市内の主要駅である北駅(Gare de Nord)まで約30分で着けてしまいます。また、値段も空港バスの15€(約2500円)に比べると、8,4€(約1400円)と安いのが嬉しいところです。
 しかしこのRERなのですが、空港から出ているB線は、あまり治安が良くないという評判をよく耳にします。これはパリ市内までの沿線が、わりと低所得者層の住んでいる地域を通ったり、市内側の主要駅である北駅自体が黒人の多い地域でもある…等という背景があるからだとも思いますが、実際、どのガイドブックを見ても、RERは早朝、深夜の時間帯は避けて利用するのが賢明…と載っていたりします。

   RER駅構内は、若干薄暗いです…   RERの車内…意外とポップな感じ?

 …とは言え、ここで引き下がるわけにはいきません。バスが発着する6:00まで待つわけにもいかず、かと言ってタクシー利用では、パリ市内まで行くのに軽く50€(約8500円)を超えてしまいます。また、前回パリに来た時にRERは何度か乗っていたので、ある程度の経験はしていたつもりです。細心の注意を払っていれば大丈夫だと思い、意を決してRERの改札に向かいました。
 ただ、予想以上に空港ゲートからRER乗り場までは歩かされ、しかも切符売り場には駅員がいないという始末でした。…というか、駅自体に係員が誰もいないのですが、これで大丈夫なのでしょうか。そして自動券売機はあるものの、そのどれもがコインかクレジットカードしか使えません。フランスに入国したばかりのこの時点でコインが8,4€分も持っている筈が無く、仕方なくカードで切符を購入しました。ただ、これも操作に若干手間取り、結局は4:56発の電車はタッチの差で乗る事が出来ませんでした。まあ次の電車は15分後だったので、そんなに時間のロスにはなりませんでしたが、いきなりフランスの洗礼を浴びた感じでもありましたね…。
 さて、気になるRERの治安状況ですが、確かにあまり良い雰囲気とは言い難いものがありました。時間帯が時間帯だけに、空港から乗る人の中に旅行者はそんなにいなく(逆に何の用で乗っているのかと思われる客も…)、途中の駅から乗ってくる人が殆どという感じでしたが、最初の10分間は、白人よりは黒人が多いという状況が続いていました。しかも、大体その中に1人くらいは不可思議な行動を取る者がいるもので(窓を開けて、外に向かって何か叫んでいたり…笑)、それは気が気ではなかったのですが、やがて白人のおばさんとかが乗ってくると、何となく安心できる気持ちにもなりました。結論としては、人が多い(なるべく白人系?)車両を選んで乗れば問題は無い…という感じでしょうか。個人的には、前に行ったニューヨーク〔旅日記 20.(アメリカ、ニューヨーク編…2008.3.5~3.14)〕の地下鉄の、ハーレム付近の雰囲気に近いものを感じましたが、後は個人の見解に任せる…といった感じですね(笑)。この時乗った列車は、途中から急行運転になっていましたが、日中は空港駅~北駅間がノンストップという列車もあり、こちらならより安心だと思われます。ある意味印象に残った、早朝のRER体験でもありました。

 さて、北駅に着いてからはタクシーでホテルまで移動します。パリ市内はメトロ(地下鉄)が網羅していますが、施設が古いのでスーツケースを持っての移動はあまり勧められません。とりあえずは時間、体力が優先という事で、北駅からホテルまではタクシーで、そこからオステルリッツ駅まではメトロで移動しました。パリ北駅に着いたのが5:40で、タクシーに乗ってホテルに着いたのが6:10。荷物を置いてメトロに乗り、オステルリッツ駅には6:45くらいに着く事が出来ました。着いてみればかなりの余裕があったのですが、パリに着いて最初の難関とも思っていたので、無事にここまで辿り着けて、まずはホッとしたのを覚えています。

   国鉄の駅を、メトロが突き抜けている構造です   ヨーロッパらしい立派なターミナル駅ですが、パリのターミナル駅としては、小さめの部類に入ると思います

 切符をブロワまで買い、いざプラットホームへ…。もちろん車内用として、ジュースやパン類の購入も忘れてはなりません。RER以外のパリの近郊線というと、駅構内に改札は無いのが普通で、乗客はホームの脇にある刻印機で日付を刻印しなければならないのですが(これをやらないと、検札の時に罰金の対象になったりします)、これはヨーロッパ各国の鉄道ではよくある風景なので、もう慣れたものです。車内へ乗り込み、ブロワまでの道中をゆっくりと楽しみました。
 フランスという国は、パリ以外の所は全て田舎…とまで言われてしまっていますが、実際それは確かにそうで、オステルリッツ駅を出てから20分くらい経つと、もう既に車窓は小麦畑一色…という感じになってしまいました…。所々に町があっては駅もあるのですが、それを過ぎるとまた畑です…。特に起伏があるような土地でもなく、予想以上に単調な車窓ではありましたが、何故か今はそれが心地よくも思えました。少しは眠った方が良いかなとも思いましたが、一睡もする事なく、ブロワ駅には8:58、定刻に到着しました。

   ヨーロッパでは、コンパートメント・タイプの車両も多いです   パリの市街地を抜けると、車窓は大体こんな感じ…

 ブロワは、中世ヨーロッパの面影が今でも残っている町で、ロワール古城巡りの拠点としても利用できる場所でもあります。実は古城巡りといっても色々で、それは、城自体が広範囲で各地に点在しているからなのですが、その中からブロワを拠点として選んだのは理由があります。
 自分の好きなフランス人のジャズのピアニストで、ミシェル・ペトルチアーニという人がいるのですが(もう既に亡くなってしまっていますが)〔好きなCD紹介 2.参照〕、その人の曲で、“Trilogy in Blois”という作品があります。“Trilogy”は三部作という意味、“Blois”がブロワと読むので、要は“ブロワ三部曲”という事なのですが、実際作品は大きく3つに分かれており、Morning Sun、Noon Sun、Night Sun in Blois…というメドレー演奏になっています(CDによっては、これらから1曲だけ演奏している事もあります)。
 この演奏、そして曲自体が個人的に凄く好きで、最初は“Blois”の読み方すら分からなかったのですが(笑)、後にブロワという町と判明し、しかもパリから約2時間弱で辿り着き、古城巡りの拠点としても使えるとガイドブックには書いてあるではないですか…。いつか行きたい場所だとは思っていましたが、行くのには今がチャンスと思うのも当然だと言えるでしょう。曲のタイトルに思いを馳せ、その地を訪れたいという気持ちが芽生えても、今回のように実現まで至ってしまったのは初めてで、自分でもその行動力に驚きましたが、実際自分は今ブロワという町に降り立っているのです。何だか、非現実と現実の境目にいるような、変な気分でしたね…。それでも、一時一時は大事にしたいという思いは消える事はありませんでした。

   ブロワ駅に到着…右が今回利用したツアー用(?)のバスです   のどかな風景を走ります

 ブロワの街を探索する…という目的もありましたが、とりあえずは古城巡りをスタートさせる事にしました。普通は古城巡りというと、パリ発のツアーに参加するのが一般的なようですが、値段が高いのと、お目当ての城に上手い具合に見学が出来なかったりして(時間の制約もありますし)、ここは個人で行ってみたいところでした。幸いブロワの駅からは、シャンボール城、シュヴェルニー城、ブロワ城を経由してブロワ駅まで戻ってくるというバスが運行されており、これを利用しない手はありませんでした。
 バスの本数は限りがあるのですが、それぞれのお城で2時間~2時間半くらい見学できるようにダイヤが設定されていて、それはバス会社のHPからも確認が出来るので(こちらを参照)、予定は日本を経つ前にも立てられるのです。料金は、そのバスが1日乗り放題で11,49€(約1950円)で、チケットの半券を見せれば、それぞれのお城の入場に割引が適用されるという優れものです。ついでに、バスのスケジュールを見れば若干予想できる?ように、このバスは1人の運転士で全ての便を回しているようで、古城を周遊中、運転士(体格の良いおばちゃんだったのは、さすがはヨーロッパ?)何度も顔を合わすのは一興でした(笑)。
 このバスの運行は夏季期間中のみ(今年は5月12日~8月31日)となっていますが、時期さえ合えば積極的に利用したいバスでしたね。自分が利用した時は、平日ともあってか5人くらいしか乗客はいなく、便によっては他に乗客がいない事もしばしばで、すぐに運転士と顔見知りになってしまいました。最後の乗車時には「このノートに感想を書いてって!」とノートを渡され、そこにはバスを利用した、それこそ世界中の人達からの書置きが綴られていたのには驚きました。便利さと同時に、アットホームさを感じたバスでもあったように思いました。

   御伽の国に来たかのようなシーンですね   太陽の照り付けが眩しいシャンボール城

 さて、行った順に紹介していくと、これがまずシャンボール城です。周囲は広大な森に囲まれ(ソローニュの森と呼ばれていて、広さはパリ市と同じ面積を持つのだとか)、16世紀初頭に、この森を狩り場としたフランソワ1世により、25年の歳月をかけて建てられたのだそうです。尖塔が目立ちますが、これらは全て煙突で、その数は何と365を数えます。この城全体の優美な姿からも、フランス・ルネッサンスの華と言って良いとも思いますね。

   城の中心部にある2重螺旋階段は必見です   狩猟の盛んな一家だったという事が伺えるというものです

   尖搭が皆個性的ですね   バスは写真右上から手前側に走ってきました

 お城の周りには、このような売店も建ち並んでいて、その雰囲気からも、改めて自分はフランスに来ているのだと実感させられました。日本人もたまに見かけましたが、その殆どはパリ発の日本語バス・ツアーで来ているようでした。海外での観光地を見学する時の極意として、こういった日本語ツアーの集団の近くにいて、説明を盗み聞きする…というのは内緒です(笑)。

   ついつい立ち寄りたくなってしまいますね

 シャンボール城には2時間程の滞在で、同じバスで次なる目的地へと向かいました。この辺りのバスの車窓といったら、本当にもう田舎という感じで、田園風景の中に、たまにヨーロッパらしい家だか小屋だかがポツンと存在しているという状況が続きます。しかし、この何とも言えない落ち着く雰囲気がたまりません…。

   左右対称の端正な姿が印象的なシュヴェルニー城   こちらは別館で、現在はお土産屋になっています

 次に寄ったのはシュヴェルニー城です。1634年にシュヴェルニー伯爵によって建設されて以来、今も同一家系が住んでいるという城で、さすがに見学できる建物とは別の建物に住んでいるとは思うのですが、部屋に掛けられていた家族の写真などを見ると、未だ人の温もりは残っているという感じがしました。あまり大きくはない城ですが、美しさに関しては特に際立っているような気もしましたね。ついでに、この城の内部は撮影禁止でした…。

   周囲にはラベンダーも咲いていました   シュヴェルニー付近の街並み…これでもメインストリートです

 ここでは2時間半程の時間があったので、城周辺にあった町並みも見つつ、散歩してみたりしました。それは小さな町でしたが、雰囲気は素晴らしかったです。こういった町がフランスでは普通に存在していると思うと、改めてフランスという国の魅力の深さを感じたものです。小さいながらも、町1つ1つに主張があるんですよね。

   重厚な感じのブロワ城   増築されていった様子がよく分かります

 最後に訪れたのが、ブロワの駅からも歩いて行ける距離にある、その名もブロワ城です。ここは、今までの2つの城とは違って重厚な雰囲気が漂っていましたが、それもその筈で、14世紀末にルイ12世が即位して以来100年間、王宮として栄えたという歴史が残っているのです。また、この城は中庭を囲むようにして建物が建てられているのですが、時期によって増築を繰り返し行っていた為に、その中庭に立つと、13~17世紀の建築様式の変遷がよく分かるのも面白いところです。ブロワの町自体が中世の面影を残していて雰囲気が良いのですが、この城の存在感はそれに負けないくらいだったと思いましたね。

   城内のステージでは、何か見せ物が行われていました   ブロワ城内部…この他にも色々な部屋があります

   ブロワ城敷地内から見たブロワの街並み   ブロワ城は丘の上に建てられているようです

 結果的にはどこも雰囲気が良く、ヨーロッパの歴史を随所に感じれた1日でもありました。今まで、自分の好きだった曲の1タイトルでしかなかった“ブロワ”というものが、この日をきっかけに急に親近感が湧いてきたというのも収穫と言って良いかもしれません。ここでミシェル・ペトルチアーニは、何を思って曲を作ったのか…。その理念に一歩ぐらいは近付けたと思います。これらの風景を思い出しながら、改めて彼の曲を弾いてみたいですね。

   再度、ブロワ駅にて   帰りに乗った車両は、オープン・タイプの車内でした

 …というわけで、帰りは行きと同じルートでパリ市内に戻ってきました。流石に疲れていたのか、帰りの車内では行きとは全く異なり、爆睡状態でした(笑)。そしてその影響はホテルに戻ってからも持続し、夜の20:00頃、ホテルの部屋に着くなりベッドに横たわり、そのまま就寝へと突入していきました…。こうして、パリに着いて初日の濃い1日は幕を閉じる事になったのでした。
 ついでに、この日の一連の流れを、パリ発のオプショナル・ツアーで申し込むと、日本語ツアーでの相場は大体150€(約25500円)になります(それでいて、現地の城の入場料は基本的には個人持ち…)。日本語でのガイドが付いて、昼食も付いているツアーではありますが、この日掛かったお金というのは、合計100€(約17000円)くらいだったので、やはり個人で行きたいところですね。いま正に“旅”をしているという感覚になれますよ♪


 まだまだ続きます!

テーマ:フランス - ジャンル:旅行

旅日記 22.(金沢編…2008.5.12~5.13)
 今回は少し渋いですが、北陸の金沢に行ってきました。金沢というと“加賀百万石”と言うように、観光的には城下町としてその名を知られているわけですが、兼六園や長町武家屋敷跡など、確かにそういった観光ポイントは多いものです。ただ、自分も金沢には何度か足を運んでいるのですが、改めて観光をしているかと言われると、それは“否”だと言わざるを得ません。金沢は市内に鉄道が通っていなく、いつも鉄道が目的という自分にとって、市内にわざわざ寄る必要は無いと思ってしまっていたのが大きな原因かと思うのですが(笑)、今回は1泊2日という時間も取れた事ですし、金沢の見所を、掻い摘んででも見ていきたいものです。そして、結果的には丁度良いバランスの観光だったと言える事になるのですが…、それでは少しずつ紹介していく事にしましょう。


 ●豪華にもできる、北陸フリーきっぷ

 今回金沢を旅行するにあたって、鉄道で行くか飛行機で行くか、大いに悩んだものでした。金沢という場所は、東京からは直線距離的にはそんなに遠くないものの、途中に険しい山脈が控えているので、どのようなルートを通っても大回りせざるを得ず、所要時間は約4時間…といったところです。これだと飛行機も候補に上がるのは当然で、金沢市の最寄になる小松空港までは、羽田からは約1時間しか掛かりません。
 そうなると、今度は値段で比較する事になりますが、飛行機利用でも割引料金を使うと、鉄道よりも若干高くなる程度のようで、これはより検討が難しくなってしまいます(しかも、羽田~小松間というのは飛行機はアルプス越えを行うので、機内から見える外の景色も捨て難い存在なのです)。
 ただ、こんな事を出発ギリギリまで粘っていたせいか、安い値段で乗れる飛行機の残席が無くなる…という羽目になってしまいました(笑)。これで、安さ(と早さ)を考えれば鉄道という手段に行き着いたわけですが、そんな時に目に付いたのが“北陸フリーきっぷ”というものでした。これは、都区内から北陸までの往復と、指定された北陸内のJR路線が乗り放題というもので、新幹線、特急列車にも乗る事が出来るので大変お得なきっぷです。実際、東京~金沢間は、上越新幹線と特急列車利用で片道12710円(指定席利用)なので、都区内発が21400円という“北陸フリーきっぷ”は、ただ単純に都区内と金沢を往復するだけで得になってしまうのです。しかもこの切符は4日間有効で、通年利用する事が出来るのも魅力です。また、上野~金沢を結ぶ寝台特急『北陸』号のB寝台車(個室含む)にも使えるので、時間があればこの方法も選択に加えたいところです。

   上越新幹線『とき』号のグリーン車内にて撮影   北越急行所有の『はくたか』号…金沢駅にて

 更にこれに2600円をプラスすると、往復の新幹線や特急列車のグリーン車にも乗れてしまいます。この区間での通常のグリーン車価格というのは片道で4000円はするので、お得感ではこちらの方が上かもしれません。そんな事情もあって、今回は豪華に(と言っても、2600円上乗せしただけですが…)グリーン車利用で行ってみました。やはり普通車とは格段に座席の質が違い、車内が空いているのも魅力です。
 まずは上越新幹線『とき』号で越後湯沢駅まで約1時間(今回は大宮から乗りました…)、そこで上越線、北越急行、北陸本線を通る特急『はくたか』号に乗り換え、金沢まで約3時間、合計4時間の旅です。これは、東海道新幹線の場合、東京~広島まで行けてしまう所要時間ですが、やはりグリーン車利用だと、予想以上に疲れが少ないです。今回は1泊2日と強行軍の観光でもある為に、体力は温存しておきたいので、これがプラス2600円で叶うのなら安いものです。むしろ、旅的にはテンションが上がるのではないでしょうか…?良いスタート、そしてゴールを迎えられる為にも、グリーン車選択は有りだと思いましたね。


 ●金沢観光の定番、兼六園

 金沢の観光で、まず一番初めに思い付くのは兼六園でしょう。日本三名園の1つに数えられる傍ら、江戸時代を代表する池泉回遊式庭園としてその特徴をよく表しており、国からも特別名勝として指定されています。…それだけの有名な場所なわけですが、最初に言った通り、自分は今まで金沢に何回も来ていながら、ここには一度も訪れた事がありませんでした。当たり前の観光地過ぎて敬遠していた部分もあるのですが、行かないで判断するのも良くありません。実際、兼六園を今回初めて訪れた印象は、とても雰囲気の良い庭園という感じで、季節が変わった時に(特に冬ですね)また行ってみたいとも思った程でした。

   平日にも関わらず、入口には人で賑わっていました   霞ヶ池の景色は有名です

 江戸時代の面影として、園内にある日本最古の現存する噴水は特記すべきものでしょう。この噴水は、庭園内のわりと標高の低い所に位置しているのですが、ここまで水源となる霞ヶ池から石管で水を引き、その高低差の圧力だけで水を噴き出させているのです。…なので、水が噴き上がる高さは、霞ヶ池の水面の高さと同じになるようです。これは一例でしたが、このようにポンプ等を一切使わない(つまり、当時のままの)やり方で造られた噴水などが、兼六園の趣きを更に不動のものとしていて、見所も多くしているのが観光客も沢山訪れる理由なのだと思います。

   園内にはこんな場所もあります   可愛すぎます(笑)

 自然も豊かで、こんな右上写真のような光景も頻繁に見れてしまいます(笑)。喉かな時間と、歴史を感じさせてくれる庭園は、取りあえずの金沢観光ポイントに選ばれて当然だと思いました。


 ●小京都、金沢

 何度も言うように、金沢は“加賀百万石”であったわけで、江戸時代は江戸、大阪、京都に続く規模の大きさの町だったようですが、ここで小京都と言われるのは、戦争中に空襲の被害に遭わなかった事でしょう。それ故に昔ながらの建物が結構残っており、歴史を偲ばせるのも多くあるのです。京都に何度も行っている方は、金沢に来て見ると新鮮で、結構興味深く楽しめるのではないかと思います。

   異国情緒を感じさせてくれる“神門”   重厚な雰囲気が漂う尾山神社

 上の写真は、主祭神を加賀藩の藩祖である前田利家とする“尾山神社”です。この入口にある“神門”は設計者がオランダ人のようで、最上部にステンドグラスが貼られているのが特徴です。また、建物の上から空に向かって伸びているのは、日本で最初の避雷針なのだとか…。歴史的な一面も感じさせてくれる傍らで、モダンな部分も取り入れる…。これは、京都ではあまり見られないものだったように思います。

   懐かしくなる風景です   裏通りの方が、更に雰囲気は増すかもしれません

 歴史的…という事柄では、左上写真の“茶屋街”は外せません。金沢にお城が建てられたのが1580年、そこに前田利家が入城したのが1583年ですが、その頃から、金沢を流れる犀川、浅野川沿いに多くの茶屋が建ち並んでいたそうです。そして1820年に、当時の加賀藩から許可を得て、この浅野川東側に“ひがし”の茶屋が築かれ、大いに賑わったのだそうです(犀川西に“にし”の茶屋街もありますが、こちらは若干規模が小さめです)。
 独特な雰囲気はもう写真の見たままで、茶屋様式の町屋を多く残しているという、全国で極めて珍しい場所なのですが、ここで自分が凄いと思ったのは、中に入ると、昔ながらのお店なのですが、ちゃんと現代にも対応したお土産さんにもなっていたりする事です。しかし、垢抜けている感じではなくて、きちんと自分自身の伝統を守りながら商売をしている感じでしょうか…。実際お茶屋さんもあるのですが、雰囲気のある店内は、あるい意味お洒落なカフェとも言えそうな感じで、ただ観光の為にやっているわけでは無いように窺えたのです。ここは金沢を代表する観光地でもありますが、実際昔からここに住んでいて商売している人もいるわけで、そんな絶妙なバランスが、ここの茶屋街を奥ゆかしいものにしているのだと思ったものです。

   “武家”の屋敷跡なんて珍しいですよね   たまに家が開放されている(有料ですが)のも嬉しいですね

 茶屋街を“商人”の街とするならば、こちらは“武家”の街です。ここは長町武家屋敷跡といって、金沢市の中心地である香林坊から歩いてすぐの所にあるのですが、加賀藩時代の上流・中流階級藩士の武家屋敷が軒を連ねているこの雰囲気もまた独特なものを作り出しています。

   野村家の内部はこんな感じです   この風景を武家の人達も見ていたのでしょうか…

 周囲を歩いているだけでも楽しいですが、この区域の一部に入れる屋敷もあります。そこが“野村家庭園”で、当時の屋敷の様子がよく分かるばかりか、内部の立体的な配置には驚く事すらある程です。屋敷内には茶室もあり、庭には小さいながらも滝までが流れているのですが、これも上流・中流の武家だからこその設備なのかもしれません。町中とは思えない雰囲気があったように思います。

   分かりにくいですが、視界内に寺が3つあります(笑)   見て納得の寺の多さです(笑)

 この香林坊から南に向かい、犀川を越えると寺町という地域になります。藩政期当時、一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められたというのですが、その数は70を越え、確かにこの付近を歩いていると、すぐに寺の姿が見え隠れしたりします。それは右上写真の地図を見れば一目瞭然ですが(笑)、現代までそれが残っているというのが興味深いんですよね。金沢は自分では知らない奥深い事が、まだまだあるような気がしました。

 金沢を観光していると、外国人観光客が多いのに気付きます。これはアジア系の人ばかりでなく、アメリカ系やヨーロッパ系の人も多い気がしたのですが、こういった建造物や街の雰囲気を見てみると、当然の事とも思える程でした。確かに日本人の自分からしても、金沢の歴史的側面の残る観光地というのは、何だか“本物”な気がしました。別に、他の場所が偽物というわけではないのですが、金沢はそこまで観光地化している感じがしなかったのです。当時の雰囲気のままで、現代に対応したらどうなるか…というのを自然にやっていった結果なのだと思いますが、それが金沢の良い所だとも思います。そしてその良さに気付けるのは、もしかしたら我々日本人より、外国人のほうなのかもしれませんね。


 ●バスの町金沢

 金沢の中心部には電車が通ってないと書きましたが、確かにそうで、この地域の公共交通機関と言えば、専らバスに頼る事になります。しかしこのバスというのが本数も路線も多く、移動に不便と感じた事は特にありませんでした…。特に香林坊付近ですと、大通りに目を向ければ必ず路線バスの1台や2台は視界に入るという状態なので(笑)、路線数が多いだけに複雑ではありますが、慣れればどんどん利用したいところですね。

   バスは引っ切り無しにやってきます…金沢駅にて   金沢をバスで観光すると大体の人が通過してる“広阪”にて

 金沢のバスで最も大手なのは北陸鉄道のバスですが、その他にも色々あり、長距離バスはもちろん、観光にも何度か利用する事があると思います。特に金沢市内を周遊している“城下まち金沢周遊バス”や“ふらっとバス”は意外にも使えます。料金は前者は200円、後者は100円均一で、バス停も小まめにあって、両者15分間隔で運転されているので、ちょっと乗りたい…という時でも利用して良いのではないかと思います。
 個人的には、こういったバスの一番の使い方は、“周遊”というルートを利用して、本当に一周してしまうという事です。基本的に観光ポイントを周っているバスでもあるので、車窓を楽しみながらバスの旅というのも良いかもしれません。一周が約1時間弱というのも、手頃なのではないでしょうか。“ふらっとバス”の方は、そこまで観光地を周ってくれるわけではありませんが、金沢という町の普段着の姿が見れる路線でもあると思うので、実はこちらの方が自分の好みかもしれません(笑)。金沢市内の移動はバス…が基本ですね!


 ●金沢21世紀美術館

 兼六園や金沢城公園の入口にも近く、香林坊からも歩いて行ける範囲にあるこの美術館こそが、実は今回の金沢旅行の切っ掛けにもなった場所であります。2004年10月に開館という事で、新しい美術館ではありますが人気は高く、金沢にゆかりのある作家や、新たな創造性に富む作品等が展示されています。館内には油圧式のエレベーター等も設置されており、建物建設にも工夫が見られるようです。

   上から見ると円の形をしている、金沢21世紀美術館   上から引っ張られているわけではないのが、このエレベーターの特徴です…非常に滑らかな動きをしていました

   これも作品の1つです…水中に人がいるようです   水中に人がいるのを種明かしした写真がこちらです


 ここでの一番の目的は、期間限定で開催されていた“ロン・ミュエック展”というものでしたが、先に白状しておきますと、自分はロン・ミュエクというアーティストは今まで全く知りませんでした。これが、ある時ネットでたまたま宣伝していたのを見付ける事になるのですが、一気に彼の世界に惹かれてしまったのです。
 ロン・ミュエックはオーストラリア出身の彫刻家で、現在イギリスで活動されているようですが、カテゴリーとしては“ハイパー・リアリズム”という部類に属する人のようです。…というのは、この方の造る彫刻というのは、人間の肉体を微細にまで再現するというもので、肌を露出した“人物像”という作品が殆どなのですが、それは実際に作品を目の前にしても本物の人間かと思うほどです。

   本の表紙に使われているのが、ロン・ミュエックの最新作でもある“ア・ガール”です…撮影が禁止なのが歯がゆいくらいでした

 …ただ、ここで興味深いのは、リアリズムではあるものの、不安で不調和な視覚的イメージを生み出す…というコンセプトがある為か、その大きさについては現実離れしているという事です。“ワイルド・マン”という作品は高さが2,7mもありますし、“スプーニング・カップル”という作品は、50~60cmくらいの大きさしかありません。あまりにも人肌そのままというくらいリアルに造ってあるのに、大きさが通常と違うので、作品にはつい目を奪われてしまうのです。もちろん、これはロン・ミュエックの計画通りだと思いますが、今回はこの場所では写真撮影が禁止されていて、写真でここで紹介する事が出来ないのが残念でなりません。
 ただ、こればかりは、写真よりも実際に生で見るのが一番伝わりやすいと思いますので、是非金沢に行かれた際には寄ってみて頂けたらと思います。ロン・ミュエック展は8月31日まで開催しているという事で、この夏までが勝負でもありますね(笑)。今までにない、不思議な感覚を体感しに行って下さい!


 ●金沢の“食”と言えば…

 やはり海の幸は紹介せざるを得ません。今回は、金沢市の中心部に程近い、“近江町市場”というところで新鮮な海鮮丼を頂きました。豪華に見えましたが、これは金沢特有の金箔が塗されているからかもしれません。この金箔は、至る所に登場するようで、ひがし茶屋街に程近い“烏骨鶏アイス”(これが相当美味しいです…若干値段が張りますが…)屋でも、ただでさえ豪華なのに、更に金箔を塗して豪華に見せているアイスがありました。

   平日の昼間でも活気があった近江町市場   ホントに宝石箱…ではないですか(笑)

 もしかしたら、金沢は食の宝庫かもしれません。海の幸ばかりに目が行きがちですが、元々加賀藩という町は茶菓子作りを奨励していた為か高度な菓子文化が育まれているようで、日本三大菓子処としても知られているのだそうです(あとの2つは、京都市と松江市になります)。確かに町に出ると、いわゆる“老舗”と言われる和菓子屋が多く、これらは見た目にも美しいので目移りしてしまう程ですが、こんなところにも歴史を感じさせてくれる側面があるように思いました。

   買い物に集中し過ぎて、列車に乗り遅れないように!   鯖寿司と鱒寿司で、まだまだ金沢気分の車内です♪

 そしてそれらのお店は、金沢駅にあるお土産屋に一気に集結しています。もちろん、それぞれの本店で買うのも良いのですが、ここはそんな時間が取れなかった人に特にお勧めの場所でもあります。早速自分も、帰りの車内用という事で笹寿司を購入しました。これで帰りも金沢の余韻に浸れるという事で、食の面でも満喫した旅日記金沢編を締めたいと思います♪
 金沢は1泊2日程度の観光には丁度良い大きさで、小さい地域ながらも(小さい地域ゆえ?)見所は凝縮されているような気がします。小京都という事で、京都と似ているかなと思いきや、いざ観光してみると京都とは全然違う風情や魅力も存在しているのです。京都にはこれまで何回も行って、行く度に新たな魅力を発見していますが、ここ金沢もそうなのかもしれません。特に季節を変えて行くと、更にその思いは増す事でしょう。兼六園の項でも書きましたが、またいつか、今度は冬などにも訪れてみたいと思いました。

 ☆いいねっと金沢のHP(大体のリンク先はここへ!)…http://www4.city.kanazawa.lg.jp/index.jsp

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プロフィール

竹内

Author:竹内
1980年1月29日生まれのO型。
3歳からクラシックピアノを始め、
高校ではジャズに目覚め、大学では
バンドも経験する。現在は関東を
中心に、ライブハウスやホテルの
ラウンジ、レストラン等で演奏を
行っている。また、写真好きが興じて
簡単な写真撮影の仕事もしている。
…そんな29歳です。



次回のリーダーライブ

2010年2月7日(日)
外苑前 Z・imagine
Open…18:00~(予定)、
1st.…18:30~、2nd.…20:00~、
Charge…2700円(ドリンク別)
(Pf)竹内大輔
(B)池田暢夫
(Ds)佐々木俊之



竹内大輔トリオCD発売中(試聴可)!

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